#44 音楽と私③。〜フェスと学生生活〜
私は現在うつ病で療養中の40代男性だ。
今は実家に一時的に帰省しゆっくりさせていただいている。
これまでの話は下記の記事から読める。
この記事で書いていた初めて製作したストラトタイプは今現在実家にあるので帰省後にメンテをして弾けるようになったのでせっかくなので軽く紹介しておこう。
自作ギター ストラトキャスタータイプ
見ての通り特別変哲もないストラトタイプだ。
ボディはバスウッド、ネックはメイプルにローズウッド指板だ。
ローズウッドの色も濃く当時はまだこのようなローズウッド材が比較的手に入りやすかったのだと思うと月日の流れを感じる。
ネック材も安価なものに多い板目ではなく追柾目なので20年以上放置してたわりにネックのコンディションも特に以上はなく反りもほとんどなかった。
このストラトのネックは自作ではなく教材用の工業製品ではあるがさすが大手の楽器メーカーの製作なだけありしっかりした作りだ。
完成後にリフレットとすり合わせの実習を行ったこともありフレットは全体的に減っており平たくなってしまっているのでできれば削ってフレットの山を復活させたいところである。
ボディはシースルーブラックで程よく日に焼けやや茶色がかったチョコレートのような色になっていた。
ペグはゴトーのものが使われておりブリッジも確かゴトー製だったはずだ。
今でもしっかりとしたチューニング精度をキープしている。
ピックアップはロゴこそないものの確かセイモアダンカンが作っており今でいうところのセイモアダンカンデザインドのピックアップに相当するものであろう。
私のFender Japanのストラトはテキサススペシャルのピックアップなのでそれに比べるとやはり出力は低い。
ボディ材もアルダーではなくバスウッドなこともあり中域の出が少し弱くややハイがキンキンするような感じがする。
ピックガードの削り出しの精度が悪く所々ガタガタになっているが音は紛れもなくストラトそのものである。
家にストラトがなければ持ち帰りたいくらいだ。
大型野外フェスでのアルバイト
このストラトの製作中の最中夏休みにフジロックの学生バイトに参加した。
大型バスにみんなで乗り込みまるで修学旅行の気分だ。
各ステージごとに人員が割り振られ私はメインステージの担当となった。
同じ担当には同じクラスの同級生以外にも別のクラスや学科の生徒、先輩なども混合なのでそこで他の学生とも仲良くなった。
仕事は簡単な力仕事で機材車からの荷物の積み下ろしや開梱の手伝い。
またステージ転換中の機材の移動がほとんどだ。
実際にステージに上がりキャスター付きの台に乗せられたドラムセットやアンプなどを運んだ。
ステージから見る大勢の人は田舎で育った私にとっては初めて見る人が海のようになっている光景で強烈な印象となった。
仕事の合間の時間は比較的自由で他のステージへこそいけないものの許可があれば袖の端っこの方でステージを見ることもできたし、他のアルバイトの子達と談笑をして過ごした。
当時私の好きなバンドだとKemuriやNumber Girl、SHERBETS、Brahmanなど見ることができた。
一番楽しみにしていた初日のヘッドライナーのOasisは完全に自前スタッフでやっていたのでステージ袖には近づくこともできなかったがステージ裏の待機所で漏れてくる音を聴きながら客席で観たいなあなんてことを思っていた。
公式の動画ではないのでここでURLを貼るのは差し控えるが今でも当時の動画をYouTubeで探して観て当時を懐かしんだりしている。
そんな感じで生まれて初めて感じるフェスの雰囲気や本物のアーティストの仕事現場にとにかく刺激を受けまくり、将来はやはりこういった現場で働きたいと強く思った。
ちなみに余談ではあるがこのアルバイトの後、同じ現場で仲良くなった同級生と付き合うことになった。
このバイトの後はまた普段の学生生活に戻り学校生活、バイト、同級生との飲み会など非常に学生らしい生活を過ごした。
同じクラスに彼女ができたこともありプライベートもとても充実しており月並みではあるが輝かしい学生生活を謳歌していた。
学校では2本目のギターも製作し無事に進級、さらに細かく専攻コースを選ぶこととなった。
私はもちろん入学前から決めていたローディー、テックになるための専攻コースを選んだ。
フジロックで一緒に働いた同級生も同じ専攻が多く当時の彼女も同じ専攻だった。
この続きはまたいずれ。
それではまた。