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卒業しました のお話。



いつも応援してくださる皆さんへ



5月29日、ReverseTokyoを卒業しました。
2021年6月27日に新メンバーとしてご挨拶をして、
7月24日にステージデビューしてから約1年間。
幸せな時間を本当に本当にありがとうございました。




みれいはライブが好きです。アイドルが好き。音楽が好き。歌うこと踊ること、表現すること、ステージに立つことが大好きです。

でも、去年の今頃は、自分がアイドルになってるなんて想像もしていなかった。


諦めていたから。





ReverseTokyoを卒業して、ひとりになった私の弱いところ、本心をちょっとだけ見せてもいいですか。
みんなの想像しているみれい像が少し崩れてしまうかもしれません。
もちろん、見たくない人は、見ないでください。いろんな応援の仕方があるし、その気持ちの全部がうれしいので、自分の好きなようにみれいと向き合って好きでいてくれたら嬉しい。ありがとう。








続きを書きます。

みれいがリバストに入る前、入ってすぐの話をさせてください。



ずっと、「私にはアイドルしかないから」って言える子が羨ましかった。
自分で言うと説得力ないんだけど、みれいは多分どんな状況や環境でもなんだかんだ楽しんで生きていけるタイプだと思う。器用貧乏と言えるほどなんでもできるわけではないし、頼らなくても周りに助けて貰えるほど不器用でもないけど、根っこの部分ポジティブだし明るいし、そこそこ勉強とかできたしけっこう我慢強いタイプだし、昔からどうにかする・なんとかすることだけはできたから。
だからね、アイドルや演者、表舞台に立つ以外の生き方も多分できるし、ここしかないわけじゃないんだよね。多分。




お仕事で関わった子やお友達含め、わりと小さいころから、周りには表に立つこと以外の生き方を知らない、アイドルでしか生きられない子がたくさんいました。
そういう子達にしか出せない輝きが私はすごく好きです。憧れています。
だからそうじゃない自分に対して自己嫌悪があったし、なんかもうね、ただひたすら自信がなかった。





福岡にいた中高のとき、ご縁があってアイドルやダンスボーカルグループに所属させていただきました。(この辺の詳しい思い出話が知りたければ配信か直接話してる時に聞いてね)
小さい頃から歌うのも踊るのも好きで、ダンスを習ったり合唱団に入ったりミュージカルや劇団に入ったりピアノ弾いたりといろんな習い事をしていたけど、お仕事が関わるのはそれが初めてだった。
自分以外のメンバーは全員プロで先輩で、歌もダンスも話すのも私が一番下手だった。
加入後すぐ受験のために活休したりで全然ライブに出れなくて、今みんなはレッスンしてるんだろうな、と思いながら家で勉強する日々。全部を捨ててそれだけを必死に頑張る子達と、学業や他の習い事とのバランスを取りながらの私は、もちろん実力も人気も大きな差がありました。
周りが必死にやってる中、それでも同じ空間同じライブで「楽しい、幸せ、ここが好き」と思ってしまうことが苦しくて申し訳なくて。
責任感が強かったと言えば聞こえはいいけど、"私は選ばれた子ではない、選ばれてはいけない"という意識はこの辺りから芽生えたと思う。



綺麗事抜きにしたら、この業界は選ばれるか選ばれないかが全て。ファンの人からもそうだし、事務所からも、イベンターさんや広告代理店とか制作とか全部、数少ない枠の取り合いです。
友達がオーディションに落ちた時の、「アイドル以外もできる、アイドルじゃなくても生きてける子はこれやらないでよ!こっちはこれしかないんだよ!」って泣く声、今でもはっきり思い出せる。
ごめんね。慰めながら、自分も責められてる気持ちになって、とっても苦しかった。
選択肢のある人間が、それしかない人と同じものを志してしまってごめん。
これしかない、と本気でやってるすごい子達に囲まれながら、自分も中途半端にスポットライトを浴びてしまって、私もその光の虜になってしまっていた。


だってね、やっぱり、
めっっっっちゃくちゃ楽しい。

過去、私が芸事をきちんとしていたのは本当に僅かな時間だったけど、その世界に魅了されて、離れたくなくなってしまった。
どうしてもこの世界にいたかった。大好きだから。


私の本気はみんなの本気と違うんじゃないかな。そんな自分が表舞台に立つのは許されないんじゃないかな。そこのレベルに私は達していないんじゃないかな。
もやもやしたまま、それでも好きなことには手を出し続け、気づいたら将来のことを考える年齢になっていて。
普通の世界でも多分生きてはいける私がこの業界にいたいと思うなんて傲慢だ、と言い聞かせて、それでも東京以外の大学に行くつもりはなくて、親に頼んで大学進学のためという大義名分を背負って、上京させてもらいました。


なんでもいいからこの世界にいたい。
演者はきっと自分には向いていないんだろうし、選ばれた人間じゃない私はそもそも表に立つ資格なんかない、でもどうしてもここにいたい。手段や肩書きはなんでもいいから好きな空間で生きていたい。
そう思って手探りで何かできないかな、ともがいて生まれたのが別名義の私の存在です。
https://twitter.com/kiri_merry?s=21&t=M-ec7vM9wifih71mcrNPVQ
周りの人達がカメラや動画編集、振付、運営スタッフ、、いろんなことを勉強させてくれて、仕事を頼んでくれました。本当にみれいの人生は周りに恵まれていると思う。すごい人たちしかいない。優しい。ありがたい。ありがとうございます。

いろんな人の支えのおかげで、ひとりでお仕事を受けられるようになっていた上京3年目の5月。何度かお仕事をさせてもらったアイドル運営の方から、「○○の運営さんがダンスの先生探してるみたいなので紹介してもいいですか?」と連絡が来ました。

ぜひ!と返事をして繋いでもらい、普段通りにレッスンを終えたあとの駅まで向かう道。伊勢丹の横辺りを歩きながら、そこの運営さんに「もうアイドルはやらないんですか?」と聞かれました。








死ぬほどやりたいです。




言えませんでした。
上京してから3年が経っていて、その3年間のことはまた別の機会に話せたらと思っているけど、演者をやることの諦めが段々ついてきて、自分の中でのやりたい気持ちを消すことに慣れてきた頃でした。
誰かが輝く手助けをするのも大好きだったし、もう好きな業界で仕事ができてた。叶ってるようなものじゃん。これ以上の幸せを望むなんて。夢を今更追うとか遅いし。
頭の中でぐるぐる回る感情を抑えながら、「タイミングですかね、やりたいなとは思ってますが、、」みたいなこと返したと思う。

LINEでも同じことを聞かれて、そのときの連絡を見返したら「うーん!ご縁があれば!という感じですね、まだいろいろ身の振り方迷い中なので、、」って返信してた。




実は手伝ってるグループが新メンバーを募集してるんです、ReverseTokyoっていうんですが雰囲気合いそうなので良ければ。是非気になってもらえればと思いお送りしますね。



そういう内容のメッセージと一緒に送られてきたのは、1週間前に撮影されたという「最果てのワルツ」のMVのオフショットでした。


何回も見ました。メンバー3人みんなすごく可愛くて、何より曲が好きだった。アイドルなのに三拍子で、声質の違う3人の歌が、簡単に言えばめちゃくちゃ"エモ"くて。


いろんなことが頭をよぎったけど、
ここに入りたい、と思いました。



その日の夜に「ReverseTokyoさん本当に興味があります。仕事の関係で7月以降しか動けなさそうなのですが、それでも良ければ1度プロデューサーの方とお話させていただけませんか」と送っていました。

トントン拍子で面談の日程が決まりました。


めちゃくちゃ怖かった。ずっと迷っていました。あれだけ才能がないとかそんな資格がないとか言い聞かせて、オーディションも全く受けず、演者をやることに受け身になっていた自分が今更ステージに立ちたいなんて何を言ってるんだろう。どうせすぐ辞めるんじゃないかとかこんなに可愛い人たちの中に私が入るなんて無謀すぎるとか、ネガティブな感情ばかりが浮かんで、頭では「絶対できないからやるな」ってことしか考えられないのに、気持ちはやりたくてたまらなくて。
誰にも相談しなかった。親にも。


勢いで「興味あります」なんて言ってしまって、悩みに悩んでまだ決心もついていない面談当日の5月26日の朝。
銀座の事務所に向かう電車で、久々にパニック障害の発作が起きました。
やっぱり私はできないんだ、行けない、無理だ、諦めがつく、よかった、どうして、悔しい、よく分からない感情のまま過呼吸になってた私を運営さんが迎えに来てくれて、支えられながら事務所に向かいました。

自分が何を話したとか全然覚えてない。
グループの内情や現状を聞いて、6/27のワンマンでお披露目、7月の新体制ライブで新曲披露とMV公開、そこから4人体制に移行しましょう、ということで話がまとまって、「じゃあ明後日レッスンなので、メンバーとの顔合わせ兼ねて来てください」と言われました。早い。
考える間もなくすごいスピードで話が進んで、追いつくのに必死だった。

面談の2日後、レッスンの朝にもやっぱり発作が起きました。弱すぎる。
ひとりで勝手に心を追い詰めていて、みんなからしたら「そこまで!?」って思うかもしれないけど、それだけ私にとって「アイドルになること」、「応援されることで生きる人間になる」ということは大きな決断で、真剣でプレッシャーのかかることでした。大好きだからこそ中途半端な気持ちでやりたくないしやれないし、まだその覚悟が出来てない人間が、既に歴史を持って活動しているメンバーがいるグループに新メンバーとして入るなんて絶対ダメだと思ったから。まあ真面目すぎるんだよな。みれいのいいとこもであり、悪いとこでもある。
休むのも絶対駄目だし話も進んでるし、と怯えながら事務所に向かってレッスンを受けて、メンバーとはじめましてをしました。
動画で見ていた姿より実物の方がみんな可愛くて、優しくて、自分を追い詰めすぎてもはや他人事のような感覚だったのが、みんなと顔を合わせて、このときやっと「私はReverseTokyoのメンバーになるんだ」って思えた気がする。
なんか、大丈夫だなって思えたんだよな。
その日は青春以外の既存曲のサビを一通り覚えて帰りました。


2回目のレッスンの日、早く来て振りの動画を見ながら自主練していたら、冬華も1時間前くらいにスタジオに来て。
会うのは2回目、なんでそういう流れになったか覚えてないけど、スタジオの隅に体操座りをして、2人ですごく真面目な話をしました。
私の記憶が正しければ冬華泣いてた。
彼女がどんな思いで活動してきたか、何を背負ってきたのか、グループを守るためにひとりでどれだけ頑張ってきたのかが伝わってきて、この子と一緒に頑張りたいと思った。
自分の中での迷いが無くなったのはこの瞬間でした。腹をくくれた。

当時のLINE


みれいは進むべき方向性や歩きたい道が決まったら早いのね。理想が高すぎたり自分に厳しくなりすぎたりしてしまってとにかく考えすぎちゃうだけで、意思が固くて強いタイプだからこそ、前を向いて走る、楽しむ!って決めてからはただひたすらリバストのため、リバストのメンバーとしての來栖光伶のために必死でした。

レッスンと自主練を重ねて、6月16日には「ロマンティックに恋してた」のMVを撮りました。
そのときの控え室で蘭とゆっくり話して、優しい人なんだな、みんなほんとに頑張ってるんだな、って思ったのをすごく覚えてる。そのあともLINEで「もっとこうしたらリバストは良くなるんじゃないかな?」ってことが蘭から長文で送られてきて、その真剣さに心を打たれた。

当時のLINE


辞めたメンバーも含め、それぞれ葛藤しながらアイドルであることに向き合ってて、私はこのグループが好きだなって思いました。



はてなちゃんとしてお披露目を迎えて、みなさんの前でご挨拶をしてからは本当にあっという間だった!

新メン感があんまり無かったので、みれいは多分、初期からの既存メンバー推しの方から見たら可愛げがなかったと思う。ごめんなさい。
メンバーが増えるということはシンプルに既存メンバーの歌割り・ソロ・センターが減るということで。落ちサビを歌わせていただく曲もいくつかあったから、7/24のステージデビューのときはそれを受け入れにくいファンの方、本心ではよく思ってない方もきっとたくさんいたと思います。当然です。
それでも、ファンの方々が会場にいる人に私のメンカラのオレンジのサイリウムを配ってくれていて、新曲「ロマンティックに恋してた」を披露した時に光らせてくれました。本当に嬉しかった。

7月24日新体制ライブ、「ロマンティックに恋してた」初披露


ライブ後もたくさんの人がお話しに来てくれて、暖かいファンの人達でいっぱいなんだな、と感じたし、今いるリバストの既存メンバーがどれだけ愛されているのか伝わってきたから、めちゃくちゃ頑張らないとな、認めてもらわないとな、グループに貢献できたらな、という思いでいっぱいでした。



福岡にいた頃のちゃんとした活動期間は全部合わせても3ヶ月にも満たないくらいで、ライブにも10回も出てなかった。役者やモデルとしてお仕事をしたり銀座のメイドバーに本当に極たまに出勤していたりで私を知ってくれた方もいたけど、その方々はアイドルとしての私に価値を感じてくれるかわからない。
ほぼ0からのスタートです。
応援される女の子になりたい、私、そして
ReverseTokyoのファンの人をもっと増やしたい。

ソロでみれいの生誕祭やるよ、とプロデューサーさんに聞いたときはめちゃくちゃ焦りました。
ソロでの生誕祭がどれだけ恵まれているか知ってるからすごく嬉しかったしありがたかったけれど、人を呼べなかったら。会場が埋まらなかったら。「無銭にするから人は来ると思うよ」と言われたけど、いやいや。ライブハウスを使うのにはけっこう、高いお金がかかります。2.3千円〜のチケットが完売してもトントン、箱代を黒字にするのってかなり大変で。
しかも生誕だけじゃなくて、7/24の新体制ライブの日も、無銭チケットをメインで運営さんは組んでくださってました。リバストをたくさんの人に見てほしいから、と話してくれたけど、元々裏方をやってた人間からしたら、それがどれだけの"投資"なのか分かってました。

とりあえずやるべきことをやらないと!!!という思いで「ライブ前後毎回フライヤー配りしたいです」と伝えると運営さんは快く許可してくれました。
フライヤー配りがあると、スタッフさんは私についていないといけないから、その時間に合わせて集合が早くなったり解散が遅くなったりして、本当はめんどくさいはずなんだよ。でも、リバストに関わってくれていた運営さんはみんな嫌な顔ひとつせず付き合ってくれて「頑張ってて偉いね」と声をかけてくれました。嬉しかった。こういうことが出来る環境が、頑張れる環境を作ってくださることがありがたかった。恵まれてるなあ、と思いました。動いてくださった運営陣の方々、ありがとうございました。

メンバーみんなで配った日!

そして何より、たくさんの人がフライヤーを貰ってくれました。全部で何枚配ったんだろう。覚えてないけど、ひとりで1時間半で200枚くらい配った日もあった。貰ってくれる人がそれだけ居たってことです。本当に嬉しい。出会ってくれて、その瞬間みれいと向き合ってくれた全ての方!真夏のスクランブル交差点はすごく日差しが強かったのに、素通りせずに貰ってくれた方、足を止めてお話聞いてくれた方、その場でTwitterをフォローしてくれた方、ビラ配りしてるのを知ってわざわざ会いに来てくれた方、引き返して差し入れを持ってきてくれた方、新規のファンの人がつくといいね、と話しかけに来ることはせず、でも近くでずっと見守ってくれた方、、、本当にありがとうございました。たくさんの優しさに触れました。あの時のフライヤー配りから今でも応援してくださる方もいます。とっっても幸せです。そういう方々がいるから、頑張ってよかったって思えるし、見てる人はいるんだな、とか、努力は報われる、って思える。次も頑張ろうと思える。
本当にありがとう。

通常対バンと並行してのリリイベも楽しかった!
「ロマンティックに恋してた/最果てのワルツ」の9月11日の全国流通シングル発売。
「ロマンティックに恋してた」という楽曲は、アキナさんと見取り図さん出演の、関西テレビ「シャバめの象さん」のエンディングテーマにタイアップが決まったり、FamilyMartの店内放送で流れたりしました。
今もJOYSOUNDのカラオケで本人映像で歌えます。すごい!


サインを書いた色紙も都内のタワレコさんやHMVさんに置かせていただいて、生写真付きの先着特典は即日完売しました。ありがとう。

HMV渋谷さん
タワレコ新宿さん


嬉しかった、楽しかった、しか書いていないけど、本当に嬉しかったし楽しかったんだよ。運営さんにもファンの方々にも支えていただいて、リバストってすごい、と思ったし、そういうグループに自分がいられて本当に幸せだった。



SNSも、おはよー!!って私が呟いたらみんながリプをくれるんです。すごい。うれしい。エゴサしてリバストや他のメンバーが褒められてるのを見るのもすごく好きだったし、なんか、携帯を開いて、私ってアイドルなんだなって毎回ちょっとびっくりしてたし、それにずっと慣れなくてちょっとむず痒くて照れて、めちゃくちゃ嬉しかった。

アイドルになれて、ずーーっと、幸せでした。

対バンやリリイベ、見ていただく機会を重ねるうちに、私のことを見てくれる方も、少しずつだけど増えました。
出会ってくれて見つけてくれてありがとう。
とにかくみれいはライブが好きで、メンバーが好きで、運営さんが好きで、リバストの曲を歌って踊っている瞬間が好きで、応援してくださるみんなのことが好きです。
ライブに出る度に、ワルツでターンしたあとのスカートが広がって落ちるタイミングとか、ロマンティックや青春で髪が顔にかかる角度とか、アンバランスの2番のAメロの低音とか、目線の使い方とか、たくさん研究したな。
どうやったらもっとよく見えるんだろう。もっとかっこよく/かわいく歌いたい、踊りたい。見てる人がワクワクして飽きないライブがしたい。
ライブ動画を見て頭の中で理想の自分を思い浮かべては鏡の前でやってみる、を繰り返しました。
もともと感覚派なので、ひたすらイメージトレーニングしては身体を動かすしかなくて、「これは違う」「こうじゃない」ってずっとやってた。
ライブの対バン相手や箱の大きさ、セトリでパフォーマンスを変えたり新しいことを試してみたり。試行錯誤するの楽しかったなー!

そしてそれを、ちゃんと、見てくれる人がいました。
みんなの褒めてくれる言葉が嬉しかったし、言葉にしなくても、次また来てくれたこと、オレンジのペンライトを振ってくれること、幸せだった。
みれい推しはね、最初なかなか増えなかったし、列にふたり並んでたらいい方とかで。人数はいなかったし今もめちゃくちゃ多いわけじゃないけど、その応援してくれる方の存在が本当に大きくて、本当に力になってました。
ライブを重ねる毎に少しずつ、本当に少しづつだけどオレンジを振ってくれる人が増えました。
みんな優しくて楽しくて面白くて大好き。
全通して来てくれたり、ずっとループしてくれたり、来てくれるときには絶対オレンジペンラで照らしてくれたり、褒めてくれたり、来れなくてもSNSでずっと見て反応をくれたり、、、
常に応援してくださる方の支えがあったから、ずっと笑顔でいられました。本当にありがとう。

リバストはメンバーや運営さんとよくご飯を食べるんだけど、話すのはいつもファンのみんなのことです。
わたしも含めてみんな、本当に自分のファンの人達が大切で大好きなんだよ。愛されてる!って自信持ってね。

SHOWROOMの毎日配信も、延期して10/3に開催していただいた生誕祭も、大阪・名古屋遠征も、下北沢CLUB251での主催ライブも、1周年記念ワンマンも、蘭の生誕祭も、冬華の生誕祭も、そして5/29現体制ラストライブも。全部全部全部楽しかった。
ひとつひとつの思い出が本当に心に残っていて、語り尽くせないくらい最高の思い出です。




恍里が加入してくれたときは、はじめて先輩という立場になったのでドキドキだった。
可愛い可愛い妹ができたみたいで嬉しかったなあ。
みれいはね自信満々に見えてすぐに揺らぐしこれでいいのかな、と不安になったりするんだけど、ひかりはいつも慕ってくれて、みれいがちょっとでも落ち込んでいるとすぐに気づいて励ましてくれました。
ひかりは妹属性がすごく強くて、普段は「助けてあげなきゃ!」ってなるんだけど、本当はめちゃくちゃ芯が強い子です。周りに流されないし、自分の考えをきちんと持ってる。
絶対に大丈夫!彼女がこれから引き継いでくれる
8月予定の新体制ReverseTokyo、応援しています。

冬華がいてくれて、辞めたメンバーも含め、蘭がいてくれて、恍里が入ってきてくれて。
みんなアイドルに対して本気で、それぞれに守りたいものがあって、それぞれがファンのみんなを本当に大切に思っているから、時にはメンバー同士で揉めたり運営さんともぶつかったりしました。
内部のこともそうじゃないことも、楽しいことたけじゃなくてしんどいこともいーっぱいありました。
どうして上手くいかないんだろう、何がダメなんだろう、なんでこうなっちゃったんだろう、、悩むこともたくさんあったし、泣きながらミーティングした日もあったよ。
でも結局、ファンの方々と、メンバーと、運営さんのおかげで乗り越えてこれました。

5/29、ラストライブ本当に本当に幸せでした。
最高の思い出が出来ました。
どの出来事が欠けても、誰が欠けても、
あの日はああならなかった。
だから全部これでよかったんだって思います。
ずっと、みれいはリバストが好きです。




最初の最初はね、アイドルになるの、怖かった。

でも、こんなにも素敵な場所が待っていて、最高のみんなと出会うことが出来ました。
本当に本当に本当にありがとう。
自信を持たせてくれて、いつも笑顔にしてくれて、どんなときも支えてくれて、忘れないでいてくれて、たくさんの愛のおかげでみれいはみれいでいられました。
ReverseTokyoの來栖光伶に価値をくれてありがとう。
認めてくれて、育ててくれて、出会ってくれたすべての方のおかげで今の自分があります。
ありがとう。


卒業を決めたのは、ステップアップのためです。
リバストに入る前はこんなこと絶対思えなかった。


みれい、もっと売れたいです。
大きいステージに立ちたい。広い箱を埋めたい。
自分のやりたいアイドル像があります。
もっとこうしたい、こうやってみたらどうなるんだろう?みれいならこうするのにな。
活動を重ねる中で、いろいろ思うことがあって、自由に考えて、自分で試してみたいと思いました。

馴染んだ場所から離れるのはとっても怖いです。
でも、アイドルになる前の怖さとは違います。

みんながいるから。

みれいはもうひとりじゃないって思わせてくれて、ありがとう。
みんなもひとりじゃありません。
君はひとりじゃないです、どんなときも。
みれいがいるからね。

君を孤独にしないアイドルになりたいです。
みれいが帰る場所です。

おかえり、ただいまが言える日まで待っててね。
死なない程度に死ぬ気で頑張りますので。
わたし、一生アイドルなので、
これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。


大好きだよ。またね。

みれい




追記ですが。
加入後に発作が起きたことはほぼありません。みれいは元気なので、どうか心配しないでください!!!!!!ありがとう。


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