洞窟から世界を見る
ぼんやりとTwitterを見ていたら、
こんな投稿が飛び込んできました。
全てが共感でした。あまりに完璧な言語化!
そして、私はこれを見た時に、「カメラ」という機構にも共通点を見出しました。
カメラは「できること」が1つに特化している。
ファインダーで周囲から隔絶された薄暗闇の中に虚像を見る。
この場合は「洞窟」と言ってしまうと、辺りは暗闇なんだけど、洞窟を抜けるときの向こう側に見えるあの景色なイメージかもしれないですね。もしくは洞窟の中に浮かび上がる影を見ている感覚かもしれないです。
理科の授業で、レンズを通した光の屈折とかピンホールカメラとかをやった人はピンとくるかもしれないですね。
で、この高揚感ってハッセルブラッド500cmの窓から見る、あの景色そのものだと思うんです。
自分は幼い時からトンネルとか暗がりがすごく好きだった。
公園の砂場では砂のお城を作って、そこにトンネルを作って水を開通させ、向こう側の景色を見る時。
布団にくるまってゲームをして、親に隠れて朝までゲームをしていた時。
小学校の図書館にあった、長椅子の下に寝そべって本が読めるようなトンネルの中で小説を読むあの時間。
自分のワクワクは全て、暗がりの中で没頭する何か であった。
そういえばずっと暗がりにいたと思う。
カフェよりも薄暗い純喫茶が好きだし、
昼よりも夜を散歩する時間が好きだし、
夏より冬が好き。
だからこそ暗がりから見る外の世界は輝きに満ちていて、
だからこそ太陽の下にいる人からすれば見落としてしまう何か、に
気付きたいと思えるのかもしれない。
そこにカメラの存在意義があると思いませんか。
周りを遮断して、世界に向き合う瞬間。
映画館に行った方が映画の中身に目がいくでしょう。
水族館に行かなければまじまじと魚を見ることはなかなかないでしょう。
バーに行った方が「お酒を嗜む」行為に没頭できるでしょう。
カメラがあった方が「世界」に正面から対峙できるのではないでしょうか。
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