見出し画像

致し方ない。

少しずつ、自分がつまらない人間になってゆくような感覚。少し前までは、もっと面白い文章が書けていたんじゃないかと思う。ほんの一年前につかっていたピンク色のノートに書いてある文章は、とてもよかった。それこそ、わたしの好きな“真実”とやらがたくさん書いてあった。
隣人が言っていた。生きることに精一杯になってしまっても仕方が無いような生活の中で、自分の世界を持ち続けることは凄いことだと。わたしは今、自分の世界を持てているの?
わたしの限界はここ?とってもお気に入りの可愛い可愛いお部屋の中で、ただただ、お掃除をして、ご飯をつくって、人様がつくった表現にときめいているだけが、わたしの人生なの?そんなのは、嫌だな。
わたしは、わたしがつくった表現にときめきたいのだもの。

格好よく、空を飛ぶ人達を見ていると、ほんの少しだけ背筋がのびるの。わたしはこんなもんじゃないよって。だから、どんなに眠くても、一文字でも、一色でも、一音でも、なんかしらを吐き出す。
仕事から帰ってきて、お風呂に入って、ご飯の用意をして、ちょこっとお片づけをして、もうくたびれた。ふかふかのお布団に入って眠りたいって、そう思ったときに、ほんの一歩を踏み出して、机に向かって、一文字でも、一色でも、一音でも吐き出すんだよ。
ああなりたいって、あんなものを生み出したいって、思ってしまったなら、致し方ない。
かくしかない。ぼくらにはそれしかない。本当に、それしかないんだよ。

自分が本当に心からときめく絵を自分が描けた時、自分は世界で一番美しい人間なのだと錯覚する。
なんとなくの“かわいい”じゃなくて、心臓がぎゅんって潰されて、息が苦しくなって、自分の魂の枯渇した部分にぴったりと合わさってくるような、自分の人生の苦しみがそこに収束してゆくような、そんな“かわいい”に、お前らは出会ったことありますか?
わたしは何度もあるよ。
でも、それを自分の手で生み出したことは、そんなに多くなくて、でも、たまに、それができたとき、わたしは、世界の全てのしがらみ、人間関係とか、課題とか仕事とか、貯金とか将来とか、そういうのから解き放たれて、自分はこの“かわいい”を生み出すためだけの生き物なのかもしれないと、最高級の自己承認を得るんだよ。
わたしは紛れもなく、美しく生きたい呪いにかかってしまった犠牲者だ。だって、この世の中には、美しく生きることを祝福する物語で溢れている。
みんな、意味を見出したくて必死だから。

絵なんか一生描かなくても、飯食って寝てりゃ生きていけるけどさ、それじゃまるで家畜だからさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?