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All the Streets Are Silent

映画を久々に見た。後輩のストーリーで見て面白そうって思ってた映画。NYのヒップホップとスケートボードの歴史の映画で、ドキュメンタリー。

今までストリートカルチャーの発生はなんとなくぼんやりしか知らなくて、カルチャーを背景に今現れているものをただ享受していた。今自分が好きと主張して享受しているものたちにはちゃんとそれなりの、しかも自分の想像のキャパを超えた大きな過去があるのだっていう当たり前のことに気づけた。

ストリートカルチャーは、スポーツ、ファッション、音楽、アート、いろんな方面でいろんな事柄が起こっていたのが、それぞれがビッグになるとか自分の生きた意味とか名を残すとか、稼ぐとか、とにかく上へ上へともがく中で、分野関係なく、良いものは良いと認めて取り入れながら育っていったことの結果だと思う。その総合体がストリートカルチャーだ。その、カオスの中での、必死のもがきの中で生まれて育った事象、人、音楽、芸術が世界を圧倒させて巻き込んだ。ヒップホップとか、スケートボードとか、ストリートのグラフィティとか。そんな爆発的な熱量を持った状態、凄く良いなと思う。素敵だ。

対して現在の日本、ちょっとつまんないなとか思ってしまう。これは、棲み分けがはっきりしすぎてしまったせいが大きい気がする。この職業の人がやるべきことはこれ、こういう人種はこういう人種とだけつるむ、とか、むやみに分類して区別して、結果、利便性や専門性は増してもカオスが生じない。だからエネルギーのぶつかり合いと、そこで生じる爆発が起きない。

ニューヨークのハイラインでDS+Rが企画した、パフォーマーを集めてハイライン一帯を使ってパフォーマンスを完成させたプロジェクトには、アメリカのいろんな投資家が資金を投資したらしい。入場料はタダ、利益が一切でないプロジェクトに、なぜ投資が集まったのか、という議論が以前あった。日本だと、こんなにも利益が出ない大掛かりなことに投資するような人はほとんどいない。それは税制や国民性等、いろんな要因があると思うけれど、NYはストリートカルチャーの成功体験を持っているから、というのは一つの大きな要因かなと思う。いろんなものが垣根を超えてカオスが生じた結果、爆発的なエネルギーが生まれた。それを知ってるから、未知の組み合わせや取り組みでも、「面白そう」というのが投資する価値として凄く高い位置にいると判断したのではないかと思う。

日本でこの状況を生み出せるか、というのは、国民性もあるからNYで起こったことをそっくりそのまま起こそうとしても多分起こらない。それでも、日本人的なカオスを発生させて、そこでもっと火花が飛べばいいのに。それを作り出すことが、最近将来の夢の一つに加わった。だって今の状況、面白くない。
どうしても建築に行き着いて話してしまうけれども、今の時代、建築家のなり方、在り方が固定されてきているから、そこをぶち壊せたら、もっとカオスな状況を作って建築もそこに入り込めたら、このモヤモヤぼやぼやした感じから抜け出せるんじゃないかって勝手に思ってて、ぶち壊しに行ってやるって、思ってる。

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