【RS16】王道と遊び心がマッチしたJ-pop・古川幹貴
関東圏を中心に活動しているギター弾き語りシンガーソングライター、古川幹貴(ふるかわ・みきたか)。ベーシストとしてバンド活動に打ち込む学生時代を過ごした彼は、20年ごろからソロとして音楽活動を始めた。彼が志す音楽とは。
父の背中を追いかけるように、音楽の道へ
札幌市出身の古川の生家は、レコーディングスタジオを営んでいた。
「子どものころから、家にはレコードがいっぱいあって、スタジオに行けばいつでも歌えるっていう環境でした」。
自発的に音楽を聴くようになったのは、小学5年生のころだ。
「最初にハマったのは、スピッツと、サザンオールスターズでした。彼らの楽曲に触れるうち、『草野マサムネさんみたいになりたい』と思って、自分も楽器を弾くようになりました」。
アコースティックギターの弾き語りに挑戦したが、長く続かなかった。
「コードが覚えられなくて、一年くらいで挫折しました。代わりに弾き始めたのが、ベースです。ベースなら単音だし、簡単そうだなと思って。小6から大学卒業くらいまで、ベーㇲを中心に弾いていました」。
中学校に入学すると、卓球部に所属。
「軽音楽部がなかったので、普通に部活して、家に帰ったらベースの練習をしていました。あとはアニメが好きで、よく見てましたね」。
高校生になると、オリジナル曲を作り始めた。「今聴くと、恥ずかしくなってしまう曲ですが、良い思い出です」。
初めて人前で演奏したのも、同じ時期だ。
「高3のとき、学校祭に出るために、バンドを組みました。テーマソングを作って、開会式と閉会式のステージで、全校生徒の前で演奏したんです。今までで一番お客さんが多いライブでしたね」と、笑う。
大学へ進み、バンド系のサークルに入ったことが、一つのターニングポイントとなった。
「サークル内で幾つかのバンドを組みました。ひとつは『ザ・スパーム』というパンク系のバンドです。ボーカルの男性を軸に、僕はベーシストとして参加しました。もうひとつが『Tiny Happy Drop』というバンドです。こちらはボーカルの女の子がメインで、僕はベースとコーラス、それに作詞と作曲を担当していました」。
いずれもオリジナル曲を主体としたバンドで、学内のイベントや、小樽市内のライブハウスなどで定期的に演奏した。
「バンド以外の活動では、志茉理寿という名前でボカロPをしている友達とコラボをしました。僕が詩と曲を書いて、彼が編曲と初音ミクの打ち込みをしてくれたんです。『交差点』という楽曲で、WEBで公開しています」。
様々なアプローチで音楽を楽しむうちに、学生生活は過ぎていった。
3年生になると、進路について考え始めた。
「僕が通っていたのは地元の国公立大学でした。堅実な人が多くて、就職率も高かったんです。周りの友達はみんな、就職の道を選びました。僕も悩みましたが、やっぱり、父が音楽をやっていたっていうのが大きいですね。そういう人生の選択をした人間が身近にいたので、僕も、長い人生の中で後悔はしたくないと思いました」。
卒業後は地元を離れ、音楽をやろうと決意を固めた。
しかし、コロナ禍が世界を襲う。「本当は2020年の春に上京する予定でしたが、いったん、お預けとなりました」。
思う様に音楽ができない期間は、アルバイトをして資金を貯めた。状況が落ち着き始めると、ギター弾き語りとして、ライブをするようになった。
「学生時代は、ベーシストとしてバンド活動をしていました。遊びでギターを触ることはありましたが、弾き語りとなると、自分でリズムを作らなきゃいけません。ギャップを埋めるために、練習をがんばりました」。
楽曲制作にも力を入れ、結果としては、良い充電期間になったと語る。
そして21年春、満を持して上京。
「今行かないと、もう一生行けないなと感じたので、思い切りました」。
とはいえ、知り合いもいない。自分のスタイルが、どのライブハウスに合っているか見当もつかない。しばらくは満足にライブ活動ができなかった。
「ボイトレに通ったり、色々ご縁をいただいたりして、やっと本格的に動けるようになったのが、22年の春くらいです」。
自分がやりたい音楽を、やりたいように続けたい
現在は下北沢ロフトやモナレコード、吉祥寺NEPOなどのライブハウスを中心に、月3回ほどライブをしている。
情報発信の手段としてはTwitterとInstagramを使用しており、YouTubeではライブ動画なども公開中だ。「一応、TikTokのアカウントもあります。これから動かしていきたいと思っています」。
2022年6月4日には、1st Single『Heartache』を、各種サブスクリプションサービスおよびダウンロードサイトにてリリース。
表題曲の『Heartache』は、ファンク調のダンサブルな楽曲だ。
「ベースのリフを楽曲の主軸にして、ガンガン乗れる曲にしました。音域の高さも、聴きやすさや、楽しい雰囲気に繋がっていると思います。作ったのは1年以上前ですが、今回のリリースにあたって再構築しました。これからの自分の代表曲にしたいと思っています」。
カップリングとして収録されている2曲のうち、『Moonlight worker』は、マイナー調のバラードながら、サビや間奏は情熱的であり、動と静を楽しめる一曲となっている。『風見鶏』は、学生時代にバンドで制作した楽曲を、アコースティックバージョンとして再録した。
「自分の名刺代わりにしたいな、と思って、方向性の違う3曲を選びました。興味を持ってもらえたら嬉しいです」。
次回作の準備も進んでいる。
「まもなく、『朝凪』という曲をリリースします。人生の荒波や暗い夜を乗り越えて、穏やかな朝を迎えられればいいな。辛かったことは過去にして、明日に向かっていけるようなメッセージをこめた曲です」。
(編集部注:取材当時の話。当楽曲は8/30リリース済み)
今後も定期的に、音源をリリースしていく予定だ。
「まずは手軽に、色んな人へ届けられるように、配信リリースをしていきます。いつか、CDも出したいですね」。
バンドアレンジの音源は、自ら打ち込みで制作した。「パソコンは得意じゃありませんが、試行錯誤しながら、頑張っています」。
楽曲を表現する上で、ギター一本では物足りないと感じる瞬間がある。
「弾き語りは楽しいし、やりがいもありますが、いつかバンド編成でも ライブしたいです。バンドを組むのか、ソロとしてバンドサポートを頼むのかは分かりませんが」。
楽曲を制作するときは、いつもメロディから考えるという。
「詩からってことは、今まで一回もないですね。ギターを弾きつつ、メロディはぽんぽん出てきます」。
一方で、作詞には苦労している。
「10代のころは、浮かんだ言葉をそのままつかったり当てはめたり、具体性を避けて抽象的にまとめたりすることで、迷いなく書けていました。でも、自分が歌うようになって、『ちゃんと内容のある詩にしたい』というこだわりが出て、筆が遅くなってしまいました」。
話を聞いていると、彼は作曲家という一面が強いのかもしれない。
「バンド時代も、自分以外にボーカルがいました。『自分で歌いたい』と思わなくもないけど、僕の作った曲が輝くことが、一番嬉しいです」。
シンガーソングライターという形には、固執していない。
「女性が歌った方が映える曲もあるし、性別でなくても、クールだったりキュートだったり、ボーカルの個性って大事ですよね。誰かに楽曲を提供したり、作詞家とコラボして曲を作ったりもしたいです。一人では出てこない発想が生まれますし、良い音楽をできることが一番です」。
上京してから知り合ったアーティストと、ユニットを組む話も持ち上がっている。「僕が曲を作って、女性ボーカルに歌ってもらう、例を挙げればYOASOBIさんみたいなユニットを始めるかもしれません」。
楽曲を作るうえでこだわっているのは、『J-popであること』だ。
「まず、メロディがキャッチーであること。そして、色んな人に親しみやすい音楽であること。それらを主軸として、ロックやファンク、歌謡曲など、色んな要素を足していく。『王道と遊び心がマッチしたJ-pop』こそ、僕のやりたい音楽です」。
その背景には、70年~80年代の洋楽を始め、90年代のJ-pop、2000年代のアニメソングなど、幅広い音楽を好んで聴いてきた経験がある。
「古き良きテイストに、最近のテイストを混ぜて、面白い音楽を作っていきたい。僕なら作れるという自信があります」。
今後の目標を訊ねると「今、やっていることに誇りを持っていたいです。5年後や10年後、自分がどうなっていたとしても。一日一日を後悔せずに、やりたい音楽を続けたいですね」。
ファンを増やし、ワンマンライブをすることも憧れだ。
「大学生のころ、小樽のGOLDSTONEというライブハウスに何度か出ていました。音の感じがリッチで、とても素敵なハコなんです。いつか凱旋ワンマンとか、できたらいいですね」。
彼がどんな未来に行き着くのか、見守りたい。
text:Momiji
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