もしも、殺し屋なんて時代遅れだったとして


体調崩す。病院行って寝た。こういうのの繰り返し。問題があり、家にいたくないし、外にも何かはない。ヨラテンゴとバロック音楽聞いてたら少し気が楽になるけれど、この先良くなることを考えるのは困難だ。困難。何も作れずに体調悪く、金だけ無くなる。愚かな話よくある話

六本木のあおい書店が閉店したあと、ブックファーストが入っていた。同じ所にまた本屋? と思っていたら、四年くらいで、先日そこも閉店していた。悲しい。てか、六本木の八階建てのビルの看板を見たら、(居酒屋系)ほとんど閉店してるんだが。自分もヤバイけど、街の活気が失われて過ぎていて危機感。

 他の街でもそういう画像を見た。この一年以上の騒ぎで、閉店しまくっている。

 仕事も、明らかに少ないし、募集の内容を確認すると掲載しているのとは違うのがとても多くて、げんなり。元々貧弱なメンタルが削られ過ぎてもうなんなのか分からなくなってきている。

 本を読んだり書いたり、満足に出来ていない。金の心配ばかり。こんな愚かな人生。でも、たまに、頑張ろうと思う。しかしそれができる時間は短い。

明日になって欲しくないから変な時間にしか寝られなくて、劣悪な環境だから変な時間に起こされて最悪なのにさ、夢を見ていた。小説の冒頭が、景色が頭に浮かぶ。何か月も書こうとして書けなかった小説、自分で書いたのを読み直してる夢だった。これを実現させるために、夢みたいな受肉をさせなくっちゃ


ネットで調べたら冥銭は売られていた(パソコン使えるなら、わりと簡単に作れそう)。免罪符作って売りたいな。信仰心がない人間(俺)ご免罪符を販売するのは、御利益なさ過ぎてとても良いと思う。ただ、億が一、そんなの買った人の精神が心配になるな。






雑記

『無頼の画家 曾我蕭白』読む。破天荒な性格で、おぞましくパワフルな画を描いた人、という認識で彼の画を見ていた。でも、この本では繊細な墨画から山水画まで紹介されていて、彼の様々な作品に触れることができた。また、同時代の恵まれた生活と才能の若冲に比べて、早くも家族を亡くした人生や

18世紀の京都における時代背景の考察(儒教の理想像=中庸、そこから外れてしまったなら狂狷の人を選べ)等作品への理解が深まる。作品のことは作者にしか分からない(作者にも分からない)。しかし、画と向き合う上で様々な考察は有難い。聖者も俗っぽく描く破天荒さ。ぶつける感情の重みが楽しい。

『鈴木其一 琳派を超えた異才』読む。琳派の中でも、彼の作品は奇妙な魅力がある。何でこういう表現をしたんだ?できるんだ?と、画を見ると思う。伝統的な日本画や琳派の装飾的な画も描けるし、その土台の上にのった、彼の描く物の表現。落ちる途中の雪、紺の流れの水流は金、桜と対になる紅葉は青

い葉、途中で切れているような、顔を出す植物の構図の巧さ。上等なポスターのようなスタイリッシュさ、人工物のような植物。主役になるような動物や人間といった題材も、色と形でしかない。それでいて、奇をてらうような作品はない。美意識、一歩引いた構図、短い文で語れない特異なセンスの良さ。

久々に銀座に寄る。人通りが少なく、鳩居堂は六時に閉まっていた。華やかなショーウィンドウの中は、金銭に余裕のない自分から見ても、相変わらず魅力的だ。

安定しない気分で、歩きながらiPodのプレイリスト再生していたら、suchmos stay tune
銀杏BOYZ 援助交際 あの娘は綾波レイが好きという並びでロック好きな人みたいでなんかセンチメンタル。作ったの自分だけど。でも、彼らの音楽詳しくない。ロック聞いてたけど、音響派やポストロック好きだった

マンディアルグ『黒い美術館』また読む。訳者の生田耕作が、後記で傑作集と書いたがその通りの良作揃い。残虐不可思議理不尽な展開が多いが、登場人物がとてもいきいきとしているのが良い。生命を感じられる魅力的な、或いは迷子になりそうな美しい描写。輝かしい生命!しかしそれらは生贄になる。

また河出の中平卓馬の本読む。エッセイ等の中でも季禹煥と赤瀬川原平のが好き。中平に接した記録からそれぞれの考えが書かれている。一番はやっぱり浅田彰で、ゴダールとの類似(政治への接近と敗北、過去の否定)や私的な居直りへの嫌悪。何度読んでも面白い。挑戦や制作を続けるのは、困難でクールだ。

中平卓馬写真集、沖縄 奄美 トカラ1974-1978また見る。すげー良い。景色(映像)が投げ出されてきて、出会う感覚。彼の写真はそういうのばかりだ。感覚だけでも思考だけでも、きっとだめだと思う。どちらも信じずに向き合い格闘した後で、得られる物があるのだと思う。

森山大道写真集『宅野』見る。島根の小村で、彼が幼少期を過ごし、両親と兄が眠る村。あれブレぼけの要素が少なく、シャープで美しい、人気のない町が写し出されている。自然もとても美しく撮られている。言われなければ彼の写真と分からないかも。でも、やはり湿り気のような郷愁の香りがするのだ。

映画の『ジョーカー』今更見る。スターウォーズすら見たことないので、最新(?)アメリカ映画はこういうの人気なのかな。とか思ったら、かなり賛否両論(作品についてと、原作ファンの意見)。色んな人の感想やレビューを見るのが面白かった。俺は悪役は謎(語らない)か超過激なのが好きなので、この映画

はそんなに好みではなかった(過剰な演出やベタな音楽とかも)。でも、この時期に見ると、主人公のダメさと不幸さが胸にくるし俳優の演技が上手い。素人が銃を簡単に当てられるの?とか気になる俺はエンタメに向いてない屁理屈おじさんだな。一部当て損ねて、逃げた奴が轢かれるとか何かでボコすの好き


彼の写真に映るモデルたちの表情は、いつもいきいきとしていた。伝説のフォトグラファー、ノーマン・パーキンソン。 https://bit.ly/3eaYvv2

『VOGUE the covers』めっちゃめちゃ欲しい。百年以上の表紙だけの写真集らしい。アーヴィング・ペンやクリフォード・コフィン好き。見てるとエレガントなスタイルに幸福になる。七千位するけど!この前すった金で余裕で買えたのにドクロ馬鹿だなー。欲しいけど、高いから超悩む。

岩波文庫の『マラルメ詩集』また読む。見るものを、目に映らない物に優雅さを、豊かさを与える言葉に陶然となる。鈴木信太郎の訳も素晴らしいし、ヴァレリーの短評も入っており、彼らですらマラルメの詩についての手強さに言及している。俺は多くを分かってない、しかしその美しさに目を開かれる幸福!

映画『ミスター・ロンリー』見る。マイケル・ジャクソンに憧れマイケルとしてパフォーマンスをして生きる若者。でも、生活は厳しい。そんな彼がマリリン・モンローとして生きる女性と出会い、彼女に誘われて古城で様々なそっくりさん達が暮らすコミューンに参加をする。設定は面白いと思う。

でも、肝心の物真似がほぼ無い!!見た目似てるかな?位。後半のショーでも、色んな有名人がいるのにしない! 全く説明がなく別の話でシスターがパフォーマンスでスカイダイビングをするのだが、インパクトはあるが唐突すぎる。最後まで見て凡庸なメッセージは伝わったが、この監督割と人気なの謎

『敗走と捕虜のサルトル 戯曲バリオナ 敗走・捕虜日記 マチューの日記』読む。サルトルの初めての戯曲と捕虜時代の資料。捕虜収容所内で執筆・上演された『バリオナ』や手記に詳細な解説を付す。(昔の)外国の作品に触れるときに注意すべきことが幾つかあると思う。それは神、戦争、人種問題

をある程度理解していないと、登場人物の行動が腑に落ちないことがある。しかし、それは気をつけていても厄介な物だ。特に俺は社会や神仏への帰属意識がとても低い。彼らの苦しみや熱量をどれだけ理解できているのかとよく戸惑う。だが、サルトルのイキイキとして洒落た言い回しはとても好きで、

戯曲が苦手な俺でも引き込む力がある。サルトルはこの戯曲を出来が悪い(「それは長い論説的言説にあまりにも引きずられている」)、と言っている。演劇人シャルル・デュランは『蠅』のリハーサルに立ち会ったサルトルに「戯曲とは雄弁の横溢とは正反対のもの、つまり、抗いがたい行動と休むことなき

情熱によって、抗いがたく共に並べられた最小の数の言葉でなくてはならないことを、理解させ」たという。戯曲バリオナの詳細な解説は、俺のつぶやきではなく本書を読むのが一番で、この言葉はどんな制作でも念頭に置くべきことだと思う。過剰であり削ぎ落とせという厄介な作業からのみ研磨される

ミシェル・レリス『闘牛鑑』読む。十数年前に読んだような気がする。古本で買うと、パラフィン紙で丁寧に包まれていて、パラフィン紙に包まれた古本が好きなので嬉しくなる。内容は闘牛における聖性の探求、というようなもので、分かるような分からないような。俺は闘牛の世代の人間ではないのだ

しかし、もう廃れてしまったらしき合法的残虐行為、のようなそれには俺もひかれるし、バタイユやボードレールやピカソやら、昔の芸術家で闘牛に魅せられた人々は多かったのだろう。本文におけるレリスの、闘牛に対する熱狂は、やや感情移入しづらいのだが、闘牛士が彼にとってのヒーローなのだと、

現代(当時)において聖性を発揮できる残虐者なのだと、漫画の主人公に夢中になる子供のように語られると胸にくる。似てはいないが、現代日本における任侠物を連想した。現実はカッコイイものではなく、金儲けもできないだろう。しかし、ギラついた魅力は、死人の様に今も日本で生きている。

市川崑監督『三百六十五夜』見る。70以上前のメロドラマなので、正直見てるのが辛かった。でもラスト20分くらいに(自分の中では)盛り上がってきて楽しめた。戦後すぐの映画なのに、奔放で金持ちの高峰秀子がパワフルでいじらしくってとても良い。結ばれないけれど、そこも良い。主演二人をくってる

『VOGUE ON ユベール・ド・ジバンシィ』読む。彼の洋服は持っていないのに、とても好きなブランドだ。本書での彼の語り口と精神が、豊かで上品な作品へと昇華されているのも読んでいて楽しい。この本の中で何度も着やすいとかゆったりとしたといった単語が出てきた。シンプルに美しく見せる

ことは、着る人にとっても心地良い洋服である。だからこそ、多くの人に愛されている。シンプルだから、騒がしい街頭や映画セットの中でも映える。大好きな森本美由紀も彼の服を着たモデルを描いてた。バレンシアガを尊敬していた彼。彫刻のようなドレスではないけれど、どちらも最高にエレガントだ。

『アラバスターの壺/女王の瞳』ルゴーネス幻想短編集 読む。科学精神と幻想に満ちた近代アルゼンチンを代表する作家、だそうで、わくわくしながら読んだのだが、俺の好みとは少し違った。幻想短編集、と言う言葉に勝手な妄想をして、期待したせいもあるかもしれない。この作家の小説は

きっちりとしていて、読者を突き放したり迷子にしたりしないように思えた。どのような結末であれ、カタルシスが得られたり納得させるミステリ小説に近しいような気がする。俺にとっての幻想小説は、理解できない恐怖や美だ。丁寧にされるよりも、分からない、というのが好きなのだ。

悪魔のことを色々考えたり調べたりしているのだが、悪魔に会うなら他者に求めず、自分が悪魔(基地外)になるしかないとか言うしょうもない考えにたどり着くことしばしば。悪魔、アマゾンか図書館にいて欲しい。

アメリカ系の映画とかコミックやらカルチャーにあまり詳しくなくて、アメリカ(中南米除く)における創作物の悪魔(的な存在)の造形として宇宙人、クリーチャー、エイリアン的な物が頭に浮かんだ。どの程度合っているかは分からない。西洋とかだと身体パーツ沢山とか多い。米はマッチョでつるんとしてる?

ほぼ毎日仕事や金のことを考えてしまっているので、悪魔について考えている時間の方がずっと健康に良いのが滑稽だ。
最近宝くじを買っている。先日100円当たった。一等六十五京兆億円当たったら渋谷区欲しいなあ。渋谷よくいくのだ。虎を放し飼いにしたい。人間は防具に宝石の鎧を身につけよう。

 正直、俺も街(世界、日本)の状況もここまで悪くなるとは思わなかった。これ以上頑張れないかもしれないから、頑張って好きな本を読んで作品を作ろう、なんて思っていたが、最低限の金というか生活の保障がないとそんなことはできない。

 ずっと、苦しい。不安を薬で抑えてまで生きる意味とは、そんなんを十年以上続けてると、ふと、楽になりたくなる

魔が差す。という表現がぴたりとおさまる。自死を選ぶ人の幾人かは魔が差す、かのように陥るのだろうか。

 でもさ、俺は魔が差す、いや、魔になって刺したい刺されたい。そういう小説を書きたいんだ。俺が好きな芸術家、みんな刺してくるような作品なんだ。容赦がなく切れ味が良く優美で酷くって魅力的で。

 昔は神様が大好き。ヤクザも。もしかしたら、今もそうだ。殺し屋なんて時代遅れでも、魔が差す人にはなれるかもなならなくっちゃな。

生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。