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自然への入り口はどこから

いざはんのう森林みらい塾第3回に向かう前日、ふと本屋である本が目についた。「木」…何の捻りもないストイックな題名に、木に対しての思慮深さというかもはや畏敬のような意思を感じて手に取ると、幸田露伴という作家の次女である幸田文が書いた樹木や草木に関する随筆集のようだった。

幸田文「木」表紙も渋い

まず「エゾ松の更新」という章から始まる。静かに見えてドラマチックな森林の世代交代、樹木を観察すると履歴書のようにこの木に何があったのか分かること、森林を歩き樹木と対峙したときの圧倒…。まさに私が森林で目にしたいものが幸田文の感情豊かな文章で表現されていた。感銘を受けながら読み進めると、ある一文が自分と重なった。

「どういう切掛けから、草木に心をよせるようになったのか、ときかれた。心をよせるなど、そんなしっかりしたことではない。毎日のくらしに織込まれて見聞きする草木のことで、ただちっとばかり気持がうるむという、そんな程度の思いなのである。」

幸田文「木」より

私が飯能で森林の講座を受けていると言うと、決まって聞かれるのが「どうしてそんなに自然が私を惹きつけたのか?」という質問だった。子どものころからずっと自然は好きだったが(どちらかというとずっと海や魚ばかりに興味があった)、ここ最近の私がその程度ではないほど自然に入れ込んでいるのは明らかだった。でも、何故かと聞かれると幸田文のように、ささやかな解答しか出てこない。日常生活でずっと自然の気配を見つけて心の肥やしにしているうちに、あらゆるものの源流に自然があることが浮かび上がってくるようになってきた。すると、自然のことをあまりに知らなさすぎることに気がつく。気になる、知らないままではいられない!そうして森林に入って自然に日々向き合い続けている人たちの話が聞きたくなった矢先に目の前に現れたのが、はんのう森林みらい塾だった。

はんのう森林みらい塾の塾生には、林業に長く携わるプロや林業を勉強している人から、自分の生業に林業の知識を活かしたいという人まで経験の幅はもちろん、バックグラウンドの違う多様な人たちが集まっている。その中で私はただ自然に興味があり木とそれに関わる人のことが知りたいというだけで、一番の門外漢だったと思う。講師や他の塾生から伺うことも森林や現場で実際に目にすることも私には新鮮で、自宅に戻った翌日は学んだことや目にしたことが頭を駆け巡り知恵熱が出た。仕事に戻りパソコンを眺めながら、頭の中には自然の力強さと賢さ、それに関わる人たちの熱意が弾け続ける。こんなに頭と体を総動員して学んで、考えて、感じることは中々無い。得難い幸せな経験だと思うし、私はそれからより自然にのめり込むようになった。

自然はミクロからマクロまで

私の自然への探求は始まって間もない。先輩たちに教わることも実際に目にする光景も鮮烈で、どんどん引き込まれる。実はこの文章は、はんのう森林みらい塾第3回目に向かう道中に書いていて、今回も自分が何を感じるか考えるか楽しみで浮き足立っている。

リサ

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