ナイトメアサバイバル或いは僕はくたばりたくない
小説を書き上げて、腑抜けになる。この雑記でもそうなのだが、俺は本当に誤字脱字やらが多い。普段はほぼ推敲や読み直しをしない。自分の書いたものを何度も見返すのは多少面白いが、苦痛。でもそれから解放されると、変な気分になる。俺に何か能力があるとするならば文章を書くこと位で、しかしそれで俺の生活が変わるわけでもない。でも、書かずにはいられない。俺の感情の、日々を彩った残骸たち。墓標。
花屋の花束にわれもこうが並んでいて、あの赤茶色の細長いのを見るとなぜだか秋を思う。ボルドー色に近い=秋、とかいう単純な想起だろうか? 個人的には黄色のミモザも秋ってイメージがあるが。
図書館で鉱石の本をたくさん借りて読んでいる。鉱石、たのしいな、欲しいな。ついでに澁澤龍彦の『犬狼都市』を借りて再読する。シンプルな小品、といった作だが、澁澤の小説の中では一番好きかもしれない。
「婚約指輪が送られてきたというのに、お前は手に取ってみようともしないで、今までどこを歩きまわっていたのだね」と父親が咎めるように言うのを聞き流して、麗子は、肩からさっさと重い二連銃をはずし、革のジャンパーをぬぐと、射ちおとしてきた五六羽の小鳥の、まだなまあたたかい骸を、ひとかたまりにして、テーブルの上にどさりと投げ出した。マニキュアの紅の上に死んだ小鳥の血が点々と凝(こご)って、蛍光灯の明かりの下に、娘の爪はむしろ黒かった。
冒頭の一段落を引用してみたが、薫り高く、わくわくする書き出しだと思う。幻想文学とか、こういうディレッタントというか、かっこつけ文学が流行らなくなって久しい、というか、そもそもそんなものはごく一部の金持ちや貧民の趣味人の楽しみでしかなかったからかもしれない。
でも、俺が一等好きなのは、そういう金持ちや持たざる者の傲岸で間抜けなエレガンスなんだ。
ふと、俺も大人の為の童話……豪奢で優雅で本として所有したい鉱物のような小品。奢灞都館みたいなのを自分の手で監修して出版してみたいなあ、と思うが資金面で確実に頓挫する未来しか見えない。
そういうのは働き者に許された権利なのだ、残念なことに。
俺はゲーム実況が好きで、家ではよく垂れ流しているのだが、童話や詩の朗読チャンネルみたいなのがあればなあとたまに感じていた。いや、探せばきっとあるだろう。でもその人の声が自分の好みかはまた別の問題だ。
無いなら作ればいい、と暇人は思ったが、それより働き口を見つけねばならない……一生涯休職中、求職中。酷い有様だ。俺はノマドでも『綱渡り芸人』でもない。屍人のごとき遊民。
頭のことは常に別のことばかり。
だから気分転換に現実逃避に死の朗読を あ、詩の朗読でもしたり童話を朗読の配信をしてみようかなと思いがわいて、でもこんな無駄な雑記を書いたうえでそれもするなんて、ほんと金持ちの道楽レベルだ。
でも、何かしら新しいことはしたいなと思っている。
もう一つ頭にあるのは、アイドルポップスの作詞をすること。勿論アイドルをプロデュースする能力もなければ楽譜も読めない。何をしたいのかと言えばつまり、スパンクハッピーやピチカートファイヴの真似事をしたい、というようなことで、でもそれには俺がエレガント、或いはゴージャスな「ふり」をしなければならない。「ふり」だけならば金で解決できることだが、俺には金がない。でも、歌詞だけなら、短い詩だけなら大丈夫かもしれない。誤魔化せるかもしれない(才があるならば)。
エレガントについて、断片的な歌詞を頭の中で弄ぶことがある。頭の中に物語の場面が浮かび上がることがある。短編小説というよりもむしろ、ハウスミュージックに合わせたい詩、言葉が。使い捨てられたいキュートで豪華なエレガンスが。
家で寝すぎている位なら、現実へのリハビリテーションとして作詞か詩の朗読はいいかもしれない。というか、数年前俺がかなりやばかった時、身体を動かさねばという目的で、公民館の前でラジオ体操の後でボリス・ヴィアンの『ぼくはくたばりたくない』を朗読するという健康法を行っていたことを思い出した。
とにかく、声を出すのは身体にいいらしい。
ALI PROJECT - 薔薇色翠星歌劇団 (Bara-iro Suisei Kageki-dan)
アリプロジェクトの中でもとても好きな曲。
わたしはPoete 祈りのペンで ひとりぼっちで 詩う
これを聞いていると、自分の都合のよい解釈で、一人きりでする詩の朗読って素敵なことのような錯覚をしてしまう。
でも、意味のないことを馬鹿らしいことを愛のことをエレガンスのことを愛さねば、きっと退屈で死んでしまう。少し、健康になりたいと思う。