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「創世神話」第7話〜カインとアベル〜

リーディングマスター・まさみちです。心理カウンセラーをしながら、アカシックレコードにアクセスして、創世神話を生み出した人が「どこ」と繋げて書き出したかを調べ、現代の人々にも本質的な意味合いを届け直すように読み解くと、どうなるかを探究しています。何を意図しているかより、「どこ」と繋ぎ閃き降ろされて「創世記」が生み出されたの? とした目線で届けております。

真理というものが閃き降ろされるようになり、叡智や精神や魂の構造が体感覚で会得出来たので、この力なら「誤解」を解消出来るのではないかと取り組んでみると、宇宙人との関係が浮き彫りになりました。

アダムとイヴのカルマ

壮大な宇宙の歴史にもアプローチすることとなり、アダムとイヴを創成した人体実験によるカルマ(行為・業)の発生は、際限なく続く苦しみの連鎖しかないと思われるものでしたが、ここに来て変化が訪れました。

アダムとイヴは、誕生した時から宇宙人のカルマを背負い込んでおり、過負荷なままであった為に、心を開くことなく亡くなります。これにより楽園を追放され、カルマに閉じ込められたアダムとイヴが転生可能な世界になるまで、世界は哀しみに満ちることになり、「否定ありき」の世界が出来上がるまで一度も転生することがありませんでした。

そして、「哀しみに満ちた否定される世界」の中で「心を閉ざしたまま」生まれることになるのです。

この「否定ありき」のことを「知恵の実」とも称する解釈が含まれており、「男は男で単体で一人」と数え、「女は女で単体で一人」と数えることに固執した概念を支えることとなりました。「陰陽合わせたもので一人となる、男女が互いに補い合い、分け隔てられない存在である」ことを喪失したことがカルマを支える温床となったのです。

「二つでない一つのもの」というアドヴェイタとした概念は、真理を探究する人には知られていくものになりますが、これが一般化することなどなく、自分の想念により相手を創造している世界という解釈は普及することはありませんでした。

それほど「知恵の実」という心の喪失は、「善悪の判断」を求め、「否定ありき」とした解釈を育てていくことになりました。これは利己的な自我に都合が良く、ルールを処罰で支えることに長けた概念になりました。

夫婦の愛の誓いなどをルールにより、強制的に成立させたりするものの、根源的な淋しさや哀しさだけはルールで縛る愛では埋め合わされることがなかったのです。「孤独(知恵の実)」があるが故に、最愛の人にだけに理解されない、夫婦の隔たりとなる現実を生んだのです。

「楽園の追放」とは、決して「最愛の人とは心結ばれることはない」という恐ろしい働きのことを指すものです。

もちろん、「知恵の実」の誘惑に呑まれず、形を大切にして「利己的な自我を慎む」ことで、最愛の人と仲睦まじい家庭を築き上げられる人たちも大勢います。

それでも、不意に襲いかかる「夫婦故の不信感」は、壮絶なもので、理性を保つために我慢して耐えようとするのです。

その不信感の苦しみは、子どもへと流れていくと両親は知らないのです。

新たなカルマを生み出して行くのです。

創世記のアダムとイヴのもう一つのカルマ

最初の人体実験のアダムとイヴとは別に、創世記に記されたアダムとイヴは別の物語であることを教えてくれています。

ローマ時代、プラトンが「アトランティス」という名前を持ちだし、かつてそのような都市が存在したことを言及した背景を読み解くと、「人類の学びの根源はここにある」と示し、プラトン(正確にはその母親)が、かつて宇宙人だったときの遠い記憶と重なり「同じ民族(人類)同士で争い滅んだ体験」が混在して思い起こされていたことが解ります。

今はなき、その滅んだ星は、「平和を望む同士が争う」という出来事と、ローマ時代に感じていたプラトンが洞察する人同士の争いの構造が同一に感じられていたのです。

アトランティスは、宇宙人が創り出した都市であり、カストルの宇宙人が居住していました。他にも8つの都市があり、南極にも都市が二つあり、日本の近くにもムーという都市がありました。

紀元前10,800年前辺りのことです。

この時代、地球人類は宇宙人たちに好意的に協力し、アトランティスを支える現地で調達しなければならないものを提供していました。

このアトランティスを支える人類をアダムとイヴと称している記述も創世記から読み取れるため、集合無意識から届けられる想念が「蛇の誘惑」となり、感情的不安定さを呼び込みます。イヴ(最初のイブとは別人)と扱うリーダーアダムの妻が、「アトランティスの恵みを欲する」ようになり、その要望にリーダーであるアダム(最初のアダムとは別人)に話し、アダムはそれを聞き入れアトランティスに攻め入ることになり、アトランティスのリーダーやその身辺にいる者たちを殺めてしまうのです。

これに宇宙人たちは嘆き、友好的な人類を創成出来たと思っていたものの、予期せぬ現実に、地球人類とは協力し合えないと判断し、隕石を南極と北極に一つずつ堕とし、地軸を4度ほど傾けさせると共に、氷河期の氷を溶かして大洪水を引き起こして地中海にあったアトランティスの都市を水没させます。

大陸と記されていたものは、プラトンの記憶の混乱です。

アトランティスとの調和された関係性は破綻を迎え、洪水で水没した人類は、「楽園」となる友好的な宇宙人との関わりは、「全滅という体験」により終焉を迎えてしまいます。

アトランティスのリーダー一人の宇宙人を殺害したことで、全人類(に等しいおびただしい人)が虐殺されたのです。

一人を殺して、全員が死ぬ体験が「楽園からの追放」に到るのです。

自己犠牲となり、みんなを助ける美徳がありますが、全員が全員に対して自己犠牲をすると全滅するとしたニュアンスが隠れていることを知らせてくれるものです。

「私さえ我慢すれば、みんな幸せに成る」

この発想が「楽園からの追放」であるのです。

絶大な科学力を誇る宇宙人を前に、地球人類は「アトランティスくら入れてくれても良いじゃないか」と、表現を著しく稚拙にしてみるとイメージが持てます。

宇宙人の神の立場からすれば、「アトランティスを盗っておいて、なんたる言い草」と考えてしまい、隕石落として洪水で滅ぼすのは欠陥商品を作ってしまったメーカー的責任感から、メーカーなら「全商品回収します」とするところ、宇宙人は全人類を「(回収できないので)破棄します」とした判断を下して実行したのです。

地球人類からするれば、「ちょっとぐらい良いじゃないか」と軽い気持ちが、全人類滅亡という天罰で返されるのです。

これを受け、「あまりに惨い仕打ちじゃない? そんなに怒らなくたって良いじゃないか! 自分たちが何をしているかなんてよく知らないんだよ。隕石+洪水なんて酷すぎる! それが神のすることか!」と、思わずにはいられないのが地球人類の漠然とした価値観です。

人類の自我の芽生え(知恵の実を食べた後の行動力)は、宇宙人の想像を遥かに超えるものだったのです。

宇宙人も地球人の「知恵の実を食べたから楽園を追放した」ことで、宇宙人の星々が崩壊する憂き目を味わい、考えを変えます。

けれども、一度「知恵の実」を食べ、「楽園からの追放」を受けてしまい、「何かしたら天罰がとんでもない仕打ちで還ってくる恐怖」が原罪レベルですり込まれ、「全部お前のせいだ!」とばかりに宇宙人は地球人類の暴走のせいにし、地球人類は宇宙人に対して「私たちを生み出したのはそっちだから責任取れ!」と、宇宙人のせいにする無意識が残ってしまい、どちらも責任のなすりあいをしている上下関係があるのです。

これが、カインとアベルの話と絡まっていくのです。


カインとアベルとは?

創世記において、兄カインと弟アベルが主に供物を差し出すくだりがあります。

「主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」

これが指すことの意味合いは、主と扱われる宇宙人は、先にいた地球人類をカインと称し、後々に生み出されたアトランティスの民たちを、アベルと称しているのです。

アトランティスの民も、宇宙人でありつつも地球人類さながら、同じような境遇などにし、過干渉とする真似はしないで自由にやらせたのです。

これは親の愛の姿でもあり、兄に与える親の愛と、弟に与える親の愛の行き違いと同じ構造を持つものです。

地球人類の兄カインは、アトランティスの弟アベルより、良いところを見せたいと思うものです。しかし、アトランティスの弟アベルは地球の先輩である兄カインに対して比較する気持ちなどなく、ただ指示されたことを無欲に動くのです。

それに主たる宇宙人はアトランティスの弟アベルに目をかけてしまいます。

親が下の子をよく面倒をみてしまうのは、弟は無欲であり、兄は弟と張り合おうとする取引や駆け引きや恐怖による不安が隠れているからです。

その恐怖により、より弟びいきになり、兄カインは面白くなくなり、弟を亡き者にしてしまいます。これがアトランティスへの襲撃になり、崩壊となります。

アトランティスが隕石と洪水で滅びたあと、地球人類は残っており、それに対してカインの学びとして描かれているものとなるのです。

カインとアベルの解釈の持ち方

物事には「兄、姉、先輩、先達者、親」の立ち位置があり、「弟、妹、後輩、後続者、子」の立ち位置があります。両者は生涯その関係は変わりません。それ故に「兄カインの側の発想」には、「よく知っている経験者」としての自負が芽生えるものとなるのです。

弟アベルは、親を敬うように先達者を見上げて育つ為、兄カインに対してもあらゆる側面で有能である為、「勝負する」ことや、「比較しては劣る事実」を見てきた為、「競争する」ような発想がありません。負けますし、助けてくれてきた経緯がある為です。

何も顧みない心で供物を差し出すのが弟アベルであり、「優れている」「褒められて良いことをした」という兄としての立場を意識した心があり、顧みて欲しいという利己的な欲望という善悪の判断を持ち供物を差し出したため、主は顧みられることがなかった映し鏡として、現実を創造したのです。

これは誰の心の中にも潜むものと教えるのです。

傷ついた親の心、兄の心、弟の心、誰しもの心と、兄弟仲がとてもよく、問題など感じることがない人は、兄弟間の争いを仲裁する力が無いことに目を向けてください。

よくよく考えると、掛け替えのない兄弟である筈なのに、骨肉を争うのも兄弟であることが多く、歴史にも悲劇が多く記されているほど乗り越えることが困難な課題がここにあるのです。

「みんなのことを考えろ」という兄カイン。

「わたしはこう考えているんだ」と偽らざる姿で訴える弟アベル。

自己犠牲(みんなを優先にしないと生きていけない)を要求する兄カイン。

自己主張する(みんなを優先にしても私は幸せにはならない)弟アベル。

この兄カインと、弟アベルは分離しているものではなく、繋がり合い一つであることなのです。

みんなの幸せと個人の幸せと、みんなが生きられることと、個人が生きられることは繋がり合い、至福の解釈を持ち得るように変わる必要があるのです。

兄弟の隔たり

兄が認められず、弟が褒められることや、姉が抱きしめられず、妹が抱きかかえられる体験は、思い返せば誰しも通る道ともいうべきものです。

カインとアベルの物語は、人の心が目上から目下に向ける思いと、目下から目上に向ける思いが何かによって隔てられていることを示すものです。

「知恵の実」による孤独のカルマや、楽園から追放された自己犠牲のカルマの問題は、最愛の人との間が隔てられて意思疎通が困難に陥らせることです。

カインとアベルは、兄弟(姉妹、兄妹、姉弟)によもコミュニケーションを断絶させてしまう何かを生み出してしまい、取り返しの付かない傷を負わせたりすることもあるものです。

目下の者は目上の者から嫌われる理由がわからなくなります。

これは「否定による養育を目上の者から受けたから」です。

「それをしないで」

「嫌だからやめて」

「何度言えば気が済むの」

このような言葉による養育を受けると、それによって育てられた者は、目下の者にも同じようにしてしまい、心を自分と同じように殺してしまう関わりをするのです。

連鎖する上下問題

目上の親という絶対的強者の立場でありつつ、目下の子に「認められているにもかかわらず、認められようと努力する」などということが起きています。

目下の子も、その下の子が現れると、「認められようと世話を焼き、褒められようとする」ことが起きます。その期待が「褒められない体験」で終わり、より下の子を評価されるとカインのようにアベルを殺してしまう気持ちを抱いてしまうものです。

これは、宇宙人に創成された人体実験の産物である地球人類(カイン)が、生みの親である宇宙人(主)に楯突いていないにも関わらず、サハラ文明(レムリア)を滅ぼされた体験はカルマにならないのは、地球人類(カイン)は、比較対象となる存在を見ることがなかったからです。

アトランティスの崩壊は、地球人類(カイン)が、同じように見えて違う存在(宇宙人)の人類(アベル)に嫉妬してやっつけてしまったから、報復を受けてしまったため、地球人類にも宇宙人類においてもカルマを生み出したことになるのです。

優しく冷静である宇宙人からすれば、「争いを好み」「敵意を露わにし」「許しを持たず」「指示に従わなくなる」時がある野蛮になる人類は、管理出来ないでいるリーダー(地球人類の王)に改善を要求してしまうのです。

カインは上の立場の総称であり、アベルは下の立場の総称だと例えるなら、目上が目下を教育管理しないとならず、叱られるのは目上ばかりというニュアンスです。

けれども、目上であるなら、宇宙人の(主)立場は「別格」ではなく、「カイン」となるのです。

旧約聖書の「霊的な導きの根源の主」と、物理的科学技術が結集された隕石や洪水を引き起こす「神である宇宙人」は、混同されて描かれているため、読み解くことが出来ないのです。

霊的な結びつきを知らせたいことと、その霊的繋がりの欠落が、楽園の追放(アトランティスの崩壊)などと結びつけられて描かれているのです。

宇宙人は遺伝子工学に長け、恒星間移動が出来る宇宙工学を発達させていても、「主」ではない為、宇宙人もカルマ(行為・業)を抱え持ち、地球と関わったことで惑星崩壊という結果を体験している未熟者です。

宇宙人は、絶大な優位性を誇りながらも、大いなる根源の愛である主から見れば兄カインの立場になり、弟アベルという人類を殺すような関わりをしてしまった為、惑星崩壊という実りのない世界を体験することになるのです。

これは今でも、親子の関わりにおいても、兄弟の関わりにおいても、上司と部下の関わりにおいても、先輩と後輩の関わりにおいても無意識下で発生してしまう下の者の清らかさを、上の者が穢す関係性で現れています。

下の者や、子どもは未熟として弱い者だからと、「キラキラ輝くような作品」を作り上げても、技術面の低さに目が奪われ内面から湧き上がる輝きに目が向かず、上の者の立場からは本当は「良い感じ!」と褒めたい気持ちが湧き上がっても、それよりも自分の出来映えの方がいいのに評価を受けられていない嫉妬心が勝り、「下手くそ!」とけなしてしまう言葉を放つことがあるのです。

そのたった一言の「下手くそ!」で、下の者の心は殺されてしまうことがあるのですが、それ以前に、その言葉を言ってしまいたくなる上の者の心は既に殺されていたことがあると気づかなければならない切ない問題があるのです。

こうして、上の者の上を辿ると、アトランティスのやりとりと、人体実験の創成のアダムとイヴの転換点まで遡るのです。

それが創世記が記されており、問題の真因と呼ぶべき原点は「人体実験における人類の創成と宇宙人による人類への扱いの下手さ」が示され、そこから改めていく必要性を説くのです。

これにより、シュメール文明やエジプト文明などで宇宙人は再教育に乗り出しますが、干渉するとしたことで、育たない問題が発生してしまい、一度発生してしまっている上の者と下の者の隔たりを無くすに無くしきれない問題が浮き彫りになっていくのです。

故に、創世記の記述は、「下の者を上の者が罰しても、上の者を裁かないように」と戒めるものですが、親の見ている所では兄弟仲良くても、見ていない所では下の子をいじめる兄や姉がいて、それが見つかると兄や姉を裁いてしまう親がいる為、このカインとアベルの関係に許しは訪れない苦悩があるのです。

そしてこの問題に親が気づいて、兄や姉を許したとしても、親たちは自分の姿が子どもたちに映し出されているとは気づかないため、自分自身の問題という意識なく関わる為に、原罪が癒やされないのです。

イヴ(母)はカイン(兄)とアベル(弟)だけでなく、アダム(父)と共に、心を一つにするように癒やすことで原罪となるカルマが許されていくと知ることなのです(※アダムは、カインとアベルだけでなく、イヴと共に心を一つに癒やすこと)。

目上のせいにしない

カインとアベルの心の隔たりの問題は、宇宙人がした人体実験のツケだとしても、地球人類が払う必要があるのです。

これは、親のせいにしても、兄のせいにしたところで何の解決も見出せないのです。「弟がムカつくことをするから」と、兄の立場であろうとも、弟のせいにしたところで何の解決も見出せないのです。

そして間違いを再び起こしてしまうのは、「弟に負担かけないように兄が頑張る」と、弟を阻害してしまうものですし、「兄に迷惑をかけないように一人で頑張る」と、兄を除け者にしてしまうものです。

世間一般において程度の違いはあるものの、「兄弟仲良く」ということが困難である兄弟関係があります。

それと同じように、「先進国と後進国と仲良く」もまた難しく、「宇宙人と地球人と仲良く」も同じレベルで隔たりが激しいものだとイメージすると、解り易いものです。

自身の家族関係の全員と仲良く出来ているのか、考えてみる必要があります。誰か一人だけがアベルのように心を殺され、除け者されていることがあるのです。それが父や母や兄や姉や弟や妹など、弱者がアベルとなり、その存在を否定することでバランスを成立させているのです。

自分が「否定ありきになっていないか?」という問いかけは、常に必要な確認作業です。

日本の教育では、「ああならないように、このようにしましょう」と、「否定ありき」として育てられる為、その間違った教育に呑み込まれないよう意識を向ける必要があるのです。

人は「間違いを冒すもの」という大前提があります。その「間違いを冒す」前提を取り払った発想が不可欠にも関わらず、そこからの取り組みがありません。「誰一人間違いなどする発想など抱くはずがない」という解釈が良質な思考を呼び込み、よいアイデアをもたらすものなので、戒めだけでない許しの在り方を示すことです。

カルマ(行為・業)は、単純に自己犠牲の問題ですが、自己犠牲での関わりにおける終着地点は「全滅」で在ることは想像しておく課題があるのです。

アルクトゥルスやリラやプレアデスの星の崩壊を幻想物語として認知するのは自由ですが、カルマ(行為・業)がもたらす破壊力は、止めたくても止められる類いではなく、解消する方法は自ら心を開き、人の心と心を繋いでいくことです。

宇宙人は、7,800年ほど前から「神に嫌われない為の戒め」に等しいルール(教え)を人類に与えていくようになります。

ルールという基準が、より残酷なカルマ(行為・業)を生み出して行くとは知らず、平安を望むために国の統一の為に戦が起きてしまい、平和を望むとは裏腹にカインという先達者が、アベルという後続者を食い物にする流れは現代まで続いています。

それでもルールという法がなければ、ここまで秩序立てられた世界まで整うことはなかったのも確かなことなのです。兄カインの自己犠牲の努力のたまものが現代を支えているのです。


しかし、星が崩壊するようなカルマ(行為・業)などの因果関係が、体感的に解る教育でも施されれば目が覚めるかも知れませんが、「感情論」が支配する世界において、誰しもカインと化し、アベルを殺してしまう関わりしか示せなくなる現状があるのです。

そしてどこまでも「科学的論理(ロジック)」を構築し、真実とされるデータに基づいた判断で動いても、それは宇宙人の発想と変わらず人類創成のカルマの解消に向かっているものではなく、問題を無視して取り組んでいるに過ぎないのです。

人類は「悟り」とはほど遠い所に立っており、かつて宇宙人が地球人を教育しようと文明をもたらしたように、先進国が後進国に科学的進歩を加速させようと関与する姿で見て取れるのです。

星の崩壊と同じ流れがあり、後進国に投資し援助という名目の食い物(利子で稼ぐ)にしている現実が、先進国の崩壊へと追い詰められているのです。

歴史は繰り返されるのがカルマの宿命に見せかけた運命です。

転生を果たしたアダムとイヴの心が開き、隔てられた意識の統合を経ても、歴史を動かすか否かは、人類が目下を叩かず、目上のせいにしない道を歩めるかに寄ります。

心を開いて行くしかない段階に入りました。

共に心を繋げて行きましょう。


つづく

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