恋も運命もタイミングかぁ

徒然なもので、どなたにも遠慮せず、気にせず、
ただひとりの、作られた社会にふと立ち止まるヒト科として書いています。

朝起きて、電車に乗って、お勤めをするなんて、
とても凄いことだと思う。
凄い。凄いよ。ハナマルあげちゃいます。

毎日、寝て、起きて、深呼吸するだけでいいはずなのに。
面白いなあって、思います。ヒトってば、ありみたいに、テクテク食糧を確保して、(まあ、そのための仕組み化されたものが全てお仕事なのか)
育ち、生んで、生を終えていくことだけで成り立つのが鼓動の世界なのに、
(考えなしにざっくり書いていますよ)
(電車に乗らなくてもお勤めじゃなくても、おんなじですよ!えらい!)


ハナマルあげちゃいますって、何様だよ、どちらさんだよ、と思われると思いますが、わたくし、「ハー、凄いわ〜」って、勝手に心の太鼓判押して周ります。

そんな、何様だよ、どちらさんだよ、のここのヒト科が、
世を知ったようにお仕事について書き倒していましたが。。

ひとつ前の徒然記事で、こんなことできると物事がスムーズにいくわね、みたいなことを、書きました。

それと、近しい話をまた、するのですが。。。

相手のタイミングを待つ、って、
すごく難しいことで、でも、それができるだけですごく、相手にとって助かったり、思い遣れたり、やたらなプレッシャーを与えずに済んだり、するなあと思います。

相手のタイミングを待つ、これは、自分だけのことでいっぱいいっぱいになっていると、できません。
「あれをしなくちゃ、これをしなくちゃ。」「これをやってもらわなくちゃ」「自分が困っている、助けて欲しい、次に進みたい、」
自分の意思や目的、思いを達成したいが先に立ったり、
自分の抱えている荷物を下ろしたい、状況を変えたい、みたいに思っている時に、
自分だけが主語になって、視野が狭くなってしまうと、「ジブン」が大きくなってしまうので、その目に相手が映らない。映っていても認識しないというか…

これがね、ひと呼吸、相手のことをちょっとみて観察して、ってする間合いを置けるようになると、なんだかとても素敵な振る舞いを、できると思うんです。

(本当はね、「できる、」と言いたい。でも、なんか変な思想家のメッセージブログみたいになりたくないから、フワッとさせときます。笑)

ひとつ前の記事を書いている時にも、「自分が体験して思ったこと」「逆の立場で意識していて、気づいたこと」を例に出したので、ちょっと書いてみるのですが…
自分が、お手伝いに行っている時だったのですが、
両手に大荷物抱えて、今まさにこの場へやってきた。という時に
その荷物を下ろしもしないまま、「ありがとう、次はこれとこれとこれをやって、それが終わったらこれをしてもらえる?そうするとこうだから….」と、次のことをバーっと伝言してもらったんですよね。


これ、別に、珍しくはなかったり、お読みになっている方も「あるある」って、ご経験があったりするかなと思います。
何度か(お相手/その現場を)ご一緒して、流れがわかっているとか、一つ言えばその先のことを私自身も想像ができて、口頭だけでもイメージがつく、やることがわかる、覚えられる、というところなら、こうして記すようなエピソードとして残らずに、こなしていると思います。
実際、"そうして動ける現場"はあるし、"そうして動ける方"の手足になれて嬉しい、役に立てることが嬉しい、という気持ちで、自ら予定をあけておくお仕事が多々あります。
また例えば立場的に、それが必要なポジションだなという時には、一生懸命相手のして欲しいことを想像したり、メモなしでパッと覚える、言われたことそのままでわからなくても、質問などで補って、間違いのないようにする、ということは誠実にすると思います。
(最近、初めて、踊りのお姉さんのお手伝いに伺いましたが、いわゆる付きの者の仕事なので、それこそ、頭をフル回転させて、ついていく、先読みする。荷を下ろすとか自分のタイミングは大事じゃない、全ては演者が優先。というお仕事ではあると思うのですが、そういう時には、そういうもんだ、とこちらもスイッチを入れて、アンテナ張っているので、ええ、そういうもんだ、と思います。)

でも、そうじゃない、雑用係とか、顎で使うような立場でなくて、お仕事で補佐として入っている時、
お願いする方としても間違ったことをされて間に合わないとか、二度手間になるとかよりもいいと思うし、お願いされる方としても、次に自分が何をしたら良いかの手順を書き留めて取りこぼさない、というのがやりやすいし間違いがない、お互いにとっていい、と思ったんですよねえ。もうずいぶん前の体験ではあるのですが。

これには、「誰かに何かをお願いするスキル」の話もついてくるので、別途それはまた語りたいのですが。(語るんだ。ていうか、語っちゃってるよねえ、これ。)


で、まあ、例え話から長くなってしまいましたが、その時、私だったら、
「ありがとう、一旦荷物をこちらに置いてもらって、一息ついたら、次にお願いしたいことをお伝えしますね」「一息ついて頭がクリアになったら、戻ってきてください/声かけてね、」と、言います。
これ、もしかして、何処かで私がご尽力いただいてご一緒した方が読んでいらっしゃったら、「うん、いつも言われるな」って、思うことと思います。

これは、私が、思い遣りが積み重なったお布団みたいなヒト、とかいうわけじゃなくて、シンプルに、頭がいっぱいいっぱいになっている人に対してやんややんや言っても、覚えてもらえないし、間違えちゃうし、いい結果を得られないから。間違って欲しくないから、ではあるのですが。
(もちろん、心身ともに過酷な現場にしたくない、ただでさえ初めてのことがあったりして、言われたことをこなすので頭いっぱいいっぱいになりそうな状況生み出しやすいのに、頭も気持ちもパンクさせたくない、しっかり休んで、嫌だったなとか大変だったなとかの後味で終わらずに、その人自身も楽しかったなって気持ちで終えてもらいたい思いがあるからではありますがっ。)

私自身が、初めて現場にお手伝いに行くようになった頃からこんにちに至るまでお世話になりつづけている大事な、師匠とも言える存在の、大好きな方が、そういう方だった、というのもかなり大きいのですが。

これは、別にお仕事でなくても(お仕事の時は、スタッフの立場でも演者の立場でも)、家族で一緒にいる時含めて、案外大事なことと思います。

何かお願いをする、お伺いをする、話しかける、と言った時に、
「今大丈夫ですか?」と一声かけること。

一声かけている時点で、お邪魔はしてしまっているわけなのですが、
相手にとって今、こちらの話を聞いて耳を傾ける時間的余裕があったり、物事の優先度が大丈夫か、頭の中で何を考えているかはわからないので、もしかして、この後に備えて何か複雑なシミュレーションや考え事をしているかもしれないじゃないですか。なので、いきなり用件を滔々と話し出さずに、ワンクッションおく、ということを心がけています。

その一言を出すタイミングも、一旦、相手を観察して待っています。
お金数えてるとか、どうしたって時間的にこの後の予定が差し迫っていて、それどころじゃねえ!とか、。その辺、この観察する間合いが入れば、「出会い頭の衝突事故みたいにいつでも自分のタイミングで話しかけてくんなこいつ」みたいなことにはならないじゃないですか。

あはは。これ、私、思っちゃいます。あは。
時々そういうことが重なると、思うから、こうして文面が出てくるんだね笑
どんなに人がよくても、心の中では、悪口とかじゃなくてツッコミみたいな。どっちかというと「👀」この目がついてるイメージね。はは。

時々、もちろん嬉しいことではあるのですが、「次、何しますか?」(こういう名前のシアターゲームあります)という積極性が、前のめりになって、「う、今、私は私にしかできないことをしていて、ちょっと私自身もお時間をいただきたい、、」と、思う時もあります。何かをお願いするためのひと段階が必要ですよね。お願いすることを作るためのお仕事があるというか。わかりやすく伝えるために自分で一回ひと思考しなきゃ整理できん、とか。
そういう時、そればっかりが積み重なると、「間合いを持たない手勢だな」と、「👀」って、なってます。心中。

(そういう時は、心の底からですよ、「ありがとー!でも、私が間に合ってないから、ちょっとお菓子でも食べてて、、」って言います。お菓子食べるシフトができます。)

長くなりましたが、
仕事のできるできない、とかに続き、
素敵なお振る舞いに、、みたいな
わたくしの、ちょっとした心構えでした。。
タイトルを、ああ書いてみましたが、
何の色気もねえ。
途中、「お水をください、の勇気」にタイトル変更しようかと思ったけれど、それはまた、ひとふし語ってしまいそうなので、
別の切り口で….。

しかし

なげえな。


ちゃんちゃん。

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