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共生とは、譲りあうことではなく、向きあうこと。

昨年から運営をはじめたオンラインコミュニティ「Re:School」のメンバーに、秋田県北秋田市で地域おこし協力隊としてマタギ修行をする健太郎という名の二十代の男の子がいる。

僕が編集長をしていた秋田県発行のフリーマガジン『のんびり』の取材メンバーに、カメラマン兼、マタギとして根子という地域に暮らす陽馬という仲間がいる。

こんなにも身近にマタギが2人もいる環境はなかなかないと思うけれど、身近に彼らがいることで僕はとても大切な気づきをもらっている。

そもそも「マタギ」とは、熊をはじめとした狩猟を専業にする人たちのこと。授かったその肉のほか、かつては高価で取引されたという「熊の胆(い)」(乾燥させた熊の胆嚢)などを売って生活していたが、それもずいぶん昔の話。いまはそれだけで食べていけないゆえ、上述の友人たちのように、何かしらの定職を持ちながらマタギをしている人がほとんどだ。

それゆえ、いわゆる趣味狩猟とマタギはどう違うのか? と、問われるのだけれど、そこは全く違うと断言していい。

ちなみにマタギは集団での狩が基本だ。勢子(せこ)と呼ばれる追い込み役が声を上げ、ブッパやマチパと呼ばれる撃手の方へと熊を追い上げていく。そして撃手がいよいよ熊と対峙、「勝負!勝負!」と声をあげ、見事、熊を仕留めたその瞬間、さっきまで仕留めるぞと思っていた気持ちが一転、「授かった……」という思いになるという。

7年ほど前に現役マタギの方にインタビューし、その話を聞いた僕は、普段の暮らしのなかでは見えてこない、壮絶な美しさのようなものを感じたと同時に、都会の暮らしというのは、生き物と食べ物とのあいだ。生と死とのあいだにあるはずの境界が、ごっそり取り除かれてしまっているように思った。

もちろん、その授かり物は最後に仕留めた狙撃者の手柄ではなく、勢子も含めたチームプレイの賜物だ。しかしそういったフィジカルな意味を超えて、「授かる」はある。

前述のカメラマンの陽馬がマタギになる以前、マタギ猟を撮影したいとカメラ片手に猟に付いて行かせてもらったときの話。見事、熊を授かったマタギのみなさんは、陽馬も含めた人数分の肉を均等に切り分けはじめた。撮影させて貰っただけでもありがたいのに、自分が分け前を貰うわけにはいかないと断わる陽馬に、マタギのみなさんは「これがマタギ勘定だ」と言って、平然と分け前を渡してきたという。

この「マタギ勘定」の根っこにあるものが、いま僕たちにとって、とても重要な考え方だと僕は思う。

自己責任、自助、そう言った言葉ばかり聞こえてくる世の中において、コモンズ(共有地や公共財など、誰かの所有物の反対にあるもの)の再生が謳われるのは当然だ。狩猟に初めて参加した若者から、ベテランマタギまで均等にその報酬を割る「マタギ勘定」は、熊という授かり物と、その熊が住む山を彼らがコモンズと認識している何よりの証だ。

しかしそれは、1人でも生きていける都会と違って、雪深い山村集落で生きていくには協力が必要だからだと思うかもしれないけれど、それは大きな間違いだと思う。都会の暮らしであっても協力は必要だ。なのに、そういった誰かの努力や協力を「見え化」してしまっているだけにすぎない。もっと言えば、都会の便利な暮らしほど、人々の助けの上で成り立っている暮らしはない。そこには本来、先ほど書いた、生き物と食べ物のあいだにあるような大切な境界がある。ただそれを見えないように遠ざけているだけだ。

このあわい、境界について僕達はもっと想像力を働かせるべきだ。

✳︎

秋田に滞在していると、熊との共生を考える機会が多い。特に春のこの時期は、多くの人が山菜を採るために嬉々として山に入っていく。熊の行動範囲が町寄りに広がっていることもあり、山菜採りの最中に人間が襲われるというニュースは後を絶たない。最近も熊の被害にあったその区域を入山禁止にするなどの対策が施されたりしているけれど、「境界」について考えた時、その対処は決してよくないのかもしれないと気付かされた。

つい昨日のことだ。

北秋田にある「くまくま園」の小松館長にお話を伺う機会を得た。「くまくま園」では愛らしい熊の姿が見られてとても癒されるのだけれど、そんななかで、獣医師でもある小松さん自身がまとめたという熊の生態に関する展示がとても素晴らしく、お話を聞いてみたくなったのだ。

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