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空っぽの気持ちのまんまで、うろうろしたり、居眠りをしたりしている

日常の、意味のないことに、意味を見出そうとしないこと。はるか昔に、既にこのことの愚かさに気付いている人がいるということに、絶望みたいな思いをする。
ぼくは身軽に生きていたくて、買いたいと思うものが何もなくて、ものを捨てて、クローゼットの中がスカスカになってやっと、ほっとする。自分で働いて稼いだお金で、何かを買って、試してみて、そうしてつまらなくなってから捨ててしまうということの繰り返し。わたしは、この世の中のほとんどのものごとが、くだらなくて、つまらないことなのだということを確かめるために生きているの?
この世の中のほとんどのものごとは、完成してしまうと、実にあっけなくて、つまらないように出来ているのかもしれない。
満足のいくお部屋になった途端に、わたしは、このお部屋で何をしたらいいのか分からなくなってしまって、空っぽの気持ちのまんまで、うろうろしたり、居眠りをしたりしている。こんなもの要るのかしら。
お洋服もそう。例えば、お店の中で一際輝く赤いワンピースを見つけたとして、このワンピースを買うことで、自分の人生が、なにか、ほんの少し面白くなるような気がして、浮き足立つような思いで、それを買って、一度だけ着て、あとはもう、クローゼットの中のハンガーにぶら下がったまま、わたしは、毎日同じ、黒いワンピースとか、ネイビーのブラウスとネイビーのパンツのセットを選び取って、安心して出かける。つまりは、わくわくすることは疲れるということなのかもしれない。
でも、わたしが、一瞬のそれを、わざわざお金を出して買っているということは、一体どういうことなのだろう。
美味しいものを食うというのは、幸せ。数少ない真実の一つ。自分が、心から美味しいと思うものを食べないといけない。お菓子は好きだけれど、あれは美味しいものじゃない。食べていて、幸せにならないもの。お菓子を食べている時は、苦痛が和らぐけれど、そのあと、とっても死にたい気分みたいになってしまうもの。




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