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自分の中のおじさんと戦う…ただしい自己肯定か老化か

最近、鏡の中の自分を見る目が厳しくなくなってきた。
どんな自分も「いや、結構いけるよ」「この年でこの肌なら完璧」と異様にポジティブに捉えられる。時々は物凄く可愛らしく見えたりもして…

これは「自分を肯定できるようになった」「ポジティブになった」と捉えても良いのだが実際は「心と目がおじさん化してきたのではないか」とも思える。
女性ホルモンが減って男性ホルモンが増えた影響か、物凄くポジティブに、自己肯定感が高まっているのである。
自分に対する解像度が低くなって粗が見えにくくなり、気分も高まって、自分に対してネガティブな気持ちを持ちづらくなっている。

若かりし頃は自分自身の粗がすぐ目に入ったし、判定が厳しかった。毎日のコンディションで気持ちが左右されたし、美を追求する努力も惜しまなかった。拒食症にまではならなかったが、かなりウエイトコントロールもしていた。周囲からの評価に一喜一憂し、上がり下がりの激しい自己意識の中にいた。(多かれ少なかれ、女性はそういう美意識の牢獄に片足をつっこんでいると思う)

けれども今は異様に自分へのハードルが下がり、評価が甘くなっている。理屈なく自分に自信が持てるのである。

これはちょっとまずい……と震えた。
と、同時に「世の中のおじさんたちはどうして自分自身の醜さに自殺したくならないのか?」「どうしてあれほど醜い姿でありながらそれを恥じたり変えようとしたりせず堂々と自信満々でいられるのか?」「なぜ婚活という場にいくときでも身なりを整えたりダイエットしたりしないのか?」という長年の疑問の答えがわかった。

彼らには見えないのだ。自分の醜さが。
ナチュラルにそういうレンズをはめているのである。
そして年を取った私も、そのレンズをはめかけている。

自分への解像度(客観性)が低い、かつ、ホルモン的になんかポジティブ、というのがおじさんの定義である。

女性の方がセロトニンの分泌が少なく、幸福感を感じにくく落ち込みやすいと言われる。楽観的ではなく慎重であり、ネガティブな要素を直視する傾向が強い。それが自己否定や自分を過小評価する傾向につながっている。
女性が自己を過小評価するのに対し、男性は自己を誇大に広告する傾向が強い、という研究もある。

「ありのままで」と歌ったエルサが人の心を掴んだのは、彼女が(女性的な)自己抑圧・自己否定を克服してようやく自信を持つ端緒を掴んだからである。
けれども最初から自己肯定感の高いおじさんが「ありのままで」と言っても逆に弊害があるだけだろう。もう少し繊細になれ、油断せず自分を磨け、と人は思うだろう。

いまや私は繊細なエルサではなく、おじさん的な境地にいるのかもしれない。危機感を持ちつつも、この境地は手放し難いぞ…と思う。
自分に甘い、粗が見えないだけでこんなに生きやすいなんで知らなかった。

しかし、このままではおじさん化まったなしである。

苦肉の策として、少しでもおじさん化をくいとめるように美容に力をいれよう、と思いたち、美容エステの予約を取るのだった。




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