「活動する人」として生きる
「縮充する日本 参加が創り出す人口減少社会の希望」(山崎亮 著)を読んでいて、ドイツの政治哲学者、ハンナ・アレントの言葉に出会った。
アレントによると、人間の行う生産活動は次の三つに分類される。
労働:消えていく価値のためにやること
仕事:モノとして残る価値をつくること
活動:自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が価値を見出せるもの
そして、「活動」に重きが置かれる社会になった時、その社会は豊かな社会になるのだと。
山崎亮氏によれば、この「活動」を行う人のことを「市民」と定義し、いかにこういう「市民」を増やし、活動しやすい状態を作っていけるかが、これからの人口減少社会における一つの鍵になるだろうと述べている。
これを、山崎氏の本では「参加」というキーワードを軸に医療や福祉、教育やアートまで、様々な角度から市民が社会に「参加」していくこと、そしてそこから生まれてくる可能性について考察がされている。
これまでに「住民参加」という言葉を何気なく使ってきたのだけれど、改めてアレントの定義を見ながら考えてみると、いろいろと気づきがあった。
いわゆる「市民活動」と呼ばれているものがあるが、自分の中では、これは「市民が、目の前にある問題、課題に対して、その解決のために動くこと」だと勝手に理解していた。
ただアレントの定義を読むと全く違うニュアンスだ。
まず「自ら主体的にやりたいこと」がある、という点が大事だろう。
これが結果的に問題解決のためになることもあるかもしれないが、必ずしもそうである必要もない。
ただし、他者の共感を得られるもの、という条件もついているので、独りよがりなものや自分勝手なものであってはならない。
この辺りが、住民参加や市民参加ということを考えるのに、一つのヒントになるのだろうなと思った。
本書では、アメリカの社会学者、シェリー・アーンスタイン氏による住民参加の8つのステップも紹介されているが、これによると住民参加は大きく1.非参加、2.形式的参加、3.実質的参加 に分類されるという。
山崎氏がアレントのいう「活動」を行う市民に照らして言うと、3.実質的参加を行う人達ということになるだろう。
ただ、ここに至るまでにはかなりハードルがある。
そこで山崎氏は、楽しい参加の仕組み、思わず楽しくて参加してみたくなる仕掛けを作っていくことが大事だという。
自らの主体性が生かされ、そこに他者の共感がついていく。
考えてみれば、このnoteもそうした仕組みの一つなのだろうし、改めて自分にとって「活動する」ことは何なのだろうと問うきっかけにもなった。
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