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アクション五輪書01:マーシャルアート

石田憲一
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ロスト・インタビューをアクションの五輪書として読む

<マーシャルアート>
●イントロ
 ・なぜ分かりづらいか?
 ・結論:ネタバラシ的言いづらさを回避するために、曖昧さを最大限発揮して暗号的に解読のヒントを散りばめながらも、凄そうに思わせるようなツッコミ回避的発言を選択しているから。
 ・=ある意味高度だが、一聴しただけでは何を言っているかよくわからない。全てはアクションについての発言であるとして捉えることで、その全貌が見えてくる。→ただし少なくともアクション未経験者には分からないし、同様の経験や感想を抱いた者にしか分からないだろう。
 ・全ては非分離であるという前提
●「俳優として、武道家として、人間として必要なことは、全てマーシャル・アートから学んだ」
●このことからマーシャル・アートには、俳優として、武道家として、人間として必要なことが全て含まれている、と考えられる。
この中で用いられているコンバティブ・アーツとは、事実上マーシャル・アーツのことであろう。マーシャル・アートと語が被ることから、別表現として用いられたと考えるのが妥当である。
●マーシャル・アートと、コンバティブ・アーツ/マーシャル・アーツの差分がアクション表現の領域であるはずだが、彼にとっては格闘を表現すること=格闘芸術としてのマーシャル・アートが最重要概念であることから、実際はマーシャル・アート=アクションなのだろう。
●その意味はアートとして創作/表現することの中に、映画表現としてのアクションだけでなく武術も含まれると考えれば、ジークンドーもその創作の一環と言えるのではないか。
●<まとめ>
 ・マーシャル・アートはアクションの代用語であり、最重要概念。
 ・従ってマーシャル・アートと、マーシャル・アーツは別物。
 ・マーシャル・アーツの代用がコンバティブ・アーツである。(アートとアーツを意図的に使い分けている。)
 ・彼にとっては格闘を表現すること=格闘芸術としてのマーシャル・アートであり、そこにはオリジナル武術創作としてのジークンドーも、映画表現としてのアクションも含まれる(ただしこの時点では、メインフィールドがアクション(映画)に移行している。→つまり立ち位置のこと。

そんな話をしています。

<参考テキスト> 今回取り上げたパートの文字書き起こし。
Bruce Lee: Well, I mean, definitely in the beginning, I had no intention whatsoever, that what I was practicing, and what I'm still practicing now would lead to this, to begin with. But martial art has had a very, very deep meaning as far as my life is concerned because, as an actor, as a martial artist, as a human being, all these I have learned from martial art.
Pierre: Maybe for our audience who doesn't know what it means, you might be able to explain what exactly you mean by martial art?
Bruce Lee: Right. martial art includes all the combative arts like Karate…
Pierre: Judo.
Bruce Lee:...or Karate, Judo (agrees), Chinese Gung-fu, or Chinese boxing, whatever you call it. All those, you see, like Aikido, Korean Karate, and on and on and on. But it's a combative form of fighting. I mean some of them became sport, but some of them art still not. I mean some of them use, for intense, kicking to the groin, jabbing fingers to the eyes, things like that.

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