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【4日目】アンナプルナサーキット(ネパールでヒマラヤトレッキング)

現在2週間のアンナプルナ山脈一周(通称アンナプルナサーキット)のトレッキング中です。

■予定
ダラパニ(Dharapani,1920m)→ティマン(timan)でランチ→チャーメ(Chame,2670m)

■日記
【5:00】
起床。
昨日はしっかり21時には眠れ、8時間ぐっすり寝れた。
山にこもる時のこの健康生活感がたまらない。

【5:30】
部屋の外に出ると昨日一緒に登山を共にした犬のシェティがお出迎え。
しっぽを振って、ケーキでも何でも買ってあげたくなる。

【6:00】
妻も起床。犬嫌いの妻だが、シェティとはすっかり仲良くなった。
今日でお別れなのを察しているのか、どこか寂しい表情をしている。

【6:45】
朝食。妻はチベタンブレッドとオムレツ、私はそばの素材からできたパン。
二人でトマトスープをシェア。味はびっくりするくらいただのガーリックスープだった。

【8:00】
出発のパシャリ。宿スタッフのお姉さんも。

【8:15】
出発早々にチェックポイントがあり、入山許可証などをチェック

【8:20】
山の隙間からマナスル連峰がひょっこり見えてテンション上がる。(この後さんざん見えることになるが)

【8:30】
トカゲ発見。

【9:10】
ダラパニの次の村bagarchhapの光景。昨年の土砂災害の凄まじさを物語る。
村の最初の方は建物があったが、この写真のように村の大半が土砂にのまれてしまっている。

【9:45】
林道を歩く。セミも鳴いていて日本で登山しているかのようで、懐かしい気分に。

【10:00】
途中、おばちゃんの路上売店を発見。
全然登山者がいない今、一体1日に何人がここを通るのだろうか。

ガイドと妻を待っている間におばちゃんと仲良くなり、コーラを200円で購入。マナスル連峰を見ながらのコーラは格別だった。

【11:00】
ランチを食べる村に到着。マナスル連峰がこんな近くに見えるまで上がってきた。

【11:25】
今日は珍しく早くランチが到着。
私は野菜&卵ヌードルスープ、妻はチーズフライドライスを注文。

【11:50】
早々に食べて早々に出発。今日も妻が荷物持ちチャレンジを申し出てきたのでバトンタッチ。
目標は45分とのこと。疲れているのか昨日より下がった笑

【12:30】
通った村にりんご畑を発見。収穫の時期は9月〜10月とのこと。

【12:35】
村を通り過ぎるとすぐ、崖崩れ現場があり、まさに道を作っている最中だった。

次また大雨が降れば速攻で道は無くなってしまいそう。。。
これから来る雨季が心配だ。

おじさんは誰に雇われる訳でもなく、ただの村のひと。
心の底からダンニャバード(ヒンディー語でありがとう)を伝えて通り過ぎる。

【12:40】
妻が荷物を持ち始めて50分、階段地獄を前に交代するか聞いたが、「ラスト頑張る」とのことで約15分間の階段地獄を登る

登り切った妻。死にそうだが、まだ頑張ってみるとのことで、荷物持ち継続。

【13:00】
それから7分後。妻、限界を迎え、荷物持ちチェンジ。
今日の記録は1時間10分で過去最高記録。今日が一番辛かったらしい。

【13:10】
ヤギの群れに遭遇。この地域から上のヤギは見た目(種類?)が違うらしい

よく覚えていないが、確かに違う気が。ふさふさしてる気がする(多分)

【13:40】
今日の最終目的地の町の一つ手前の村(kota)に到着。

ここで再度、入山許可証等のチェック。ポリスに「いつまでネパールにいる予定だ?」と質問があり、ガイドもそんなこと聞かれるの初めてとのこと。

写っているのは南アフリカ人。
7年前にJICAでムトゥバトゥバに訪れたことを伝えると、女性はそんなど田舎に?!と驚かれた。
男性は、その土地すら知らなかった。

【13:55】
今日一番の思い出はここだ。
遠くからこの道を見てた時、みんな走ってるなーと思ったら、至る所で上の方からコロコロと小石が降っている。
拳くらいの石も転がっているのが見え、気を引き締める。
写真は子供2人を連れたおばさんが走ってこっちに向かってきている。子供の無邪気に楽しそうに走る姿を見ながら、石が当たらないことをただただ祈る。


落石リスクを最小限にするには、通ってる時間を短くする。
自分が通るタイミングで石が転がってこないかと足元を交互に見ながら、走り抜ける。

【14:00】
無事に切り抜けゼハゼハ言いながら少し歩くと、本日の最終目的地のチョーメ(Chome)に到着。
今日は昨日よりも道のり的にはイージーなような気がするが、標高が上がったからか、これまでの疲労があるのか、足が重くなることが多かった。

しかし、ここはチョーメだが飛び地の町で、宿泊する場所はもう少し歩くとのこと。
でも大丈夫、この段階になるといくらでも足は動く。

【14:10】
10分歩くとチョーメの中心地に到着。
すると建物と建物の間に巨大な石が。
いつかの土砂崩れの残骸で大きすぎて動かせないらしい。こんなものが転がってくると思うと、ゾッとする。

【14:20】
ガイドと綺麗そうな宿を探しながら歩き、結局町の終わりの方の宿に決定。

宿の裏手には、昨年の悲惨な土砂災害の爪痕がそのまま残っていた。

【14:25】
今日はしっかりシャワーでのお湯の出し方のレクチャーを受ける。今日は流石に寒すぎて水シャワーは無理。

使い方の説明というよりか、ガスが着火するかは、運次第って感じなのを見せられただけだった。
スイッチいれて、蛇口をひねれば、自動感知で勝手に起動するって言うので使い方もなにもない笑

今までの宿でもその作業はやっていたが、運が悪かっただけだったんだ...

【15:15】
シャワーを浴びたら昼寝欲がやばくなり、部屋にいると寝てしまうので宿のダイニングへ。
身体が標高慣れせずに昼寝をしてしまうと高山病リスクが高まるのでNGだ。
(睡眠時は呼吸が浅くなり、酸素を身体に取り込めなくなるため)

【15:30】
標高も高くなりかなり寒い。そこで、トレッキング前にいた都市ポカラで1000円も出して購入した味噌汁を飲むことに。
宿で50円のお湯(コップ一杯)を注文し、味噌汁を作る。

みなさんの想像通りの感想だが、馬鹿くそうまい。妻もこの表情だ。

一口一口、お味噌を味わいながら飲み干す。

【15:50】
ガイドのアドバイスで軽い散歩に。
チャーメのメインロードのすぐ横で崖崩れ。この道もいつ分断されてもおかしくない。

【16:10】
一際目立つ、カフェの看板を見ているとすごく良いキャラの店主がおいで〜と手招き。
これまでなら節約思考で渋ったが、今日は自然とお店に入る。


土砂災害の状況や観光客が少なく収入源を絶たれて数年の町や村を見て、できる限りお金を使おうと思った。もちろんばら撒くことは今は無理だが、欲しいと思ったり食べたいと思ったものは食べるようにすると決めた。

ポークハンバーガーとチョコレートケーキ。
あとは二人ともブラックコーヒーを注文。
ハンバーガーは珍しくポークで作ったお肉が挟まれていた。

これで750円。この標高とクオリティを考えれば全然安い。
お庭では子供たちが鼻水を垂らしながらトランプタワーを作って遊んでいた。

ここのカフェ(隣接してる宿もやってる)を経営している親子。


将来、私の子供とでも再度訪れた時、またこの親子に会いたいな。ちなみにこの息子がオーダーを取ってくれたのだが、メニューに私の大好きなアメリカンドックのような絵がありメニューにはCornDogと書いてある。
どんなものか息子に聞くと、超詳しくおすすめだよと言ってきたので、それを頼んだら今日は材料が無いから作れないと(笑)
この2分ほどの説明&質疑応答タイムとお薦め力説は何だったんだ(笑)と思ったが、その後の彼の所作から、わからない私たちに対する彼の親切心だと納得する。

【18:00】
宿に戻るとすぐに夕食。
さっきハンバーガーを食べたが、私は今日もミックスピザ。
妻は今日もブレずにダルバート。

登山中の胃袋はすごいな。めちゃめちゃ食べれる。そして早食い(身体に悪いが)

【18:40】
食後、ダイニングの暖炉に火をつけてくれた。

より一層眠くなるが、ガイドの指示で、今日の疲れを取るため暖炉の前でストレッチ。

【19:30】
ダイニングで宿スタッフの方やガイドのシヴァさん達と談笑しながら、この日記を書いたり、データ整理をしたり少しPCワーク。
(相変わらず動画編集までは手をつけられない・・)

【20:30】
今日もガイドのシヴァさんからネパール文化講座。シヴァさんのスマホに入ってる写真から祭りや家族行事の様子を説明してもらう。

【21:00】
部屋に戻り、あとはネットサーフィンをして寝るだけ。やっと寝れる。21時30分に就寝予定。

■明日の予定
明日は、また8時に出発し、ここから標高を一気に660m上げたウッパーピサン(Upper Pisang)を目指す。
高山病になりやすくなると言われる2800mを超え、3310m地点へ行くので、しっかり休み明日に備える。

おやすみなさい。

■あとがき
私は東京育ち(東京の中でも田舎な練馬ですが)で、土砂災害は正直遠い存在だった。日本でニュースになっても、割と近い千葉や熱海のニュースを見てやっと身近に感じる程度。

しかし今日の道のりで通ったいくつもの村や道中で、土砂災害の爪痕を目の当たりにし、また国土のほとんどが山脈地帯で鉄道もなく、物流コストが高いネパールでは復旧スピードにも限りがある。
その上、コロナ禍での国財枯渇による政府の支援もなく、どの村でも皆自分たちで石を割り、人の足で砂を持ちながら山を歩き、限りあるトラクターでそれらを運び、やっと瓦礫の撤去や一部建物の復旧にありつける程度だ。

地元の方々は、よくここの土砂崩れの現場は、世界にニュースでよく流れてたよと言う。
ガイドのシヴァさんからでさえ、5カ所以上でそれを聞いたが、正直一つも見ていない。昨年、この地域一帯で、大規模な土砂災害があったことさえ、知らない。
そのことをガイドのシヴァさんには伝えられず、ただただその現場を目に焼き付けることしかできなかった。

このような政府に何も期待できない状況で、単に少額のお金をちまちま落とすだけでなく、一つでも村単位で支援できるチカラが欲しいと思う今日でした。

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