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【上場インタビュー】 生鮮流通のプラットフォーマーを目指して|フーディソン山本CEO

2022年12月16日付けで東証グロース市場に上場した フーディソン社。Reapraの投資先としては昨年のスローガン社に続く2社目の上場です。今回は上場の節目に、新産業創出に向けたこれまでの道のりとこれからの展望を伺いました。

※Reapraは、超長期の時間軸における次世代の産業創出を起業家と共に目指しています。上場は1つの大事な通過点であると捉えており、今後も次世代の産業創出に向けて、引き続き、フーディソン社への支援を行います。

諸藤周平(もろふじ・しゅうへい):インタビュアー
ReapraグループFounder & CEO。株式会社エス・エム・エス創業者。2014年にトップを退任。その後、2014年にシンガポールでReapraグループを創業。100年続く事業の創出と、リーダーの育成に取り組む。1977年生まれ。九州大学経済学部卒業。

山本徹(やまもと・とおる):インタビュイー
1978年生まれ。北海道大学工学部卒業後、2001年4月大手不動産デベロッパーに入社、2002年10月合資会社エス・エム・エス入社後、組織変更に伴い、株式会社エス・エム・エスの取締役に就任。創業からマザーズ上場まで経験。2013年4月、株式会社フーディソンを設立し、代表取締役に就任。生鮮業界に新たなプラットフォームを構築するべく事業運営中。

エス・エム・エスでの経験があったから、未来を信じて進むことができた

諸藤:
上場おめでとうございます。山本さんとは20年以上の付き合いなので、こうして上場をお祝いできるのは本当に感慨深いです。今山本さんがフーディソンで目指していることは結構壮大なことだと思っていて上場はその重要な通過点だと思っているのですが、壮大がゆえに目指しているものが伝わりにくい部分もあるかなと思います。山本さん自身が過去にどんなことをやってきて、これからの未来でどこに向かって行こうとしているのかを伺うことで、このインタビューを通してフーディソンのファンが増えたら嬉しいです。

山本さん:
よろしくお願いします。

諸藤:
山本さんとの出会いは、僕が社会人2年目で入ったゴールドクレストというマンションデベロッパーの会社。そこに新卒1年目として入社していたのが山本さんで、ほとんど年齢も変わらない新卒同士くらいの感覚で、時々ご飯に行くような仲だったのを覚えています。僕は元々起業したいと思っていたので、同じくゴールドクレストにいた田口さんという同僚と合弁会社を作って。その後、色々あって株式会社にするタイミングで創業メンバー4人のうちの1人として一緒に始めたのが山本さんでした。それが2002年なので、まさに20年前ですね。

そこから、小田原のワンルームを4人で借りて、布団を重ねながら寝るっていう極貧生活がはじまるんですよね (笑) その後2年間くらいは、メンバーが10人弱になってもワンルームから一軒家に移って、ずっと寝食を共にしていました。そういう意味で本当にお互いのことを深く知っていると思います。

ここで改めて聞きたいんですけど、ゴールドクレストはベンチャーといっても上場していて。そこを辞めてまだ何もないエス・エム・エスに創業メンバーとしてジョインしたっていうのは、どういう理由だったんですか?

山本さん:
一般的には、ベンチャーといってもある程度の規模がある会社から、社会人を1年しか経験していないタイミングで離職することは、リスク高いから止めておこうと思うかもしれないですね。ただ、私は一つの会社で長く勤め上げるイメージが全然なくて。なので当時は、早い段階でチャレンジした方が幸せなんじゃないかと考えていました。

そんな背景もあり、同じく後で創業メンバーとしてエス・エム・エスにジョインする釜野さんと前々から二人で起業しようって話をしていて。そんな時に、諸藤さんと田口さんが起業されると聞いたので、起業のトレーニングぐらいの感覚であわよくば入れてもらおうと思って、一緒にやりませんかと伝えたんです。

諸藤:
その後のエス・エム・エスでいうと、創業当初はそもそもマーケットがあるかもわからない状態だったのでとにかくできることをしていたものの、数年でどうやら本当に伸びそうだぞって会社がどんどん大きくなって行って、運良く5年くらいで上場しています。その成長をゼロから経験している山本さんが、エス・エム・エスで特にこの経験が今に活きているなと思うことってなんですか?

山本さん:
たくさんありますが、特にフーディソンを創業する時に感じたのは、エス・エム・エスで創業当初から上場に至るまでに周囲の反応がいかに変わっていくかを経験したことですね。エス・エム・エスの創業タイミングに、「不動産にいた人が介護医療に行って使い物になるわけないじゃん、そんな不毛なチャレンジ絶対やめた方がいい」って周囲の色々な人から言われていて。でも、会社があれよあれよという間に大きくなっていくと、周囲の反応が変わっていったんですよね。

フーディソンを創業する時も、「介護医療の人が魚を扱うってできるわけないじゃん」って言われていたのですが、エス・エム・エスの経験があったからこそ、周りの意見に耳を傾けつつもぶれることなく、未来を信じて進むことができたなと思います。エス・エム・エスの経験がなかったら、チャレンジする業界を大きく変えること自体に怖さを感じていたかもしれないです。

あとは、特にこれという1つの経験というより、時間軸を入れると動的に色々なものが変化することをエス・エム・エスにいた11年で体験できたことですかね。領域の見立てや、業界でのポジショニングも全部変わっていくものだと。エス・エム・エスの時って、諸藤さんが事業の登り方を始めから全部綺麗に描き切ってからスタートしたわけじゃなく、事業を進めながら領域についてつぶさに学んでいっていたんですよね。その時に、門外漢だからこそバイアスがなくフラットに業界を見れるのは強みにもなり得ていたし、そうしているうちに気が付くと業界の第一人者のようになっていました。言葉にすると連続的に起きているとはとても思えないかもしれないんですけど、エス・エム・エスの時に実際に起きたことで。起業当初はそう変化していくことを強気で信じていた部分はあります。

諸藤:
僕も今振り返ってみると、エス・エム・エス創業時は、介護領域でのビジネスが本当に成立するのかわからないっていう怖さがあったなと思っていて。だからこそ、時間から跳ね返して将来こういう会社になるにはどういう順序でプロダクトを作っていくのかを丁寧に議論したり、1つ1つの事業を強くするためにオペレーションの作り込みや参入障壁づくりを徹底したりしていた。上場した時も、周囲からは人材紹介会社だと思われていたけど、実態はその時の事業以外のことも相当話し合って作り込んでいて。それを、山本さんもエス・エム・エスの中で営業をやったり複数の事業を立ち上げたりと、色々な経験を通して実体験として持っているのは、水産業界をみた時に、時間をかけたらいい社会が作れると信じられる土台になっているのかもなと感じました。

自分の学習や成長のために時間もお金も使っていく

諸藤:
エス・エム・エスを辞めて、自分で起業しようと決めたのは、どんな背景やきっかけがあったんですか?

山本さん:
今振り返ると、親からの自立みたいな感じがあって。エス・エム・エスでは、諸藤さんについていってた部分がかなりあったんですよね。ついていくことで、諸藤さんに幸せにしてもらっていたというか。でもそうじゃなくて、自分の幸せは自分でつかみ取ることが改めて必要だと考えて自分の状態を見直した時に、エス・エム・エスの創業メンバーとしてジョインするっていうチャレンジをした結果、資産が得られていたし、先述したような経験もあるよなって。

得られた資産を切り崩して生きていくのではなく、自分の人生を幸せにしていくために、この資産を自分の学習や成長のために使うのがいいなと思ったんですよね。自分がこれだと思える領域にお金も身も投じていって自分がその結果成長していくっていうことに期待する方がなんか人生って楽しいよなと思って。なので、自分が人生で何をしたいのかとか、人生でどういう状態になりたいのかの答えが出た時に、今の自分が未熟であっても前に進んでいく道を選ぶって思えたことがきっかけですかね。

壁にぶち当たり、立ち止まり、学ぶ。その繰り返しで今がある

諸藤:
ここまで聞くと、ベンチャーの創業から上場とそれ以降までも一度経験しているし、お金の準備もあるし、そのまま順風満帆にいったのかなと思っちゃいそうですが、実際にはそうじゃなかったし、葛藤がいっぱいあったと思います。フーディソンの創業期 1年目から3年目くらいって、どんな変遷があったんですか。

山本さん:
子供が親の真似をしながら転びながら進んでいくような感覚なんですけど、僕はエス・エム・エスを近くで見ていた時に、その経営手法を外形的にしか理解できていなかった気がするんですよね。例えば、複数の事業を並行して立ち上げるとか事業同士のシナジーを生むとかオペレーションを強くしていくとかっていう一部の側面を見ていて。諸藤さんが持っている経営のノウハウを丸々インストールしていた訳ではないし、それは自分でも理解していたんだけれども、最初はどうしても自分が知っている経営方法の真似をしていました。なので、まずはマネタイズできる方法を水産業界の中で見つけて入っていこうと考えて、魚屋の事業からスタートしました。

創業初期は、今振り返ると実態としてただただ魚屋を経営している感覚を持っていた時期が一定期間あったなと思います。ミクロとマクロを繋いでいくというか、事業を作りながら未来の領域の見立てをアップデートしていったり、事業を未来の見立てに関連づけていったりすることは手探り状態でした。なので真似できるところから真似し始めて、繋がらないところで壁にぶち当たってそこで立ち止まって学んでいくっていうことをずっとやってきたっていう感覚です。

諸藤:
起業から今に至るまでで、精神的なきつさの変化はあったのでしょうか。

山本さん:
限界を超えそうになったのは資金調達の後ですね。資金調達をしたことで自分の経営能力の強みと弱みが拡張されて、弱みが色々な形で表出しました。組織がうまくいかなくなって、辞めていく人も多くて、その結果PLも悪化して。事業もうまくいかないし、株主からも怒られるっていう本当に負のサイクルでした。その時の自分の価値観や、積み上げてきた経験を全否定されるような感覚だったので本当にきつかったんですよね。

でも、そのきつかった時期があったからこそ、自分で自分を叱咤激励して成長していくというスタイルから、社員のみんなやステークホルダーと一緒に学び組織を作っていくことに向き合えるようになったのはありますね。今振り返ると、当時の自分は人と協調して仕事をするのに相当難ありだったんです。スイッチが入っちゃうと手がつけられない人って言われていて、暴走することがよくあった。あらゆる苦難は乗り越えるものっていう形で自分自身がそれまで頑張ってきたので、周囲がそれについてこられないことに苛立ちを感じてしまっていました。色々な人の価値観に向き合えていなかったんです。

そこからは、感情が湧き出た時に立ち止まって、なんで苛立っているのか?というのを考えるようにすることをずっと続けています。そうすると、自分の中のコンプレックスが原因で人にも向き合えてないってことがわかってきて。自分と向き合うことが組織と向き合うことにつながるなと感じるようになりました。

水産業界のプラットフォームをイメージしながら1つ1つのサービスを積み上げてきた

諸藤:
そういう葛藤が創業から色々な形であった中で、マーケット環境というのは創業以降どんな変遷があるんでしょうか。鮮度の良い魚をより適正な価格で供給していくことにニーズがあることは一貫していたのか、ちょっとないかもなと思うこともあったのか。

山本さん:
そこはもう一貫して絶対あると思えていたので良かったんだと思います。実際にサービスを使ってくれているお客様がいて、その生の声が聞こえていたっていうのもあったし、業界の皆様からのコメントもあったので、自分が選んだ領域は未来に確実に伸びると信じられる情報はあったんですよね。だから、自分がうまく事業を伸ばせないことが単純にしんどいだけで。それも最後は自分の今の能力を信じてやる、その中でやれることをするしかないよなって割り切れたことで次に進めました。

諸藤:
事業という観点でこれまでを振り返ると、どういう順番でどんな事業を構築していったんでしょうか。

山本さん:
そうですね。まずは水産業界にまったく知見がない時に、一般的なマーケットプレイスを想起して、買う人と売る人がどちらもたくさん必要で、それを取りまとめる場所としての物流の拠点や、マッチングするシステムが必要だなと考えました。この業界で差を生もうとすると、物流までセットで押さえる必要があるというのは始めから見ていて。さらに、ITで受注処理を効率化するだけではなくて、それぞれの魚をどう運ぶと鮮度を保てるのかといった質を担保しつつ、物流自体を効率化することが重要になると考えていました。いずれ魚の情報がデジタル化され見える化されると、情報はコモディティ化していくので、情報を持っているだけではなくて物流まで繋ぎこめるかが肝だと。

ただ、プラットフォームありきのマーケットプレイスだけを先に作ろうとすると、莫大な費用がかかるので、まずはキャッシュを得ながらプラットフォームに必要な機能を作り込むために、魚ポチ(うおぽち)というサービスを一番初めに作りました。飲食店向けに鮮魚の仕入れを効率化するサービスです。今では魚ポチは多くの買い手と多くの売り手を獲得するに至っていて。そこにデリバリーするための物流拠点があり、マッチングするシステムも持っています。当初マーケットプレイスとして必要だと思った機能を、エリアは限定されるものの、一定の規模で持てているっていうのが魚ポチです。

物流拠点に止まる魚ポチのトラック

消費者の方により認知度が高いのは2つ目のサービスとして始めたsakana bacca(サカナバッカ)ですね。sakana baccaはまったく別の軸で捉えています。これは業界では長らく言われていることですが、水産業界全体で魚の水揚げ量が減っているのに対して、大量に安く売るというこれまでの小売のやり方はもう長く続かないっていう前提があって。そうすると、魚に適切な価値付けをして販売をしていく必要があります。そこを私たちが担うために、消費者に売り先を広げる小売の機能として作ってきました。

そして、魚ポチやsakana baccaを通して得た情報を活用することで二次的なビジネスが効率的に立ち上げられるんじゃないかと考えて作ったのが「フード人材バンク」という人材紹介のサービスです。元々は、鮮魚加工技術者の紹介を中心とした「さかな人材バンク」としてスタートしましたが、今では食に関する幅広い職種の人材を紹介するサービスになっています。これは、水産業界に関連する事業者の利便性をさらに上げるようなサービスを複合的に提供するモデルとして着手しています。

土台に流通があってそこに紐づく関連サービスで強化していくというのが、水産業界におけるプラットフォームの基本の骨子なんじゃないかと思っていて。その未来を見据えながら、1つ1つのサービスを積み上げてきました。

諸藤:
他にも競合がいたり、もしくはこれからも競合がでてくるかもしれない中で、今おっしゃったようなサービスが成立して拡大していってるのは、今振り返るとどんな理由だと捉えていますか。

山本さん:
やはり物流を押さえることにコミットするという意思決定を初期のタイミングでできたことは相当大きい要因だと思います。鮮魚の流通を宅配便に外注してマッチングすれば、ビジネス自体はもっと簡単にできたと思うんですけど、ふるさと納税サイトのように非日常的なニーズがメインになるのでマーケットサイズがとても小さいと思っていて。日常的に利用してもらう飲食店さんを含んだ領域をマーケットとした瞬間に格段に規模が大きくなる。そして、そこで

時間をかけて事業を作っていくだけでも十分成長する魅力があるっていうところに僕らは張っていた。売り手と買い手のマッチングをしている小さいプレイヤーの一つにならなかったのはその意思決定が大きかったと思います。

流通効率を高め、情報がデジタル化されたら、水産業界の可能性はさらに広がっていく

諸藤:
今お話いただいた物流を含めたスペースがあるところで、今後の10年から20年を考えた時に、最大限どういったところまでマーケットを取っていきたいとか取れそうと思っていますか。

山本さん:
そうですね。一番大きく見ると、魚ポチだけでも、6兆円規模のマーケットポテンシャルがある状態ですし、一都三県だけでも1.6兆っていうもう十分に大きすぎるぐらいのマーケットだと思っています。小さく見ても年130%くらいの成長は、私たちぐらいの小さい売上規模の会社であれば実現していきたいです。その成長率を継続していくと10年程度で売上が1,000億に行きます。水産業界の流通を押さえていて、業界における存在感がある規模というと、売上1,000億は目指したいと思っていますね.。豊洲市場の大きな卸の会社さんでそれぐらいの規模感なので。それぐらいの売上規模がないと水産業界のプレイヤーとして存在感が出せないなって。

諸藤:
もともと水産業界が長期で伸びる可能性があるっていうのは一貫して信じられていたとおっしゃっていたと思いますが、その中で、徐々に領域に対しての手触り感を持って進み始めているのか、まだまだ暗中模索という感じなのか、一部見えているけど一部わからないとか、領域に関しての解像度はどのような状態なのでしょうか。

山本さん:
サービスベースで接点がある部分は結構見えてきています。あと、今はそのさらに先がもうちょっと見えてきている感覚です。すごい面白いのがこの業界の特徴として、売買に参加する権利と市場の中に場所を確保する権利が含まれた仲卸権というものがあって。豊洲市場の中で場所と情報を得ることができるのですが、そうすると魚を買う人は豊洲市場に行かなきゃいけない。そこには物理的な制約がかなりあるんです。近い将来、私たちが日本で最も流通効率が高い会社になり、情報が集まってくるようになると、その情報がデジタル化されて情報は誰もがアクセスできるようになるっていうのが起こるんじゃないかと考えていて。そうすると、市場に参加者が増えてくるし、海外からの買い付けも増えてくる。つまり買う人が増え、売る人が増えていくということがより適正に動き始めるんじゃないかとも思いますし、その結果ロングテールの中小事業者が今は二束三文で売るしかない状態だったものも適正な価格が付くようなマーケットが作れるかもしれない。さらに、規模が大きい会社に関してもより適切な価格が形成されるような市場が作れるかもしれないという期待感があります。

市場機能として価格形成はロングテールの事業者も含めてよりレベルを上げていけるんじゃないかと見立てていて。それができたら、これほど世の中の役に立てることってないよなと思うし、それが情報化されることで物流効率を上げることができるし、少ない人数で収益性を上げていくことを業界にもたらすことができるんじゃないかというイメージも見えてきていて。そんなの絶対やりたいじゃんと思うので、その未来を実現するために今何をやるべきかを考えるのはすごくわくわくします。

諸藤:
インタビューの最初の方では、ただただ魚屋を経営している感覚を持っていた時期もあったとお話いただいていて、そこと今お話いただいたところでは相当解像度が上がってきているなと感じました。もともと粗く見立てていたマーケットプレイス像があったものの、領域が複雑だという前提があったので時間がかかることは当初から想定していて。そうはいってもやってみたら想定以上に大変だと感じつつも、業界に入っていって、重要なところにプロダクトを持ちながらコツコツと業界の解像度を上げてきている。そして、本当にいい流れが作れれば、最終的な情報に価値が生まれるような世界や、今は雑魚として捨てられてたり二束三文で売られている魚に適正な値がつく世界、中小事業者までキープレーヤーになり水産業界全体が盛り上がるような世界まで行けるんじゃないかという未来の解像度まで上がってきているということですかね。

山本さん:
まさにそうです。マクロで起きていることとミクロで起きていることが繋がっていないと結局実現できるイメージが持てるわけがないっていうのが肌感覚でわかってきていて。繋がればつながるほど、こういうことができそうだなって手段まで落とせるので、それがワクワク感になっています。

諸藤:
業界を知らない人から見ると、そしたら物流拠点を持つ大手が来たらどうなるんですかと考えるだろうし、業界内の既存の人はどうしてもしがらみがあるのでこれまでの商慣行から急にテクノロジーを入れてこうとはできないし、新参者がテックだけで入ってこれるかというとそんな単純なものじゃない。山本さんが今感じているのは、将来有望だけど足元が小さい領域で、ちゃんと事業を作り込んでいくことを時間をかけてやってきた醍醐味なんでしょうね。

山本さん:
そうですね。諸藤さんがよく言ってたのを思い出すんですけど、学ぶ時間がある業界かない業界かというのはすごい大きかったなと思っています。振り返ると試行錯誤する時間を随分とかけちゃったなという気がしますが、水産業界が参入障壁もあり見えにくい業界なので、どんどん新規参入がある業界ではなかったのもあって相当時間をかけて学ぶ余裕があったんだなと思っていて、そこは恵まれてたなと思いますね。

生鮮流通において不可欠な存在になっていきたい

諸藤:
すでに語ってもらった部分はありますが、さらに長期で、フーディソンをこういう状態にしたいなっていうビジョンはありますか?

山本さん:
フーディソンは、「生鮮流通に特化したプラットフォームを作り込むことで生鮮流通に新しい循環を作り出す」ことを目指しています。ここでいう新しい循環というのは持続可能な繋がりを指していて。それは、業界内の繋がりであり、顧客との繋がりであり、社会との繋がりでもある。そんな新しい循環を生み出す流れの範囲を広げたり、質を深めていったりすることをやっていきたいなと思っています。生鮮流通のなかで根を張って繋がりを広げていこうとしているので、生鮮流通において不可欠な存在になっていきたいですね。

具体的には、新しい循環を感じる体験を顧客とも社員ともしたい。理屈だけでビジョンを考えるんじゃなくて体験を通じてビジョンを理解してもらう。そうしていけるとお客様も含めた社会とも共存していける存在になると思うし、社員も何のために仕事をしてるのかがより分かりやすくなる。利益が上がっているだけじゃなくて、必要不可欠な存在になっていたいです。

先に述べたように、水産業界は構造が外の人からはわかりにくい部分もあるので、今回の上場を1つの機会と捉えて、生鮮流通のプラットフォーマーですっていう無機質な表現ではなく、この社会に新しい循環を作るというビジョンを起点に、多くの人と対話をして私たちの目指している世界を伝えていきたいなと考えています。

諸藤:
最後に、Reapraは山本さんが目指す世界観を共有していると思いますし、生鮮領域での産業創造について今後も株主という立場で支援させていただきたいと思います。まだまだ始まったばかりだと思いますが、超長期でビジョンを一緒に実現していきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。今日は、ありがとうございました!


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