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一度きりのファンレター

昔からほとんどコレクターの域じゃないかしら
と思うくらい、ノートが好きだ。

使う用途が決まっていないのに、
街で素敵なノートを見つけると
ついつい買ってしまう。

表紙がキレイな色だったり、
表紙の文字フォントがおしゃれだったりすると
なんだか嬉しい。

輸入モノのノートにも目がなくて、
輸入雑貨のお店にふらっと入っては
数少なく入荷しているノートを買ってしまう。

このノートはポルトガルからやって来たのか〜。なんて一人で思いながら。
(もしかすると声に出てるかも。笑)

買ったノートの使いかたは様々だけど、
おもに「モーニングダイアリー」というのを
つけるために使っている。

きちんとした文章を書こうとしないで、
そのとき頭に浮かんだことを、
そこはかとなく文字に落としていくもの。

良いこと書かなきゃ。とか一切思わないで、
とにかく浮かんだことを、つらつらと。

モーニングダイアリーは、
頭の中の煤(すす)を取りのぞくみたいに
作用する気がしている。

とりあえず良いも悪いも、
いったん洗い流してしまいましょう。
という感じに。

数年経って見返すことがあって、
そんなときは、当時の自分と再会している
みたいな感じがして面白い。

つい先日、2012年のノートをめくっていた。

このとき使っていたノートは、
鮮やかなえんじ色のリングノートで、
背表紙にポケットが付いている。

そのポケットにたった一枚、
葉書が入っていた。

それは、エッセイストの
中山庸子さんからの葉書。

20代の頃からわたしは中山さんの大ファンで、
エッセイはほぼすべて読破している。

日常の中に何気なく緑や花を飾ったり、
ささやかで美しいものを数少なく持つ
というライフスタイルは、
中山さんの影響を受けていると思う。

中山さんのあり方・生き方にも、
当時からすごく共感していて、
日々のささやかな願いごとを書き留めておく
「夢ノート」もつけていた。

ひとつ前のnoteでも書いたように、
2012年は転機の年だった。

このときの私には、
これをしたい。こうありたい。
という願いと夢があって、
それをモーニングダイアリーに記していた。

自信がなくて辛い毎日だったから、
心にふわっと浮かぶ願いを、
自分の中だけで留めておいたら
すぐに消え失せてしまいそうで、
無かったことになってしまいそうで、
誰かに受け取ってほしかった。

普通は家族や友達に話すんだろうけど、
そのときわたしはなぜか、
人生初めてのファンレターを
中山さんに宛てて書いたのだった。

わたしが誰かにファンレターを書いたのは、
後にも先にもこのとき一度きりで、
宛先もよくわからず中山さんの本の
最後のページに印刷してあった
出版社の住所宛てに手紙を出した。

えんじ色のノートには、
そのときの下書きが残っていて、
そこには、わたしが中山さんの本にこれまで
どれほど支えられてきたかという感謝の言葉と
これからの人生に対する願いや夢が
書いてあった。

言葉に表面張力があるなら、
こうゆう感じだろうと思う。

今にも溢れ出してしまいそうな
感情がそこには現れていて。

たしか、3枚くらいの手紙だったと思う。

出版社に送っても、著者に届くのかどうか
確信もないまま、ただ届くことを願って
投函したのだった。

そして1ヶ月くらい経ったころ。
中山さんから、1枚の葉書が届いた。

本を読んで想像していた中山さんの、
いかにも中山さんらしい、
優しくてあったかい字で書かれた
「お便りありがとうございました!
とっても嬉しかったです。
お互いこれからもユメにむかって
いきましょう」というメッセージ。

その飾り気がなくて優しい質感の紙に、
中山さんがペンで文字を書いて、
切手を貼ってくれたんだな。

そう思うと、うれしくて涙がでた。

そして
「ユメに向かって頑張ってください」ではなく
「お互いこれからもユメにむかって
いきましょう」という言葉に、
ものすごく感動し、勇気が湧いた。

憧れの中山さんであっても、
いまもなおユメに向かっているんだと。

それから色んなことが起こって、
そのときのわたしの願いは、
必要な時間をかけて少しづつ、
いろんなカタチを通して、
ほとんど叶っていったように思う。

今あらためて、自分の願いや夢、
ありたい未来のイメージを、
たとえ拙くても、たとえ荒削りでも、
あのとき勇気を出して中山さんに伝えて、
本当に良かったと思う。

人の願いは、雲みたいにもろい。

だからもしも、願いが生まれたのなら、
すぐに意識の外に取り出してあげることが
大事なんだと思う。

そしてもっと大事なのは、
それを優しく受け止めてくれる誰かと、
分かち合うことだとも思う。

たとえ自分で「こんなこと願うなんて、
わたしバカみたい…」
と思えてしまうようなことであっても。

そっと耳を傾けて分かち合ってくれる誰かに
その願いについて語るとき、
言葉はどんどん力を帯びていく。

そして語れば語るほど、きっとその言葉は、
ただのもろい願いゴトじゃなくなっていく
のだと思う。

だから、
わたし何言っちゃってるの?などと思わずに、
願いを言葉にして語り合いたい。

そして、大切な誰かの願いも、
心から耳を傾けたいなって思う。

それはあの頃、
心が痩せ細ってしまっていたわたしが
中山さんから受け取った優しいGIFTで、
今度はわたしが誰かにGIFTしていきたいと
心から願っていることだから。


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