本田圭佑のさん付け解説について
題名の話題について、かなり賛同する論調になってます。
本田圭佑自身もなんで笑われるかわからない、関係が深くもない先輩に偉そうにされると誰?みたいに思うと。
……これを読んでホントおれ、おっさんになっちゃったなあ、て自己嫌悪に陥りました。
おそらく本田圭佑と呼び捨てにしてるおれはなんなの?そんな偉いの?てところですが、有名人を呼び捨てにした所で深い意味なんてないです。
ただ、それだけ。
有名人の前でファンとして対面できることがあれば、その時は『さん付け』して対応すると思います。
ホント深い意味なんてない。
サッカー選手として、まして日本代表として、人生の先輩としての立場の本田圭佑がすべての選手を呼び捨てにしたところで何も思わないし、何も悪いことじゃないと思います。
それが話題になってああだこうだ評価の対象になる世の中が、なんかかったるいなあ、て思っちゃいます。
関係が浅かろうが、なんで部下や後輩に『さん付け』しないと偉そうな上下関係になるのか意味がわからない。
そんなお前は人として偉いのか、て言われたらもちろんおれは何者でもない。
じゃあ部下や後輩は偉いのか。
同じくほとんどの人間は何者でもないでしょう。
人としてお互い尊重するへきでしょ、だから『さん付け』しましょう、てことがわからないの?と。
……2回目ですが、かったるいですわ。
こういう世の中。
なんか、いろんなことに潔癖症というか。
人として尊重するのは良いとして、呼び捨てにしたところで尊重してないとも言えないでしょう。
もしかして、呼び捨てにされて萎縮したりやる気をなくしたりなんてないよね。
そんなの…逆に怖い。
そんなガラスのような脆い人間、壊すのが怖くて触れられない。
こちらから離れないとダメかもしれない。
本田圭佑にも正直、あんたが言わないでよ。言葉に影響力あるんだから、て思っちゃいます。
『特に深い意味なんてないですよ、外から見たら代表てすごいことやってるよな、てリスペクトしたくなって、テヘペロ』
くらいに言っといてくれたらいいのに、て思っちゃいます。
今の世の中は『さん付けいいね!』て感覚がマジョリティなのか、と感じること自体がおっさん化を感じます。
なんか、独りで生きていかないとしんどいな、て思ったり。
マジョリティの感覚と分かり合えるとは思わないし、分かり合いたいとも思えないし。
読んでくれた人、誰をディスりたいわけじゃないことは知ってほしいです。
むしろ、自己嫌悪に陥ったわけです。
感覚についていけないな、残念だな、て。
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