無題46

意外に本が好きなわけじゃない?図書館司書さんたちの志望動機から考える「公と私」。

前回、東北の国立系大学図書館の司書さんたちにむけた講演とワークショップの様子を書いたけれど、実は僕の学びはそのあとの打上げにこそあった。

 その日の夜のうちに山形に入らなければならなかった僕のために、駅近くにセットしてくれた打上げ会場に着くと、イベント前とは違ってずいぶん和やかに盛り上がる運営スタッフさんやWS参加者さんたちがいて、この情景こそが今日の成果だなあと、嬉しくなる。

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 前回記事に書いたように、イベント前の打合せ時間で僕はスタッフさんの緊張を解くべく幾つかの質問をしたのだけれど、その際とても印象的だったのは「どうして図書館司書になりたいと思ったの?」という問いに対するみなさんの回答だった。

 図書館司書になるような人は、ずいぶんと本好きなんだろうなあと勝手に思っていたけれど、意外にもみなさんそうではなかった。もちろん本を読まないことはないけれど、人よりも多く本を読むタイプの人はほとんどいなくて驚いた。じゃあどうして図書館司書になりたいと思ったのか? それは、図書館という場所がもっているあの独特の空気が好きだったから、という理由がもっとも多かった。

 特に大学における図書館は本を借りたり読んだりする場所というよりも自習室的な意味合いが強い。これが例えば学食だと、友達に安易に声をかけられてしまうけれど、図書館であればどこか自分の聖域が守られるそれでいて、パーソナルに閉じた空間ではなく、あくまで公な場所であるということの絶妙なバランス。

 ちなみに、僕が最初に立ち上げた会社の名前は「parkediting」だった。個々がそれぞれの時間を楽しみながらも多様な人たちが一つの場所に共存する「公園(park)」。そんな公園のようなメディアを編集したい。そう思って名付けた名前だった。その後、社名をRe:S(有限会社りす)に変更したけれど、根っこの思いは変わらない。だからみなさんが言う、図書館独特の空気や心地よさはとてもよくわかる気がした。

 脱線した。ここでもう少し突っ込んで書いてみる。

 みなさんの回答を聞いて僕は、この人たちは、かつて図書館という場が逃げ場所だったんだと思った。

 「逃げ場所」という言い方はネガティブに聞こえるかもしれないけれど、これはとても大切だ。集団生活が基本の「学校」という場で、個の小さな感情をゆるやかに圧し忍ぶことは生きる術だから、ある程度必要不可欠だとは思う。しかしそれは、適度に軽薄なコミュニケーションを取れてこそだ。それが苦手な子どもたち、いや、大人たちにとっても「逃げ場」は必ず必要で、図書館という場所はその機能を果たしてくれていたんだと思う。

 正直、ちょっと違和感を感じるほど過剰な緊張感を漂わせていたみなさんは、とても繊細な心の持ち主で、そもそも他人と接することに対してとても慎重な性質なんだと思う。ゆえの直立不動だったのかもしれない(前回記事参照)。


✴︎


 宴もたけなわという頃、何かのたがが外れたかのように、図書館司書さんたちの悩みの吐露大会がはじまった。その根っこにあるのは、図書館の予算削減と、その根拠が利用者数と貸出数であることへの違和感だった。

 前述のごとく図書館の役割とは単なる図書の貸出だけではない。目の前のみなさんの志望動機がそうだったように、図書館がそこに「在る」ことの価値というものが存在するのだ。それを測るモノサシが利用者数と貸出数であるとは到底思えない。

 これは現代の多くの事柄に当てはまる問題だ。

 そもそも図書館は本屋さんではない。あくまでも「公」的な存在だということは多くの人が共有しているはず。しかしここに「利用者数」や「貸出数」という「個」や「私」の概念を持ち込むことが間違っているように僕は思う。

 今の世の中は「公」が「公」を見て、「私」が「私」を見てばかりいる。しかしそれは真逆だと僕は思う。「公」が見るべきは「私」であり、「私」が見るべきものこそ「公」だ。

 「公共の場所なんだからみんなのことを考えて」「私事なんだから個人の責任で」これらの言葉は一見とても正しい。けれどそれは、資本主義経済のもと、多数が正義になりがちな「私」に対し、少数派の人たちを守るのが「公」である。という大前提あってこそだ。

 小さき者の声にこそ耳を傾け、社会的に少数派な人たちの生きづらさにこそ心を砕く。それこそが「公」の意義だと僕は強く強く思う。そのことが共有できているならば、図書館運営の指標が「利用者数」や「貸出数」になるわけはない。

 中央の政治が「私」に心を砕くばかりな世の中で、図書館という大切な「公」に従事する人たちの不安は、いまの世の中の象徴だ。

 僕たち編集者にできることはまだまだある。



 ここからは、定期購読いただいている皆さんにむけてもう一つ。司書さんたちの言葉から得た気づきを。


 宮城の美味しいお酒のとっくりが次々と空いていくなか、WSに参加してくれた1人の男性司書さんが言った言葉がとても気になった。

 「そもそも貸出って言葉が利用者目線じゃないですよね。利用者にとっては借出しですよね」

 なるほど。そんなこと考えたことがなかったけれど、確かにそうだ。

「利用者目線の施策をと言うならば、まずはそこから変えないとです」

 こういう小さな言葉遣いから変わることもあるはず。

 あらためて編集者にできることはまだまだありそうだ。


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