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自己紹介

少し変わったアラフォーおじさんです。時間軸での自己紹介を簡単に。

タイトル的には、後半の方が面白そうだけど、一つ一つをまじめに書くと膨大な量になるので、概要だけさらっと。




今の暮らし

ある地方の町で、今にも潰れそうな町工場で働いている。
数年前に結婚したが、結婚生活の方はうまくいっていない。

仕事の方は、ぼちぼち。
何をやっているかは、本筋の方で少しずつ書いていく。



最近は、仕事に必要になりそうな国家資格試験を3つ受験。
1次試験は6割取ればいいものを、意味もなく満点を目指したりしている。1つは満点が取れる。1つは2問落とす。

数か月後の2次試験に向けて準備しなければいけないなと思いつつ、noteを始めてしまったので、反応があれば、noteに比重が移るかもしれない。

趣味は特になく、暇な時間はyoutubeをだらだら見ている。

基本引きこもり体質で、ネットがあれば何か月でも引きこもることもできる。
たまに、スイッチが入って、すごいエネルギーを出して何か始めたりする。


生まれ

地方の田舎町生まれ。
どこにでもいるような、サラリーマンの父とパートの母の間の3人兄弟の長男。

小学校以前の記憶はあまりない。

中学時代 ~人と違うことを自覚~

まだ、家にネットにつながるパソコンが有るか無いかの時代に、ジャンプやゲームよりも、新聞の方が面白かった、中学生時代。
このくらいに、人とは少し違っていると認識したけれど、人に合わせることもなく、自分の道を突き進む。

高専時代 ~ボッチ陰キャでネット漬け~

受験勉強も就活もしたくなくて入った高専。
10代後半の5年間。友達も恋人もいなく、部活もバイトも受験もなくて、莫大な時間がある。
パソコンを買って、部屋でネットが使えるようになってからは、ひたすらヤフーニュースとWikipediaを見ていた。株式投資を始めてからは、余計にニュースを追っていた。

高専専攻科時代 ~人生を変える出会い~

20歳になり、高専卒業の年。
やっぱり、就職したくもないし、大学編入するのもめんどくさいので、高専にある専攻科という所へ進学。5年+2年で大卒の資格が取れる。

この専攻科に入った二十歳のころに人生を変える出会いが訪れる。
強制参加のインターンで出会ったのが、たまたまゼミで地域の視察に来ていた東京の大学生たち。

人生で初めて、「合う」と感じる人たちと出会った。

そこで(自称)お姫様に出会い、人生が変わる。
周りから見れば、都合よく使われているだけに見えるけど、一緒にいることで出会う場所や人たちが面白い。半分ゼミの活動、半分趣味みたいな感じで、しょっちゅう田舎に来ていた。

それまで、友達もおらず、家と学校の往復で、ずっとパソコンに向かっていたのに、毎週のようにどこかへ出かけたり、授業終わりに夜行バスで東京に行ったり、ヒッチハイクやバックパッカーもするようになった。


もう一つ、ネット系で大きな出会いがmixi。
地域の活動でつながった人たちとの交流ができるのもあるけど、もっと面白かったのはmixiニュース。
一つのニュースに対して、多くの一般人が、感想を書いて、一覧でみられる。匿名ではなく、知り合いも見ているので、ある程度しっかり書いてあり、自己紹介や他の投稿から、その人の事も想像できる。

たぶん、一つの事柄について、多くの一般人の考えを知ることができるようになったのは、人類史上でも初めての大きな出来事。そして、分断が進んだ現在のネットでは同じような物はもう生まれないと思う。
暇な学生時代に、そこに多くの時間を使えたのは、とてもよかった。


サラリーマン時代 ~完全に挫折~

しかし訪れる、就活の時期。
もう一年東京の大学生たちと出会うのが早かったら、たぶん、地域活動系に進んでいたが、新卒カードで大企業に入れるのも最初だけだろうと思い、地元に工場がある某大手電器メーカーに学校推薦で対策なしの面接一回で就活終わり。

地元の工場で生産技術の仕事。
1年目から、5千万以上使って、工場内のレイアウト変更等を行う。

元々のコミュ障が治ったわけでもなく、徹底的に楽して結果を得られるように過ごして、バイトもしたことがない人間が、受験、就活と本気でやってきた大企業のエリート達と渡り合えることもなく、残業時間だけが増えていく。

2年目、大きな仕事がひと段落して、わかりやすく燃え尽き症候群→鬱→休職→復帰→退職。


保育士の専門学校時代 ~新しい世界~

25歳で退職して、自分の中で定年とした。(お金は全然ないけど)これからは、老後で悠々自適に好きに生きていこうと思った。

なぜ保育士を目指したかは、長くなるので今は割愛。

都合よく、教育訓練給付金を受けられ、2年間専門学校に通って、保育士の資格と、通信の短大で幼稚園教諭2種の免許を取得した。

そして、この専門学校でカルチャーショックを受ける。


文字通り名前が書ければ入れる専門学校は、本当に動物園みたいだった。
勉強ができないのは当たり前、授業中も普通にしゃべる、休み時間に教室で水鉄砲をしたりする、妊娠して退学、先生がモーニングコールしている。

でも、何か、みんな楽しそう。そして、社会に出てもなんだかんだやっていけている。


公務員試験と公務員時代 ~全く合わない~

短い学生生活も終わりが近づき、また就活の時期。自分で保育園を作りたかったけど、色々あり、形だけの就活をする。
私立はどこでも受かりそうだったので受けず、公務員試験は勉強してないので落ちると思ったら、1次は二つとも通ってしまった。二次試験は、県庁所在地の市のは最初から落ちるようにふざけて受けて、地元の方は全く対策もせずに行った。後から知ったが、裏の力もあり、面接と作文だけで、落ちるための対策をしてない試験は、通ってしまった。


公立保育園の正規職員として働くことになるが、世界最先端の工場から、明治からほとんど変わってない職場への転職である。ありえないほど非効率で非生産的。

まあ、半年で辞めた。

田舎の若い公務員なんて、給料は大企業の半分で、職場環境は最低だし、全く後悔はない。
介護や保育、教育の労働条件が悪いのは、役所や政治家が原因ではない。働く人の、コストや効率化の意識の低さの表れである。

半年しかいなかったけど、増える一方だった行事を翌年から減らすことはできた。
本当は、1年であと10個くらいやりたいことがあったが、あまりにも動きが遅い。
ポジティブな事に使うエネルギーの100倍くらい、古いやり方を変えるのはエネルギーが必要そうだった。

学校を作る ~山奥で自由な学校を~ ※長くなるため、別記事で。

長くなるので、またそのうち、別記事で。

今あるものを変えるよりも作った方が早いので、4歳から18歳まで通える、授業もテストも何もない、やりたいことをやる学校を某県の山奥で立ち上げた。

東京生活 ~年収100万円で東京生活~

学校は、一緒に立ち上げた人が今でも続けているが、他にもやってみたいことが有ったので、東京に引っ越した。

やってみたい事というのは、新しいものを作るのでも、何かの職業でもなく、年収100万円で東京で自活生活を試してみたかった。東京の区部で100万円で生活できれば、日本中で出来るはずである。

100万円で生活できる最大のメリットは、生活のために働くのは、バイトで1年の半分働けば十分なこと。
安い給料で朝から夜まで働いて、疲れ切って、時間やストレス発散のために無駄金を使って、苦しい生活をする人が多すぎる。

貧困問題やその他社会問題を、税金も支援者も必要なく、解決する糸口になりそうな気がした。

結論は、100万円で生活はできるけど、究極の自己管理能力と、周りの目を気にしないで自分のやり方を通す必要がある。
そこまでできる人は、簡単にお金を稼げるし、貧乏にもならない。

地方の町へ移住 ~フリーター結婚する~

30代半ばになり、最初の会社を退職してから約10年、自由にやりたい事をやりたいようにやって生きてきた。

そもそも、モテるための努力が全くできず、人に合わせるのが苦手で、自分の容姿にも全く興味がない。この時までに付き合った女性も1人だけで、短期間である。

さんざん社会の方を見てきて、それも飽きてきて、子どもも欲しいと思ったし、家族で仲良く暮らすのもいいかと思えてきた。
結婚市場での需要と供給を考えたときに、年齢的にもそろそろ限界。
見た目もカッコよくない、女性経験も少ない年収100万円のフリーターである。婚活した時はフリーターですらなく、ただの無職。普通なら結婚しようとすら思わないかもしれない。

まあ、東京で色々やってみて、結婚するために、今暮らしている町へ移住してきた。


約10年ぶりに正社員で就職 ~上場企業を蹴って町工場へ就職~

移住しても、そんなに働きたくないし、フリーターをやっていた。
たまたまコロナ禍でも絶好調な東証上場企業の直営のお店で、初出勤の翌日から店長に正社員になれとよく誘われていたが、大変そうなのでいつも適当に断っていた。

そうこうしているうち、たまたまボランティア先で知り合った、スタッフのおばあさんが、旦那と会社をしているという。
就職する気はなかったが、工場見学とかは好きだったので、軽い気持ちで見に行った。

それが、84歳の社長が死んだら終わる会社。

地方で年収700万円を目指せる上場企業の正社員と、いつ無くなるかもわからない安月給の極小町工場。

30代も後半に向かう、結婚を控えた履歴書ボロボロのおじさんに、選択の余地はないだろう。

こんな面白そうな町工場を放っておくわけがない。

おわりに

自分では、あまり変な生き方をしてきたつもりはないけれど、改めて文章化してみると、色々な経験をしてきたと思う。

これだけ書いても、省略した話の方がはるかに多い。

いい大学に入って、いい会社に入って、長く働くが正しいとされる古い価値観で生きていると、これらの経験のほとんどができなかったと思うとちょっと怖い。

今回は時間軸での自己紹介で、概要だけなので、一貫性がないけれど、価値観軸で書けば、もう少し筋が通る。

本筋の話ではないので、需要があれば書いていく。

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