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期待しないってスバラシイ

最近、何かにつけてムッと思うことが増えた気がします。

自分は最近、互いの仕事の影響を考えて友人と会うこともせず、買い物も朝にサッと済ませたり、外出するにも用事をまとめてなるべく外から出ない。運動するにも人気のない夜を選ぶ。

それなのに、電車の中でちゃんとマスクも着用せずに騒ぐ方々、大人数で会食に興じる方々…今までは目にも留めず、むしろ楽しそうだと思える光景にすら気になるようになってしまった。

いつの間に、ここまで気を遣って過ごさなければいけなくなってしまったんだろう。おかげさまで普段の生活スタイルはおじさんになってしまった。「気持ちはいつでもハタチ!」を標榜している自分からしたら、こんなことは言ってしまいたくないけど。

仕事でも似たようなことが起こると思う。自分は意識してるのに、周囲の方々はそうでもない、認識の不一致のようなこと。

・きちんと伝えて依頼した仕事が自ら望んだ出来ではなかったとき。
・あるいはそれ以前の話でやってほしいことをやられずに放置されたとき。

なんでやってくれないんだ!

と心の中で怒りを覚えたことが皆さんも一度はあると思う。人間、忘れることはよくあるから仕方ない場合もあるのだが、この人に頼むと毎回やってくれないなあ…って場合。

これで大体頑張り屋さんな方は「そんなら自分が全部やっちまおう!」って抱え込みがちですが、それはストレスマッハです。どんどん頼んで楽になりましょう。

対処法は「期待しない」、それだけ。

直球ドストレートで言ってしまうと

「自分には関係ない」のですから。

望んだ出来じゃなかった場合、その成果を評価されたときに痛手を蒙るのはその方々だし、頼んだことがやられてなかった場合でもその人の間接的な評価が下がるだけで、自分がどうとなることはないのだ。といっても現実は巻き込まれがちだからアピールはしておきたいし、普段から気をつけておいたほうがいいとは思う。

でも、怒りを覚えてしまう。

それは「無意識レベルで期待してしまっている自分がいる」からだと思う。

「このご時世だからみんな気をつけているだろう」
「何回もやっているからわかるだろう」

この「だろう」が無意識ながら期待になってしまっている、と思う。

だから期待しなければいい。ニュースで取り沙汰されていようと、お願いしていようとそもそも個々人で捉え方は異なるのだから、自分が期待しているであろう結果になるわけがない。それがたとえ自分の給料、職場環境といったことであっても。

もし完璧に合致していたら運命の人レベル。

いっそのこと結婚したほうがいい❨え?❩

期待をしないことで、自ら望む展開にならなくてもそれは当然、と自然に受け入れることができる。なんなら自ら望む展開に偶然でもそうなったとき、倍以上の喜びを感じることができるのが非常に大きい。期待しないだけで、棚からぼたもちとばかりに、少しのことでも幸福度合いが変わってくる。

なんでもかんでも叩いてしまう時代。それは疲弊しきっていて心の余裕を感じれなくなった警鐘だろうと思う。期待しないことで、少しのことでも喜びを大きく、良いことはお互いに褒めて心朗らかに生きていきたいものだ。

期待しないって実に素晴らしいライフハックなのかもしれませんね。

自分で導き出した!と自己満足してたらこういった本もありました(笑)





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