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60.こどもに恩返し-子沢山でも、そうでなくても-

よし、今日は××町の住宅地を戸別訪問しよう。
それから、その帰りに○○さんのお宅に寄っておさづけを取り次がせていただこう。その次に…。

毎日漠然とその日にをいがけに歩くコースであったり、通い先にまわる予定を組み立ててから行動している。

妻は早々に仕事に出かけ、こども達を小学校に出したり保育園に送り届けると、ピーナッツの布教師モードの一日が始まる。


…の筈が。

「〇〇くん、お熱が出ているようなので、お迎えをお願いします」

と、戸別訪問を始めてまだいくらも立たないうちに、突然の保育園からの緊急連絡。

ぐわあーっ(゚Д゚;)‼

立てた予定は瞬く間に白紙に変わる。
お迎えに走り、子どもを連れて帰宅し、結局その日はそれでまる一日子ども
の面倒を見ることで費やされ、これといって何も出来ずに終わってしまう。

…そんな日が幾度あったことか。

子守りで終わる時間は、まるで何も実働していなかったような気分になり、外に布教に出れない布教師はアイデンティティの危機感をおぼえ、つい苛立ちを募らせてしまう。未熟な私。

そんな子育てあるあるに地団太踏んでいるピーナッツに気づきを与えてくれる先人教話にまたまた巡り合う。


“御恩報じ”としての子育て

「子供の多い人は」
夫婦になれば子供を産むのが普通であるが、夫婦になったからとて必ずしも産めるものではない。産もうと思って産めるものでもなく、また産みたいからとてすぐに産めるものでもない。
ところがまた嫌だから要らぬというたところで生まれてくる。これは皆様の知っておられる通り、人間の力ではどうすることもできないものである。
(中略)
お道の教理から言えば、子供が沢山あるということは、それだけ御恩報じさしてもらうことであって、人間が恩に恩を着てしまい泣かんならん日があるから、それをたすけてやりたいために神様が子供を沢山に授けて、恩報じの道を立てて下されたのである。
(中略)
「子は自分の子ではない。神から預かっているのやで」と神様も仰せられている。

増野鼓雪選集第1巻「講壇より」より抜粋


この教話を知った時、子育てに対するコペルニクス的転回が私の中で起こったことを記憶している。

“両親にとって子どもとは、神様からの預かり児である”
“その子育てとは、親神様への御恩報じの場である”

これには目から鱗が落ちる思いだった。
確かに、頭のどこかではわかっていたような気はしていたが、妙にストンと腑に落ちた気がしたのだ。

子育てとは、ただ単に自分達家族の営みではなく、そういう形を持ってなされる神様への恩返し・徳積み・いんねん果たしの機会なのだ、と。

おむつを取り替える。

ご飯を口に運んで食べさせる。

お風呂に入れる。

夜になったら隣に寄り添って寝かしつける。

寝てる間に蹴飛ばした布団をまたかけ直してあげる。

熱が出たらつきっきりで看病し、病院に連れて歩く。

外で遊びたい時も一緒に歩き、公園で服を汚してこちらの仕事を増やす。


幼子の子育て期間はとにかく手間がかかる。
自分の時間を捧げ、自由を捧げてそれに何年も心身を費やす。

…そんな世界中のどこにでもあるありふれた家庭の、育児の営みの中に、“御恩報じの心”を意識してそれにつとめれば、神様はしっかり受け取って下される。

親の心の向き方ひとつで、“育児”が“御恩報じ”に姿を変える。


考えてみれば、親が子となり、子が親となりって言うしなぁ…(*´ω`)

今回はこちらが親で、向こうが子どもという関係性だけれど、長い目で見ればきっと逆だったこともあるだろうし、世話しているようで、昔受けた恩を返しているのかもなぁ。

…などと、様々な信仰的思案が湧いてくる。

家を出て、外に向かっていくだけがおたすけではない。
子どもを放っておいて布教に専念したって、やはりどこか違う。
天理教の教会って子だくさんが多いけれど、それだけ御恩報じの場をいただいているわけなんだろうなぁ…。


子宝に恵まれない場合

子育てに対する心の向きが明るく変わっていったわけだが…。

じゃあ、もしも子どもが欲しくてもそれに恵まれない夫婦はどうすればいいんだ(゜o゜)?

御恩報じの機会がないのか?

…という疑問を持たれる方も当然いるだろう。
これに関して、次のような先人の逸話が大きなヒントになる。

(注・次のお話の引用元の資料を探しましたが、残念ながらどこにいったのか見つかりません💦
確実にあるにはあるのですが、出所を明示できないというあやふやなことになってしまいましたので、今回は引用ではなく、通常文で掲載致します)


明治の頃、人柄は良いのだが子宝に縁のない女性信者がいた。
彼女は様々な方から心遣いの悪さ・改め方を厳しく仕込まれるのだが、一向に子供の御守護がない。
そんな時、後の河原町大教会初代会長となる深谷源次郎先生を訪ねた。
すると、「あんたはよほど前生で徳を積んでこられたのや。それで今世では手のかかる子供で苦労せんかてよいのや。徳が減らんように日々喜んでお通りやすや」と言われ、そのあたたかい言葉に女性は初めて喜びの心が湧いてきた。
間もなく、鮮やかな女の子を御守護いただいたという。



最初にこの逸話に触れた時、お道の通り方の根幹的な悟り方だと思ったし、“願い通り”ではなく“心通りに守護”するというこの世界の摂理に則った御守護の現れ方だなと感じた。

“こどもに恵まれない”という我が身に置かれた状況そのものを最善の御守護だと受け入れ、喜ぶ。
喜んだら、喜んだ通りの結果が伴ってくる。

夫婦の心は定規や、夫婦の心を定規にして、
夫婦の心通りの子を授けるから結構と思え。

教祖口伝


そう、それぞれの心通りに結構な状況が既に与えられている。
だから子沢山で子育てに目が回りそうな日々を駆け回っている人も結構、またそうでない人も結構。
神様が前生からの徳を見定めて、夫婦の心を定規として見定めて、
その人に、その夫婦に、もっとも適した環境を与えているのだから、
何事も御恩報じの心を忘れず、日々喜んで通らせていただければきっと良いのだろう。

【2015.4】


おまけ

子育てに関してもうひとつ興味深いエピソードを発見。
参考までに掲載致します。

「私情の超克」
東本初代・中川よし姉に育てられた中川光之助(よし次男)は、中沢隼人氏との対談において次のように述懐している。
「それはね、東本の青年会の発会式の時だったと思うが、その時、僕が子供時代の事を話した。ところが次から次へと思い出して涙が出てね。思い出さないと話が出来んし、話をすると語るも涙、聞くも涙さ。…おふくろが単独布教の時、僕を背中に負い、あっちの軒下で立ったまま夜を明かしたり、公園のベンチで寝たりして、60日間というものは、僕は水ばかりだったという事だが、栄養学的にはゼロに近い僕がこの健康体だから、全く親神様は有難いよ」と、また、
「昔の先生方は豪(えら)かったんだね。それほどいためつけられた僕を人々は純心な人だといってくれるが、よく世の中には親が余りいためつけたから天理教が嫌になったとかいって道から離れていく人もある様だが、どんなに苛められ、惨めにさせられても、親が真剣な道を通っておれば純心な信仰を持つ子に成人していく、これは僕で実証できるよ

矢持辰三著「天理教の人生観」より抜粋


うむ。今日の宗教2世問題にもなにか通底する話が気がする。


ここまでおつき合いいただきありがとうございました!
続きは次回で(^^)

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