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七七日

あれから早いもんでここまで来た。
未だに実感がない。
今でもフラリと訪れると、父が祖父が迎えてくれるような気すらする。

今用事で訪れても、2人とも箱に収まっているだけだ。

祖父は数年前から年齢もあるだろうが、健康状態が悪くなっており、そう遠くないうちに…と失礼ながら覚悟はしていた。
それだけに父が突然そうなってしまったのが衝撃以外の何者でもなく、祖父の訃報に接したあのときを遥かに凌いだ。

自分の住んでいる街は閑静な住宅街で、夜が深くならずともシンとしている。
自分の心境と同じく、無音。

話して感極まるほどではないが、ドラマで似たようなシーンになると鼻の奥がツンとしてくるようになったし、箱に収まってから悔やんでいても遅いのだけれど、心残りを穿り出して悔いるときもある。

2人とは大人になってからそう会話は交わせてなかったことが悔やまれるからこそ思い出したくないのだが、昔を懐かしんだりもする。
あの時はこんなことを言われて、あんなことをしたりしたな〜なんて。
そうすると共通項もあった。

昔から泣き虫で、なにかあれば泣きベソを浮かべては
「男だから泣くな」なんてよく言われた。
今の時代じゃ、男でも女でも関係ない〜などと外野から言われそうだけれども。

2人が各々安らかに眠っているところから最後まで泣かずに送り出してあげるのが、最後にできる孝行だと思って。
随所随所で危ういところはあったが。
ただ、それじゃいけないと思い、その度奥歯を噛み締めた。
泣き顔を2人に見せたら、いい大人になってまだ泣いてるのか、なんて怒られるのか…心配されるにしても、安心してくれないだろうし。

読経してくださった住職には「お別れではなくて、仏様としてのステージに変わるから姿が見えなくなるだけで、居なくなるわけではない」とお説教もいただいてフッと楽になった。
面と向かって言えなくなるだけで、法要とかのタイミングで報告をして故人の仏様としての徳を上げられるよう、ご家族それぞれで徳を積んでいってほしい、とも言われた。

自分の為に。
そして先祖の為に。
今のように陰鬱と過ごさず、明るく幸せに過ごすのが一番の功徳かもしれない。
四字熟語で「随喜功徳」なんて熟語があるようで、人の喜びを一緒になって喜ぶだけで徳が積むことになるというほど、それは直結しているらしい。

ただ、それまで少し時間はかかるだろうなぁ。


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