見出し画像

人間ぎらい、モリエール

 17世紀のフランスの劇作家、モリエールの喜劇「人間ぎらい(原題:Le misanthrope)」。
 主人公のアルセストは世間と調和をはかることを嫌がり、自分の正義を貫く青年です。あまりに自分の正義を優先する彼に対して、友人のフィラントとエリアントは彼に忠告しますが、アルセストは全く聞く耳を持ちません。それでいて社交界に染まり切ったセリメーヌからの一途な気持ちを得ようとするアルセストは最後には恋に破れて人間社会から逃れる決心をします。
 正義を貫くことと、他者や社会とうまく付き合うことは時に矛盾する、という現代にも割と当てはまるようなことをテーマにした古典喜劇を読んでみました。
 完全にネタバレを含みます。読む時にはお気をつけください。それでは行きます。

他者に迎合するということ

 アルセストは登場するなり、友人のフィラントに腹を立てています。フィラントが自分が本当に思っていることを相手に対して言わずに、他者に迎合している、と非難を浴びせます。

君は通りがかりの男に、いやに甘ったるい言葉をならべたばかりか、ものやさしい素振りの限りをぶちまけて、骨身をくだいておためをはかるとか、なにによらず御用をつとめるとか、堅くかたくお約束するとか、臆面もなく言ってのけたじゃないか。
そして君と僕と二人っきりになると、君はこの僕にたいして、ふん、あの男か、どこの馬の骨ともわからないやつさと言ってのける。馬鹿も大抵にするがいゝ。人前で腰を低くするだけならまだしも、あんな心にもないことを口にするなんて、卑劣だ、卑怯だ、不面目の至りだ。
立派な人にも、やくざ者にも、同じ様子で応対する。僕はあんな連中くらいいやなものはない。

 アルセストが目指しているものも分からなくはないし、僕もどちらかというと、自分の内面をそのまま表現できるような人間でありたい、と思っているのでアルセストに共感するところもおおいにあります。しかし、この場合、アルセストにとっては、心が彼にそうせよと訴えるものが、彼にとって一番の正義になっていると思われます。

人間は人間でありたいのだ。どんな場合にも、僕等の心の奥底を僕等の言葉にあらわしたいのだ。僕等の心がそのまゝ、僕等の言葉でありたいのだ。

 自分の正義に徹底的に固執して、社会そして世界から孤立しても良いと思えているアルセストは自分に対して絶対の自信を持っており、悪く言うと自惚れている、とも言えるかもしれません。

どこへ行っても、卑しい阿諛追従ばかりだ。奸計ばかりだ。もう我慢ができん。腹が立つ。僕はきょうから、全人類に向かってまともに反抗してかゝる覚悟だ。


心に従うことで生じる矛盾

 そんなアルセストが恋い焦がれるのは社交界に染まったセリメーヌという女性。アルセストは、良いことにならないと知りつつも、セリメーヌの美しさに恋せずにはいられないようです。心が恋せよと言うのだから仕方ない、彼は従うしかありません。論理的に考えたら絶対にうまく行かないのですが、彼にとっては自分の心が正義なので、論理よりも感情が優先されます。

恋ってやつぁ、理性じゃどうにもならないんでね。
僕はどうしてもあなたを愛しないじゃいられない。もしあなたの手から僕の心が取り戻せたら、それこそ願ってもない幸せなんだが、それが僕には、できないことです。

 しかし、もちろん社交を大事にするセリメーヌのことは、友人のフィラントと同様に許容することはできません。論理的にもセリメーヌを愛するためには自分と同様にセリメーヌにも「心がそのまゝ、言葉になっていてほしい」と思っています。しかし、セリメーヌは他者に迎合して誰にでも良い顔をします。

しかし、あなたに憎からず思われようと思ってやってくる連中と来たら、あなたがとかくちやほやなさるんで、始終お家に出入りすることになってしまう。平身低頭してやってくる男と見ると、あなたは誰にも優しい仕向けをして、みんなの心を引きよせておしまいになるんです。

 心が恋せよと言う一方で、自分の心をそのまま言葉にしないセリメーヌへの思いは葛藤を生み、恋する一方で非難もします。

ところが僕には、その欠点が一々目だってしようがないんです。奥さんもご存じの通り、僕はそれを見て見ない振りをしているどころか、しきりに非難を加えているんです。

 エリアントが言うように普通の人は欠点も含めて相手を愛します。しかし、自分の心に従う、というアルセストが最も大事にすることと真逆のことをするセリメーヌのことをそんな風に思えないようです。この「許容できなさ」にアルセストが「人間ぎらい」である根幹があるように思えます。

だけど、普通の恋って、そんな風なものではないわ。恋をする人は、いつも自分の選んだ相手を褒めるものよ。夢中になっていて、相手のよくないところなんぞ、目につくものではないわ。相手のことだと、何によらず愛らしくなるものよ。欠点だっても立派な事に思われて、何かと贔屓目に見るものよ。

 しかしこの後アルセストはセリメーヌの八方美人が原因で決定的な裏切りを受けます。

人間の犯す、ありとあらゆる恐ろしい所行も、あなたの不実な仕打ちにくらべたらなんでもないんだ。

 この時に、アルセストはセリメーヌに提案します。これを機に心をいれかえ、社交界を捨て一緒に田舎で暮らそう、と。そしてその新しい生活において、アルセストはセリメーヌの欠点も含めて愛する、、、かに思われました。

僕はあなたの大それた罪を忘れたいと思います。心の中では、あなたのなさったことを何によらず大目に見ることができるでしょう。人間が弱ければこその振舞だ、現代の悪弊があなたの若いところにつけ込んだうえのことだと、見過ごす気にもなるでしょう。しかしそれも、一切の人間から離れようとしている僕の計画に同意して下さなければだめです。

 しかし、この提案はセリメーヌによって拒絶され、アルセストは人を欠点を含めて愛する機会を失い、完全に「人間ぎらい」になってしまいます。

到るところで裏切った仕向けをされ、さんざ不正なことをしかけられた僕は、悪事が時を得顔に跋扈している渦中をはなれ、人里はなれた場所をこの地上に探し求めて、なんの束縛もなく、名誉をおもんずる人間として生きるんです。

欠点も含めて愛すること

 アルセストの欠点は純粋でありすぎ、他者に少しでも迎合するような不純な人は全く許容できない、という一種の潔癖さがあることです。そしてその潔癖さゆえに、アルセストは人間社会から逃れるしかないと考えます。
 しかしフィラントが言うように、アルセストの理想はもっともだけども、不誠実や欺瞞といった悪徳があるからこそ、正直さや率直さといった美徳も生まれます。欠点があるからこそ、美点が生まれるというのは、楽しいことばかりでは楽しいことも楽しいと感じられず、苦しい時があるからこそ楽しい時に楽しさを感じられる、みたいな感じでしょうか。

いや、君の言うことにはみんな賛成だよ。世間の事はなにもかも陰謀ばかりだ。欲得ずくめだ。今じゃ狡く立ちまわる者ばかりが、勝ちを占める世の中で、じっさい人間はなんとかならなければいけないのだ。しかし、人間のやり口が公平でないから、君が社会から離れたいというのは、どうも我が意を得ないな。人間にそういう欠点があればこそ、われわれはこの世の中に生きていて、我々の哲学を練る道が見出せるのだ。そしてまたそこに、人間道徳のいちばん立派な運用があるのだ。もし何事も正直ずくめで、だれも彼も率直で公明正大で柔順だったら、美徳というものは、大部分無用なものになってしまうよ。なぜといって、こちらが正しい場合、他人の不正を気持よく堪え忍ぶのが美徳の美徳たるゆえんだからだ。

 そしてフィラントとエリアントは、欠点を許容することができるからこそ、アルセストの潔癖さを許容し、人間社会を離れる決心をした彼を再び社会に連れ戻そうと話すのでした。まさに彼らはアルセストの欠点も立派なこととして思って、アルセストを愛しているようです。

あんな振舞をなさる方って、ほんとに無類ですわね。だけど、正直のところ、そこがあの方のおえらいところですわ。何事にも真剣を誇りにしていらっしゃるところには、それなりにどこかしら、きりりとした、雄々しいところがおありですわ。
さぁ、僕たちはどんなことをしても、アルセストの計画をぶち壊そうじゃありませんか。

おまけ

 ちなみに最後の文章は原文では以下のようになっていました。

Allons, Madame, allons employer toute chose,
Pour rompre le dessein que son cœur se propose.
行きましょう、マダム、全てのものを使っていきましょう、
彼(=アルセスト)の心が定める運命を断ち切るために。(さっちー訳)

 「彼の心が定める運命」という表現が面白くて、本人がそう決まってしまっていると思い込んでいるだけで、他の人から見るとそうでもないことってよくあるよなぁ、アルセストも人間社会ではやっていけないと思い込んでいるけど、この後フィラントとエリアントに連れ戻されて折り合いをつけられるようになっていくのだろうと、想像しました。

以上です!最後まで読んでくれてありがとうございました!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?