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東京カテドラル大聖堂

私が日本で1番好きな建築はカテドラル大聖堂だ。それはずっと揺るぎなくて、圧倒的1位で、この間久々に行ったらやっぱり1位だった。天気は曇りだったけど、関係なく1位だった。
行った後、なんとなく、ちょうど1年前自分がTumblrでカテドラルへの愛を語っていたのを読み直してみた。

以下コピペ。

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東京に来て4年半。それまで生きてきた場所とは全く違う環境でも4年半も住んでれば完全に順応して、もはやここにずっと住んでたんじゃないかって錯覚することもあるくらい。もちろんそうじゃないことは理性では分かってるけど、ここでずっと育っていたとしても違和感がないくらい東京の景色が見慣れた景色になった。映画「パラサイト」の1シーンで、豪邸の地下シェルターに4年くらい住んでたおじさんが「俺はここで生まれたような気すらしてきた」的なことを言ってたシーンがあって、それもちょっとわかる。地下に4年間は想像もできないけど。

そんな東京で自分がとにかく好きな場所が、カテドラル大聖堂と明治神宮だ。この2つは、本当に好きで何回も行くけど、何回行っても全然見慣れた景色にならない。実は何回見ても見慣れないことがそれを好きになる原因なのかもしれない。見慣れたものも好きだけど、熱狂的になるには見慣れないことが重要だったりするのでは。っていう説。

これは今年の元旦に撮った写真。無加工なんだけど天気の力もあって神々しく撮れたオキニ写。帰省せず東京で年を越して、元旦の朝に歩いて行った。キリスト教徒ではないから新年最初に神社やお寺ではなく教会に行ったのは初めてだったけど、いい天気で静かな朝に神父さん(?)が聖書を読んでる聖堂の景色はごみごみした初詣よりもはるかによかった。

カテドラルは建築系の人なら必ず知っているかと思うが、丹下健三という建築家が建てた有名な教会だ。前のアパートから歩いて行けたので大学時代よく行っていた。世の中に見たい建築は無限にあるから、基本的にひとつの建築に建築を見るためだけに何度も行くことはあまりない。建築系の多くの人はそうだと思う。でもこのカテドラルだけは何度も行っている。

とにかく好きなんだけども、なんで好きなんだろう、外観はモダニズムの色や装飾のないシンプルなもので、形も単純なのに、ちょっと生き物みたいにかすかに膨らんでいるところがあるところとか、その曲面の先に切り口がそびえ立ってるところが魅力なのかも。中はもっとすごくて、RCが下から上までしかも斜めで曲線で続いて、巨大生物のお腹にいる感じがする。

私は行くたびに後ろから三列目の中央付近に座る。なぜかというと、その場所だと天井が高くて、かつ祭壇後ろの開口の上部がギリギリ見えなくてずっと上まで続いてるように見えるからだ。

こうやって好きな理由を言葉にしてみると、自分はあのシンプルでブルータリズムかつモダニズムの極みみたいな感じが好きだと思ってたけど、実はその生き物みに惹かれていたのかもしれない。とにかく好きだ。

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今でも全く同意しかない。ほんとに好きだ。
でも自分が建築にどんどん足を踏み入れるようになってちょっと感情が変わった。単純な好きだけじゃなくなった。

最近は自信と不安でゆらゆら動いてる。
一級建築士受かってたら、最短ルートで、最年少の一級建築士の1人になれる。(たぶん?)それに、この歳で40軒も家を設計してる人なんて、同年代でなかなかいないと思っている。そのおかげで、知識と自信がついた。いろいろと乗り越えた自負があるし大きく構えていられるようになった。でも、一級の勉強が終わって考える余裕ができたせいか、たまにふと不安が襲ってくるようになった。実際の建築や建築の写真を見て、かなわないな、私にこんなことができるのかっていう、自分の今との距離に恐怖を感じる。カテドラルがその最たるもので、距離が遠すぎて、本当に遠くて、怖くなる。スッと心臓が落ちそうになる。
これは良いように捉えれば、今まで距離を測れすらしない場所にいて、やっと距離が分かるところまで自分が来れたっていうことかもしれない。というか、事実そうなんだと思うけれど、それにしても遠さに卒倒しそうになる。ほんとうに、ほんとうにまだまだのところにいるんだなって、死ぬまでにそこに行けるか、早くしなきゃって、焦る。それで早く独立したいっていうと、若いうちに独立したって、若けりゃいいってもんじゃないよってよく言われる。焦ってやるもんじゃないし。って。それは分かるし正しいと思うけど、30代40代の人たちが若手って言われてその状況にちょっと甘えてるような業界、ほんとにいいのそれ??って思う。内輪だけで褒め合い馴れ合いしてるの、ださくない???愛してやまないカテドラルの生みの親、丹下健三やその世代の建築家たちみたいに、もっと信念と気概を持って、圧倒的に生きたくないの???私は圧倒的に生きたい。

話が逸れたけれど、カテドラル大聖堂は、私の愛してやまない建築で、落ち着く場所で、緊張する場所で、着火剤で、心を揺さぶる存在で、私の中ではとにかく重要な存在であり続ける気がする。太陽みたい。益も害もたくさんあるけれど生きていく為に重要な存在。そうあり続けてくれカテドラル。

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