常に新しいということ

月のうちに何度か逃げ出さねばならない衝動に駆られしかしそれを怠惰や惰性が慰めてくれるので俺は、生活を続けている。こんな生活にも性格にもいい加減飽きが来ているのだけれど、それでもあの、根なし草になる瞬間の寒々とした雰囲気は他では得られない特別な体験のような気がする。放り投げられてしまった俺はどうして?

 トータスのアルバムを買った。トータスの新しいアルバムを買うたびに驚きがあるのだけれど、前に発売された新作『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』は本当にすごかった。俺は何かを意識する時に、それが好みであるかまた質が高いか、という判断を瞬時に下してしまうのだけれど(これは品のないことだろうか?)トータスの新作は好みであるし恐ろしく質の高いものだった。あえて例えるなら密度の高いしかし少し色気に乏しいthird『TNT』と俺の大好きなファーストに近いアプローチの4th『スタンダーズ』からいいところどりをしたような荒々しくも新しく、そう、新しい、魅力的なアルバムだった。

 ライナーノーツにギターの「優れたポップ・ミュージックというのは、全ての要素があるべき」というコメントが載っていたのだが、俺もそれには同感であって、しかしそのアプローチを貫徹するのは極めて困難であり、よほどの自信がなければ言えないであろうが、こういったコメントを残したのは彼らが極めて完成度の高い前作『イッツ・オール・アラウンド・ユー』を作り上げたからだろう。しかし、俺は五年前に出た前作を大学のころ聞いて、衝撃とともに、完成度の高さに少し興ざめしたこともはっきりと覚えている。単に俺の好みとは合わなかったのかもしれないが、おそるべきまとまりのよさは知的な構築行為のなれの果てのように、この先を暗示させない代物だった。

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