ファンシーと暴力は、わりと俺に優しいんだ

ぼくはこどもだから、ねるときぬいぐるみとねます。

ぬいぐるみがいると、よくねむれます

永眠できます。

ぼくはこどもだから死んだらげーむします。

ファミコンとゲームボーイで発売された さんりおカーニバルやります。

「サンリオ」ブランドのファンシーなキャラクター達を使った落ち物パズル。

なんですけど、ネットのwikiで書かれてる「ポイント」って項目が

便乗企画にキャラを乗せて出来上がり 

 って描かれててさ、ほんと端的にこのゲームの全てを表していて、ああ、しょーもねーゲームだなあって思うわけ。キティちゃんやけろけろけろっぴやはんぎょどんとか、百年前のキャラを三つ並べて消すだけ。それだけ。ほんっと、つまんねーし俺なんでこんなゲームしてんだよキティーちゃん好きでも嫌いでもねーんだけどさ、てかさ、俺パズルゲームそこそこ好きなんだけど、大抵早く死ねばいいのにって思ってるのプレイしながら。だって、同じことの繰り返しなんだもん。同じことの繰り返し。早くゲームオーバーにならないのかなって思いながらもプレイ。でも、このゲームの曲がいいんだよね。聞いてると情緒不安定になれるんだよね。



(FC/NES)サンリオカーニバル/Sanrio Carnival-Soundtrack


 こんなのもネットにあるってすごいな。てかさ、この作曲者、マッピーやメトロクロスの大野木宜幸なんだよね。同じ曲が一分半くらいでループするんだけど、どれもこれもいい曲ばっか。ラリってくる。マジで。ほんと好きなの。曲の題名も「あしたのてんき」とか「ひるごはん」とかだよ。いい年してあしたのてんき、プレイ。サンリオカーニバルのゲーム自体はなにも面白くないんだけど、曲が好きでたまーにプレイするんだ。でも、なんで俺、けろっぴやぽちゃっこ消してんだろうって思うと、正気度が削られてくる。ぬいぐるみとねてるばあいじゃないんだ僕。

 ということで、けろっぴも大好きな市川崑監督『黒い十人の女』再び見る。この映画ほんと好き。俳優がすごく豪華で、わくわくパーティ感満載!

アイドル映画ってこういうことなのかな。

 船越英二のひとでなしひとたらしも、山本富士子の選ばれた本妻の余裕も、岸恵子の強気と強がりも、岸田今日子の利発で感情的な厄介さも、宮城まり子のぞっとするような献身も、中村玉緒のはすっぱな若い魅力も、すごく贅沢でわくわくする。

 美男美女も美男美女じゃなくても、とりあえず穴ぼこだらけの殺人計画というのはキュートだからした方がいいんだきっと。てかさ、俺、ミステリとかホラーとか駄目なんだ。トリックも謎もちっともわかんない、興味ない。だからこういう悲喜劇がすごくしっくりくる。驚かせる、驚く要素に興味ないんだよ俺嘘。ルビッチの映画好き。

 はんぎょどんが好きな映画も見る。というか、単に映画の返却期限が迫ってたから映画見てるだけなんだよね。また、昔見た映画見る。デレク・ジャーマンの『カラヴァッジオ』見る。

 ちなみに今アマゾン見たら、デレク と テレク って誤字あった。でも、俺のいつもの文章なんて誤字脱字祭りだからなー許せちゃうなー。人生バグばっか。

 で、カラヴァッジオの人生ってバグ、というか犯罪まみれ、というか殺人犯。刑法に抵触する系アーティストはそれなりにいるけれど、殺人って珍しくない? 他に誰か思い浮かばない。まあ、殺人だけじゃなくて、すごい評判悪いよね。ほんとかどうか知らないけど確かめようがないけど。

 たまにアーティストの評伝を目にすると、ボロクソに書かれている人がいて、これ、いいのかなあと不思議な気持ちになる。メープルソープ、フランシス・ベーコン、ファスビンダー。あ、全員気難しいゲイの芸術家だ。まあ、たまたまでしょう。たまたまだきっと。それに、作品が良ければそれでいい。俺は他人なんだから! 他人の癖に、誰かの生きざまについて考えるんだ。

 船越英二は映画の中で、山本富士子に「十人も関係を持つなんて」と詰め寄られてこう返す。

「何で10人なの? 40人は親しくしているよ?」

 これが面白いのは映画の中の話だからだろうか? クズが面白いのは屑を楽しめてしまうのは映画の中だから? 事実は小説よりも奇なり、なんてお言葉があるけれど、ともかく、俺にとっては何かを楽しみにしなければ楽しみに感じられなくっちゃあ辛い。屑でもまともでも人並みでもいい、だから、楽しみを。楽しみをくれよ映画みたいな退屈なゲームみたいな。

 久しぶりに見る『カラヴァッジオ』は、やはりとても素敵だった。暴力と愛の映画。伝記、実際の出来事について本やら映画やらになるってことは、さらに嘘がフィクションが増すってことなんだけれど、ジャーマンが映画でやりたいことはわりと一貫しているような気がして、つまり、彼が撮るのは男同士のロマンチックエロチック。

 その主題に、カラヴァッジオの持つ絵画の魅力は重なるように思えたし、絵画としてのカラヴァッジオ、鮮やかな色彩と人を引き込む構図筆力、といったものが映画でも表現されていてよかった。

 人の一生、というよりかは、交合と絵画の繰り返し。絵のモデルのになつている人物たちをモデルとして撮る手法は演劇的な、舞台上のできごとといった感じで、時代にはそぐわないタイプライターや計算機がわざと登場するような、虚構のストーリーにとても合っていた。そして、虚構と、愛し合う男たち。

 映画なんて、二時間も90分もじっとしているなんて正気じゃできないから、好きじゃないんだ、でも、そういうことしてると、人生って俺の人生って豊かだ、って錯覚してしまえる時がある。

 カーニバル。

 素敵な単語だ。実際のお祭りに参加したい、というわけでもないのに、どこかの国のどこかのお祭りを想像すると心が軽くなる、だから行かなくっちゃ。ぬいぐるみなんて捨ててそして新しい店でぬいぐるみを買って家に持ち帰って捨ててゲーム。とにかく行かなくっちゃ。ファンシーと暴力は、わりと俺に優しいんだ。



生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。