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手放すことで得られること。贈与とお布施と由布岳と。

湯布院に1週間ほど滞在していた。
今回湯布院にやってきたのは、僕がいま執筆中の原稿を書くのに、由布院が、いや、由布院にある束ノ間が良いと思ったからだ。

束ノ間とは、長年お世話になっているイラストレーターの福田利之さんが定宿にされていることから、ご紹介いただいた宿で、この最高なご縁のお礼を福田さんにどう伝えたら良いだろうと悩むほどに、以降何度も通い、いまでは僕自身も定宿にさせてもらっている。

それもこれも、僕にとってはオーナーの堀江さんの魅力が大きい。

と言っても、堀江さんは田舎のペンションのおしゃべりおじさんのような社交タイプでなくて、どちらかと言ったらかなり寡黙なタイプ。恥ずかしがり屋で、こういう言い方もなんだが、宿の運営にはもっとも向いていない人なんじゃないかとさえ思うほど。だから、堀江さんが自身のことを呼ぶ、湯守という肩書きが、なんだかとてもしっくりくる。

そんな堀江さんが守る宿がこれ以上ないほど自分にフィットする理由は、さまざまあるのだけれど、そこについてはまたどこかで書くとして、とにかく今回、1週間もの滞在をお願いしたのは、僕がいま、人生に何度かある、大きな転換点に立っているような気がしているからだ。

そういう大きなタイミングは、いつだって何かを手放すことでやってくる。自分の気持ちのなかにある、ある種の未練のようなものや、必要だと思い込んでいたフィジカルな収入、そういったものから、そっと距離をおいたことで見えてきた未来があって、僕は今、そのことについて文章にしておきたい気持ちがとても大きい。

その執筆のための最良の環境が束ノ間だと思った。

その原稿の内容のテーマについて大雑把に言えば「ギフト」。冒頭「出版は社会へのギフトだ。」そんな一言からはじまる、この原稿を執筆するのに束ノ間ほど最適な場所はないと思った。僕は以前『魔法をかける編集』という本を書いた時、その原稿を青森県八戸市にある公共の書店(図書館ではない)『八戸ブックセンター』のカンヅメルームという部屋で執筆したけれど、それもこれも、原稿というものは、書く場所に大きく影響されると思っているからだ。

だいたい執筆というのは、自分のチカラで書ききってしまうほどつまらないものはない。良い執筆時間には、何かこう、言葉が空から降ってくるような感覚があって、そういうときはまるで自動書記のように筆が進み、結果自分が書いたとは思えないような文章が目の前に立ち現れて自分で驚いたりする。そういうテキストは強度があるし、決して刹那的ではなく、長きにわたって愛されると信じている。別にこれは、そんなスピリチュアルなことでもなく、経験の引き出しと、目の前の事象、さらにはどこかしら予感のようなものが、脳みその中で掛け算されて、筆が進んでいく。そんな瞬間の心地よさを知っている僕は、この内容ならどこで書くと良いだろうと、当たり前に考える癖がついている。

ちなみに「八戸ブックセンター」は前八戸市長の小林さんが「地方の書店の衰退は、その街の文化度に大きく影響する」という切実な思いのもと、売れ筋だけじゃなない、未知の本との出会いをつくるべく開館させた施設だ。そこで原稿を書くことを決めたのは、そもそも税金を使って本屋をつくるという、賛否両論ありそうな施設に対して、まずは実際に使うことで応援したいと思ったことと、もう一つ、僕が書かんとしていた原稿の内容が、まさに地方から発信していくための編集力を育むことの重要性を伝えるものだったゆえ、八戸ブックセンターほどそれに最適な場所はないと思ったからだ。

だから今回も同じ。いま執筆中の原稿を書く場所として、束ノ間以上の場所を僕は思いつかなかった。そしてその予感は、間違っていなかった。

束ノ間に到着したその日、湯守の堀江さんが僕よりも1日早く束ノ間にやってきたショウケイくんという男性を紹介してくれた。いつものように、ふわっと互いについて一言二言だけ紹介したあと、早々にいなくなる堀江さん。そこに堀江さんなりの気遣いを感じた僕は、そのままショウケイくんとずいぶん話し込んでしまった。そこで聞いた彼の話は、まさに僕が彼の年齢の頃に感じていたことやチャレンジとリンクして、僕の記憶をとても自然に引っ張り出してもくれた。僕は彼に会うためにここにやってきたのかなと思った。

実は、ショウケイくんこと三浦祥敬くんは、所持金を手放し「0」にして、お布施で生きる生活を実践しているとても変わった子だった。その生活をはじめて既に1年9ヶ月。これまで200を越える家に泊まり、1000回以上の食べるご縁を頂いているとのこと。

先述のように「何かを手放すからこそ、得られるギフト」について考えていた僕は、束ノ間で早速、大きなギフトをいただいた。彼との会話のやりとりについて、ここで深く書くことはしないが、気になる方はぜひ、彼のnoteを見てほしい。

そもそも由布院の街は、僕の人生の大切な節目になぜか登場する街で、僕にとっての由布院の最初の思い出は、実は新婚旅行だった。妻と2人、関西から車で出発。あの頃ほんとうにお金がなくて、新婚旅行だというのに、連日、格安の国民宿舎に泊まり、最終日の一泊だけを、由布院の『玉の湯』という高級旅館に宿泊した。あの頃の由布院と比べると、いまはかなり観光地化されてしまったけれど、当時はまだ田舎然としていて、風情のあるとてもよい街だった。というと、現在はイマイチみたいだけれど、そんなことはない。由布院の象徴である由布岳の凜とした美しさ、金鱗湖の幻想的な佇まいなど、その風土のチカラは強く、まさに土地のエネルギーを直接体感できる温泉には心底癒される。

不思議なほどにミルキーブルーな天然温泉

滞在期間中、毎日3回は温泉に浸かり、毎日散歩して、毎日違う表情の由布岳を見ていたけれど、まったく飽きないどころか、日に日に由布院への愛が深まるばかりだった。

まさにこの日々こそがギフトだと思いながら、原稿を書き進めていた僕の部屋は、堀江さんが作った余白のような場所、「yufuin-workstudio」という湯治型アーティスト・イン・レジデンス・ルーム。温泉に滞在しながら制作をするという、まさにばっちりなスペースで、僕はそこで毎日黙々と原稿を書かせてもらっていた。そんな湯治スペースなので、僕は旅用の洗濯板を持参して洗濯したりしていたのだけれど、滞在途中に洗濯機を用意してくださるなど、日々進化するお部屋でとても贅沢な日常を過ごさせてもらった。まるでショウケイくんのように、日々お布施をいただいているようなそんな気持ちになる。

ちなみに、ショウケイくんは、中学生の頃にから揚げの味開発に嵌って以来、15年以上から揚げを作り続けていて、そのから揚げをご縁が生まれた人たちに贈るという、なんだか不思議なプロジェクトも進めている。

今回、しょうけいくんが由布院にやってきたのは、金鱗湖のほとりにある『カフェラリューシュ』で彼のパートナーでアクセサリー作家の森紗都子ちゃんが展示をするにあたり、その初日に合わせて、から揚げを贈るパフォーマンスをするからだったようだ。お布施とか、彼のチャレンジとか、そういうこと以上に、シンプルに彼のつくるから揚げが食べたくって、当日、カフェラリューシュに向かった。から揚げって超POPでよいな。

から揚げを揚げるショウケイくん

会場につくなり早速、彼の唐揚げをいただいたら「マイナス5円」になりますと、5円をくれた。ほんと頭がバグりそうになる。唐揚げを僕はマイナス5円でいただいた。そして一瞬、僕も何かを返さなきゃと思ったけれど、ショウケイくんのふるまいは当然何かの見返りを求めたものではないから、妙に考えすぎず、ただただそれを美味しくいただくことにした。5円は、金鱗湖畔にある天祖神社のお賽銭にした。

そういえば、そこでまた不思議なことが起こった。ショウケイくんの唐揚げを食べていたら「藤本さん? あの、藤本さんですか?!」と声をかけてくれた女性がいて、聞いてみるとその方は、僕が「魔法をかける編集」の出版記念ツアーと題して、半年間で全国62箇所を回った際、横浜の会場でお手伝いをしてくださっていたとのこと。

現在は長野県の伊那谷にお住まいながら、パートナーで陶芸家の五月女寛(さおとめひろし)さんが、同じくラリューシュの2階で器と絵画を展示、販売されるということで、遠く由布院までいらっしゃったとのこと。また、そもそも長野でショウケイくんとも繋がりがあったようで、いよいよ僕もこのご縁の転がりに身を任せることにした。そして重要なのは、ここから。

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