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給水塔百景 (世界の給水塔 前編 ロシア編)

今日、思い出したこと。
普段は1年前の給水塔訪問記を書いているけど、今日映画を観て思い出したシベリア鉄道とロシアの給水塔、6年近く前の旅のこと。

長文。
忘れることばかりの毎日なので、忘れないうちに記録。

映画、「コンパートメント No.6」を新宿で鑑賞。
1990年代のロシアが舞台、モスクワから最北の地へ向かう電車の車中で生まれたプラトニックラブな恋愛映画。

2017年の6月~8月まで世界一周に行ったとき、ウラジオストックからフィンランドのヘルシンキまでシベリア鉄道で移動したときの事を思い出した。
映画は90年代の舞台設定だけど車内の雰囲気はあまり変わらない。

10年以上勤めた会社を辞めた。
リストラ実施時に辞めたいと立候補してリストラしてもらった。
いい会社だけど職場は嫌いだったので思い残すことはなかった。
すぐに次の転職先は決まったが、有給消化はたっぷり3ヵ月ある。
病気の疑いがあり、手術と合わせて2ヵ月療養が必要と某私立大学病院で言われたので入院の手続きと手術、療養を考えた。
私立大学病院の医者と会話していて診断が怪しいと感じた。
紹介状を貰い、過去の担当医がいた別の大学病院にセカンドオピニオンを求めた。
私立大学病院の診断は誤診で手術も療養も不要だった。
セカンドオピニオンの診断結果を伝えると、私立大学病院の医者も内容を認めたが、念のためしばらく薬は飲むこととなった。

有給期間は世界一周旅行で使おうと決めた。
色んなルートを考えた、シルクロードの旅、東欧巡りの旅…
最終的に決めたのがシベリア鉄道でヨーロッパに行き、北米に行くことだった。
ウラジオストックからモスクワまで行き、そこから先は気分で考えることにした。
ウラジオストックまでの片道飛行機チケットとウラジオストックからモスクワまでのシベリア鉄道の片道チケットを購入する。

ウラジオストクへ

成田からウラジオストックまで小さなプロペラ機で5時間位。
大きいロシア人が機内をのしのし歩き回るとプロペラ機が傾いてしまうようで不安だったが無事にウラジオストックに到着した。

プロペラ機…
これはロシアか北方領土か?

空港からウラジオストックの中心部まで移動する。
分かり易いように、シベリア鉄道の始発駅ウラジオストック駅近くにあるホテルを予約しておいた。
空港でバスを探しているとタクシーの呼び込みが沢山集まってくる。
空港で呼び込みを行っているタクシーは大体タチが悪い。
「バスで行くからタクシーはいらない。」と断るとしつこく勧誘してこないで、「市街地行きのバスはあっちだよ。」とバス停の位置を教えてくれた。
言われた方向に行ってみるとほんとに市街地行きのバス停があった。
嘘つきが多い空港の呼び込みタクシー運転手と思ったが非常に良心的。

ウラジオストックの駅

空港からウラジオストック駅まで移動する、当時はGoogle Mapsがオフラインに対応しておらずスマホを国際ローミングにして地図アプリを利用すると、数万円のパケット代が請求される人も居たので気を付ける。
Maps meというオフライン地図アプリにウラジオストックとモスクワの地図をダウンロードして、Maps meを頼りにホテルを探すがよくわからないので、ロシア人に道を聞いた。

聞かれたことが嬉しいのかとても親切に教えてくれる。

無事にホテルに着くとモデルさんのようなロシア美人が3人で受付。
スムーズにチェックイン。
荷物を降ろして美人受付嬢に駅の場所とかみどころを聞いてホテルの近所を散歩。
駅前にスーパーがあり、晩御飯にお惣菜とビールを買っていく。

ロシアっぽいクマ印ビール

日本からの移動で疲れていてレストランを探すのが面倒だったので、スーパーで買ったもので晩御飯を間に合わせる、スーパーのお惣菜コーナーのおばちゃんが色んなお惣菜を英語で丁寧に説明してくれる、「私、英語喋れるの驚いた?」と聞かれる。
モスクワでは英語を話す人も多いが地方都市では英語はあまり通じない。
「若い時に英語勉強したの、ロシアで英語話す人は少ないよ。でも英語の仕事が無かったの。」と言った。
話好きで優しい人。
ウラジオストックに4日間ほどいて毎日駅前のスーパーでおばちゃんと世間話をして買い物した。

ウラジオストックの水族館に居たキャビアの母ちゃん。

卵くれ!
珍しいアルビノ種

ウラジオストックで某廃墟巡り…

まず、外国人や観光客が来ない場所
廃墟群
建設途中だったのか、廃墟化したのか
崩壊したのか、作りかけなのか
AK47?

モスクワ行きの電車が発車する日となり、最後におばちゃんのスーパーで缶詰やパン、保存の利きそうな食材とフォークとスプーン、栓抜き、ビール、紅茶のティーバッグを買って駅へ向かう。

メニューにKelpと書かれてたので、オーダーしてみた。
昆布の酢の物、ロシア人が昆布食うとは思わなかった。昆布の缶詰まであった。
ペリメニ(ロシアの水餃子)、サワークリームで食べる。

ウラジオストック駅は非常にきれいな天井装飾がされている。

駅の天井装飾

駅は自由に立ち入りできて、電光掲示板には行先と到着地の時間で出発時間が掲示されている。
ロシアはウラジオストックとモスクワで7時間の時差がある。
ウラジオストックから出発でも駅の掲示板には到着地のモスクワ時間で表示されるので注意が必要。

到着地のモスクワ時間で表示される。

映画と同じく、各車両に恰幅のいいおば様が専任車掌として車両ごとに担当している。
自分の車両の出入口以外では乗降できないので、自分の購入した車両から乗らなくてはならない。

私の乗ってたコンパートメントNo.7

自分が乗る車両担当の車掌さんに切符を見せて晴れて乗車。
7泊8日の電車の旅。


一等車のコンパートメント

一等車を予約。
一等車と二等車は基本的に同じコンパートメントの作りだが一等車は定員が2名、二等車は4名となっている。
三等車もあるが、これはコンパートメントが無く蚕棚のようなベッドが並んでいる。
映画では二等車が舞台となっており食堂車に移動する際に三等車の様子が映っているが、同じ雰囲気だった。

映画と現在で微妙に違うのはコンパートメントがカードキーの自動ドアとなっていて液晶テレビがついているが、映画の設定は90年代なので時代考証から再現したコンパートメントだったのだと思う。
一等車は乗車時に軽食と初日の晩御飯が無料で提供される。
美味くも不味くもない。

乗車時の軽食…
晩御飯…

翌日の朝、パン籠を持ったお姉さんが各車両にパンを売りに来た。
車内でパンを焼いているという。
ロシアらしからず、ロールパン。
パン売りをしているお嬢様はオルガさんという可愛い女性で食堂車の担当だけど、朝はパンを各車両に売り歩いている。
他の車掌さんや乗務員はほとんど英語が話せない、英語話せるのは私ともう一人しかいない。と言っていた。
とても愛想がよくて話好きな方で毎日20-30分色々と話しをしていく、朝食のパンは安くて美味しい。
「今度、食堂車に食べに行くね。」というと私が毎朝パンを売りに来るから食堂車には来なくていい。と言い返される。

食堂車、コーヒー飲んだ。

「昨晩ドイツ人が4人来てシャンパンとオードブルだけで500ドル位払った、安いシャンパン2本で馬鹿みたい。高いから食堂車はやめたほうがいいよ。」と忠告してくれた。
正直な物言いが気持ちいい。
ましてや若い人がはっきりと言ってのけるとあっぱれと思う。

車内ではシベリア鉄道グッズが販売されている、なんか今一つなキャラ。

チケット購入時に「Sexual Sensitive」というチェックボックスがあったが、チェックの有無に関わらず空席次第でコンパートメント内は男女ミックスとなり、乗車途中、2泊ほど女性客と同じコンパートメントで一緒に過ごした。
このチェックボックスはLBGTを確認しているのだろうか?
同年代のキャリアレディーなマダムで、英語を若い時に勉強した方でロシアの大きな物流企業で中堅幹部の方だった。

バイカル湖名物のオームリ、マダムが手際よく素手で捌いて取り分けてくれた。
イワシの手開きみたい。
燻製になったオームリ、旨い!

控えめな方だけど、毎日家族のことや仕事、モスクワや地方都市のことを詳しく教えてくれた。
バイカル湖に到着した際に、バイカル湖名物の魚、「オームリ」を同室のマダムの部下が届けてくれた。
とても美味しい魚だが、2年続けて不漁となり市場では出回らない年だった。
同室の女性からご相伴に預かり頂いた、ヒメマスに似た味で上品でいて脂があり食べ飽きない味。
(私が行った2017年から乱獲禁止のため漁獲停止だった。)

出身は旧ソビエトの秘密都市で生まれた方でロシア化されるまで地図に掲載されなかった街で生まれ育ったが、特に不自由することはなかったそう。
DAUナターシャみたいな世界を想像してしまう。

レクサスを数台所有していたり、途中の停車駅では部下がお土産を持って駅に出迎えたりと結構なステータスの方の様子。
私と同年代の特徴なのか、深夜、土日も仕事に追われてるとのことだった。

停車駅での停車時間が長い時に近所のキオスクでビールとつまみ、食事をゲット。

駅にはクマさん。
ロシアにもソフトさきいかが売られている。日本のさきいかより不味い。
車内で晩酌のおつまみ。

一等車には私ともう一人日本人の方が居た。
ロシア語で喋っているが会話のトーンがカタカナ発音なので、日本人だなと思って話掛けてみた。
大阪から来た80歳のご老人だが、とても80歳とは思えないバイタリティ溢れるヘビースモーカーの方。
終戦時に旧ソビエト領内に残留した日本軍将校の家族で終戦とともに一家揃ってモスクワ近郊の捕虜収容所に入れられ、戦後もしばらく抑留となり10歳ごろまで収容所暮らしだったそうだが、捕虜として悲惨な体験はあまりなかったという。
昔、育った収容所施設があった場所に行きたいという思いで、1年かけてロシア語を習いモスクワに向かう途中だという。
直行便もあるのにシベリア鉄道を選ぶのはどういう理由だろうか。

停車したときはロシア版ルートビアのKbacで一服。

シベリア鉄道の各停車駅ごとにホームに降りてタバコを急いで吸っては電車に戻り、車内ではコンパートメントに同室のロシア人にウォッカを毎晩一気飲みさせられているという。
「同室のロシャー人がウォッカ毎晩飲ませよるんや、一気飲みせなあかんのや、ほんま、もー無理やで思うけど、飲んだらまた飲ませるんや。
もーあかん。電車停車したときしかタバコ吸われへん。」
私は80歳過ぎてからタバコとウォッカを浴びながら、外国語を習得して異国の地を8日間電車の一人旅に出て自分の幼少のルーツを辿ることなんてできる自信がない。
収容所で捕虜とはいえ、日本軍将校の家族ということで優遇され小遣いと食事、おやつが支給され、親子共にひどい強制労働もなく日本帰国時には日本の終戦後の貧困がひどくて驚いたと言っていた。
ステレオタイプの悲惨なラーゲリ生活とは違う話が聞けて興味深い、シベリアとモスクワ近郊という点が大きな違いなのだろうか。

二等車、三等車には日本人の中年バックパッカーみたいなのが数人おり、日本人同士で固まって貧乏自慢みたいな話ばかりしていた。
つまんない連中。
無視して過ごす。

毎日車窓を眺めて過ごす。
夜も暗くなるのが22時過ぎ、時差も変わっていくので昼夜、時間の感覚もあまりなくなる。
車窓に映る大自然、巨大な廃墟、色とりどりの給水塔をお茶とビールを交互に飲みながら眺めて過ごす。

シベリアは大自然
朝か夕かもわからない。
巨大な工場、灰色の空がよく似合う。
謎の大規模工場、現役なのか廃墟なのか
給水塔があちこちに。
給水塔はレンガとか木で装飾されているのとか色々。


隣の車両の車掌さんのお気に入りビール、Kozel(チェコ産)これは美味い!
車掌さんが奢ってくれた。

8日目に車掌さんが各コンパートメントのベッドを収納して通常の電車のボックスシートに変えて、車窓の街並みが賑やかになってきた。
液晶テレビが映りはじめ、ロシアの国歌?かなんか車内放送で流れ始めた。
モスクワ近郊にはカラフルな団地。

ベッドタウンかな

モスクワに到着した。
ラッシュアワーの時間だったのか、地下鉄に乗り換えるとすごい人混み。
電車で8日間、大陸的な景色を眺めて過ごしてゴロゴロしてた身体には大都会のギャップが大きい。
一等車で同乗していた老人の荷物など持ってあげてホテルに向かう乗り換え路線まで送ってわかれた。
最後に「この電車ですな。ほな、さいなら。またどこかで。」と言ってひょいひょいと荷物を持って去っていった。
ラフ&タフ。

モスクワでは赤の広場から歩いて15分位の便利なところにあるプチホテルを予約して赤の広場とか眺めて過ごす。

連日多くの観光客が居たが、現在はどうなってるのやら。
赤の広場の近所から撮影、壮大で綺麗なモスクワ。
モスクワの代表的建築の一つ「ウクライナホテル」の遠景
ウクライナ人の国民的な作家にちなんで作られた。
内装もウクライナ風に作られている。

モスクワで1週間位過ごした。
ボリショイ劇場でオペラを鑑賞したかったが、チケットがSold out入手できず。
猫だけのサーカス小屋があると聞いてこちらも予約をしたかったが、臨時休業中で観れなかった。
諦めて毎日ぶらぶら飲んで歩く。

モスクワで毎日行ってたビアバー "RULE Taproom" 常時18Taps。

https://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g298484-d8720268-Reviews-RULE_taproom-Moscow_Central_Russia.html


南欧に行きたくてモスクワ発スペイン バルセロナ行きの航空券を買ったがキャンセル。
もう少し電車の旅を続けたくなりモスクワ発、フィンランドのヘルシンキ行
きの電車のチケットを買った。
旅行計画は気分で適当。

ロシアを電車で旅しているときに給水塔って色んなバリエーションがあって面白いなぁと思って帰国してから1年後。給水塔は解体されてなくなりつつある、国内にも歴史的な給水塔が残っている事を知って給水塔の写真を撮るようになり、「給水塔百景」を始めた。

ロシアという国は戦争が始まってから悪い印象で見られるが、独裁的で偏った政治から生まれた戦争と国民は別な話。
雄大な自然、文化、建築物、道をあるけば美人に出会えて、打ち解けやすい親切な国民性、ロシアは好きな国。
また行きたい。

I miss you!

2023年2月 (写真と内容は2017年6月~7月)

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