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恋つばチャンネルのせつない恋の行方と小さくてささやかな幸せのこと



過去に経験したせつない恋の記憶が呼び覚まされるのって、どんな時だろう。

ショッピングをしていて、ふいに店内に流れてきたBGMを聴いた時?
昔の恋人の香水と同じ匂いが、どこからかふわりと漂った瞬間?
私は…

正直言って、若い頃に経験したことなんて思い出しはしないだろうと思っていた。

もう年だし。
当時の純粋な気持ちも忘れてしまったし。
誰に、どんな風にときめいていたのかもほとんど覚えていなかったから。

今の生活から最も遠くにあると思い込み、鍵をかけていたあの感情。
その鍵をこじ開け、さらに現在と密接に関わっていると気づかせてくれたのは、動画の中のあの人だった。


夜明け前の私

それまでの私ときたら、もう何年も職場と家の往復をしている人生だった。

終電近くまで残業をして家に帰ったら、同じように仕事三昧で疲れきった顔の夫に迎えられる。
結婚して10年以上経つ夫とは、仲が悪いわけではないけど、特に会話も多いわけでもない。最小限の会話で最大限の馴れ合い。多分一生これが続くんだろうな。

そんなことを思いながら、テレビを見ている夫の横に座り買ってきたコンビニご飯をもそもそ食べる。
食後は、夫が大笑いしながら観てるバラエティ番組を横目に、イヤホンをしてスマホで少しだけYouTubeを見る。それから寝落ちする前に急いでお風呂に入る。その繰り返し。

休日は実家に帰って親の介護をする。
大病を2回患って、今もその病と戦う父と、それを必死に支える母。
なるべく一緒に笑って過ごしたくて私はしゃべり続ける。思い切り誇張された仕事の面白話を披露して。
それでも普段の疲れからか、心がささくれだつ時もあった。
愚痴を言う両親に向かって大きな声で反論して後悔することもしばしばだった。

実家からの帰り道は、決まった店でおいしいパンを買うのが習慣で。
お気に入りは、噛むとジュワッっと生地に練り込まれたバターがとろける、ベタベタに甘いクイニーアマン。
最寄り駅から自宅まで、闇深くなりつつある坂道を登りながら私は思う。
ああ、これを月曜の朝に食べたら、きっとまた1週間頑張れる。頑張るのだ。明けない夜はない。
いつか光が差してキラキラする日々がやってくるんだ…。

そんな毎日を送っていた私は、ある日、何気なく
YouTube「恋つばチャンネル」を見た。


恋つばの笑顔に心を癒やされて

「恋つばチャンネル」を見たのは今年の1月の初め。YouTubeのオススメに動画が出てきたことだった。
タイトルは「バイとノンケでカップルチャンネル開設!?」
チャンネル名は「バイとノンケの物語-恋つば-」。
サムネイルがこちら。

左がバイセクシャルのつばさくん。右がノンケのれんくん。

動画を見ると写真の2人が「僕たちこれからYouTube始めます!」と初々しい笑顔で始めたきっかけなどを語っていた。
ほんの10日ほど前にチャンネルを開設したばかりなのに、既に数本の動画があったので全て見てみる。いわゆる「BL(ボーイズラブ)」系の動画のようだった。

つばさくんがれんくんに色仕掛けで迫るも、れんくんに拒否されるのが毎回のお約束。


つばさくんに抱きつかれて「やめろ!」と叫んだり、


罰ゲームのハグでつばさくんに耳を舐められて悲鳴をあげたり…


ポッキーゲームにかこつけて唇を奪われてガックリしたり…

カップルになりたいつばさくんとそれを嫌がるれんくんの攻防戦を楽しむという内容。
2人とも清潔感と上品さがあるからか、イチャイチャしても微笑ましく感じられるのが不思議。
BLものに興味がない私も楽しく見られるのと、2人の屈託のない笑顔に惹かれてチャンネル登録をした。

2人は出会って1カ月ちょっとしか経っておらず、お互いがお互いを知っていく段階にあるようで。少しずつ距離が縮まる様子をリアルタイムで見られるのもワクワクした。
まるで成長を見守る母の心境だ。

私は今まで動物が主人公のYouTubeをよく見ていたけれど、犬や猫の動画を見て和むのと同じ感覚だったかもしれない。
要するにイケメン2人のほのぼのとしたチャンネルを見て、癒やされていたのだ。

あの生放送を見るまでは。


「怖い」ほど好き、という気持ちがせつなかった

「恋つばチャンネル」初めての生放送は、彼らがYouTubeを始めて20日目のこと。
ノンケのれんくんがバイセクシャルのつばさくんに仕掛けるドッキリ企画だった。


すなわち、ポッキーゲームをして、普段はキスを嫌がるれんくんが嫌がらなかったら、つばさくんはどんな反応をするのか?を検証するという内容。

「つばさくんは野獣のように僕に襲いかかってくるんじゃないか? その様子をお届けしたいと思います!」

つばさくんが中座した隙に企画の趣旨をれんくんが説明する。
初生放送で初ドッキリを仕掛ける緊張からか少し声が上ずり、早口で喋るれんくんを見ながら、内心「困ったな…」と思ったのを覚えている。
何故なら私は、ドッキリが苦手だからだ。人が騙されるところを見て面白がるのが好きではなかった。種明かし後に2人がギクシャクしちゃったら嫌だな。

そんな私の心配をよそに放送はどんどん進んでいく。
2人のポッキーゲームは、ポッキーに代わる食べ物を探そうというもので、最初は小さな棒状のサラミから始まった。
端と端から食べていき、お互いの唇がふれる刹那で「キツイキツイ!」とれんくんが叫んで身を引く。
つばさくんがいたずらに成功した子どものように笑って、ここまではいつもの感じ。

潮目が変わったのは、次のキットカットから。
食べ進んで、お互いの唇が触れるのを嫌がらないれんくんに、一瞬つばさくんが戸惑いの視線を送る。

れんくんは次のお菓子から本格的に仕掛けてきた。
自らつばさくんに歩みより、頭を引き寄せて唇を重ねる。
それに対してつばさくんは、キスをしている最中は積極的に応える。唇が離れた直後は本当に嬉しそうに笑って、でもその後は…小さい子のように怯えて言った。

「怖い。意味が分かんない…なんで?」

怖い。怖いってどういうこと?
いつもと違うから?
イチャイチャを拒否するれんくんが自分を受け入れる素振りを見せているから?

そのあと、キスをしている時からつないだままになっている手を振り上げてつばさくんが言う。

「ほら!だっていつも(手をつなぐ事を)嫌がるもん。いつも…なんで?(今は手をつないでいるの?)」


それに対してれんくんはこう答える。

「え、なに?おかしいことある?だっていつも手をつなぎたいって言ってるから俺つないでんじゃん」

恋つばの全ての動画を見ていた私は、このやりとりを見てすぐに気づいた。
つばさくんとれんくんがそれまで動画内で手をつなぐシーンはなかった。
つまり、このやり取りはYouTube上ではなく、2人のプライベートな空間で繰り広げられている事なのだ。
つばさくんは動画のキャラクターとしてでなく、本当にれんくんのことが好きなんだ。

そう思ったとたん、心がざわっとした。
今まで動画の中で見せていた、「れんくんに色っぽく迫る明るいつばさくん」という虚構が私の中でガラガラと崩れ、実在する1人の人間が、突然私の目の前に現れたように感じたのだ。
私はつばさくんから目が離せなくなった。

つばさくんはこのあたりかられんくんの目を見て話すことができなくなっていた。
話しかけられると所在なさげに瞳を動かす。噛みしめる唇が自嘲ぎみに歪んだり、キスの時、何かをつかみ損ねたように右手の指が動くたびに、彼のせつなさがあふれてくるようだった。


そんな傷みを伴った感情のゆらぎを見ている内に、よくわからない思いが自分の中からわき出てくるのを感じた。

現実世界の彼は、もしかしたら、れんくんの手に触れたくて、肌の暖かさを確かめたくていつも心を痛めていたのかもしれない。

でもそんな気持ちをそっとしまいこんで、冗談っぽく「手をつないでほしい」とお願いして、断られて唇をとがらせて。

その後、2人でたわいもない冗談を言い合って笑いあい、その笑顔を見て小さな幸せを噛みしめていたのかもしれない。

そんな心に秘めたささやかな幸せが、あのれんくんの積極的なキスで崩壊しかけそうなのが「怖い」んだとしたら?

自分の感情をどのように表現したらいいのか計りかねてしまったのでは?

もちろんこれは全部憶測で、本当のところは全然違うのかもしれない。
けれど私は、画面の向こうにいる人に完全に感情移入をして想像を広げていた。素の言動と表情だけで、こんな気持ちにさせられたことは今までになかった。

次第に私は、自分が過去にした恋愛の記憶が呼び覚まされていくのも感じていた。
そう、私もこういう経験があった。好きな人にドキドキしたこと。叶わない恋にこがれたこと。キスして、その先までしたのに唐突に心変わりされて泣き続けたこと…。

そして、「この人」と決めた人と手を取りあって暮らすと決めたこと。「もう駄目だ」と思った危機も越えて、今は
家族の愛情に包まれて生きていること。

心の奥底に溜め込んでいた感情がいつの間にかあふれてきて止まらなくなった。

なにこれ?なにこの感覚?

つばさくんの存在は私の心を揺り動かし、忘れていた気持ちを呼び覚ましてくれた。


月夜に照らされた私の幸せ

最後にれんくんがドッキリの種明かしをして生放送が終わったその夜、私はつばさくんが言った「怖い」の意味を考えていた。

例えば、私が惰性のように繰り返しているごく普通の生活。
華麗でもなんでもないし、他人から見たらつまらなすぎて憐れみの視線を送られるかもしれない。
現に私自身、「大変」とか「つらい」などと文句を言ってばかりだ。

では何故この生活を続けているかというと、やっぱりそこに垣間見える「小さな幸せ」を失くしたくないし、失ってしまうのが「怖い」から。

私にとっての「小さな幸せ」は、夫とつまらない冗談を言いあって笑うことや、自分の病気を棚にあげて、いつも私の体の心配をする父と一緒にいること、そして何があっても私の味方でいてくれる母の優しさに触れることだ。

でも。
私は自分に問いかけてみる。

私は彼らに本当にちゃんと向き合っていただろうか。
忙しさにかまけてなおざりにしていなかっただろうか。
夫の、両親のせつない感情を見ないふりしていない?
現状に少しうんざりしている自分の気持ちを、甘いパンを食べることでごまかしてなかった?
一昔前の少女マンガの主人公みたいに、劇的な幸福が訪れるのを待っていなかった?

私は窓越しに、キンと冷たい空を眺める。
三日月が優しく周囲を照らし続けていた。決して明るくはないけれど確かな光。

それを見ている内に、私は夜明けを求めるんじゃなくて、例えば月夜のふんわりとした明るさの中で暮らせればいいんじゃないかと思ってきた。
凪のような毎日を愛し、好きな人たちと共にほの暗い道を歩ければそれでいい。

もし、私の好きな人たちが、さまざまな状況において、私に心変わりをしたりいなくなったりしても、今まで与えてくれた幸せに感謝をして「ありがとう」と言えるように。
何が起こっても後悔しないように。
私も好きな人に幸せを与えられる人になりたいと思った。


ささやかな幸せを壊さないように

最後にまた、「恋つばチャンネル」の話をする。

あの生放送の前まで5000人ほどだった彼らのYouTubeのチャンネル登録者数は、生放送後、たった1日足らずで倍の人数になった(5/31現在は3万8000人)。

1本目の動画で「(自分達のことを)誰も知らないけど」と言って笑っていた2人は、今やちょっとエロくて最高にエモいYouTuberとして多くの熱狂的なファンに恵まれている。

ファンの間であの日の動画は「伝説の生放送」と呼ばれ、現在の再生回数は既に83万回超え。
情熱的なキスシーンはスクリーンショットで切り取られて、TwitterなどのSNS上に拡散されている。

もちろん私もキスシーンは好きで何度も見ていた。
でもつばさくんのせつなげな表情を見ていられなくて、全部を見返すことができないでいた。

だから少し前、動画を全部見直した時に初めて気づいたのだ。
ドッキリのネタばらしをした後、反論するつばさくんに応えるれんくんの口調がとても穏やかなことを。
つばさくんのせつなげな顔や不安をフワッと包み込むようにれんくんは存在していた。

今思えば、れんくんは「(つばさくんが)全然攻めてこないからおかしくね?って思った」と言いながらも、つばさくんのことを全部お見通しでこのドッキリを仕掛けたのかもしれない。
つばさくんが抱いていた、ささやかな幸せを確かなものにするために。

だから、ドッキリのネタばらしをした後、優しい口調でこう言うんだ。

れん「え、嬉しくなかったの?」
つばさ「…ふっ、はははっ」
れん「嬉しいでしょ?」
つばさ「……はい」






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