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煙草だけは吸わずにはいられない『美男子と煙草』

昨日の太宰も凄く良かった。煙草?美男子と煙草という題で、上野の浮浪者に会いに行くというお話でした。お金もないのに、着るものも、食べるものもなく、住む家、寝る場所にすら困っている若者たちが、それでも、煙草だけは吸わずにはいられない、そうして、当時の日本の全ての人がそうなのだ、という、戦後の日本の荒廃っぷりが語られていました。
わたしはあれが大好き。
リアルな、当時の空気感を、ほんとうに、肌で感じられるような文章。わたしもそういうのがかきたいと思うのです。今の日本の、ピリピリくらくらするような空気を、生身の肌でリアルに感じているのは、大学生のわたし。社会人のわたし。ニートのわたし。
だからわたしは、今のわたしの文章をかき残す義務があるように思うのです。
もうひとつ、PCやスマホに打ち込む文章より、紙にペンでかいた文章の命のようなものの正体を…この、思考がそのままこびりついたかのような圧倒的な命の言葉。わたしはこれをしなければ、残さなければならないのです。記憶は、心は風化してしまうから。いつか自殺願望を抱いた時のわたしのために。

昔、戦場から避難してきた子どもがかいた絵のパワーに魅せられてしまったことがあります。思い出したくもない犠牲の記憶。人と思い出と心と思いやりの、色んなものたちの犠牲の経験。そうして、そんな、思い出すことすら憚られる人の暗黒を、わたしたちは思い出さずにはいられない。そうして、それを表現し、目に見えて分かるような形にせずにはいられない。それは罪ですか?戦争が、戦うことが罪だとされるなら、それは、間違いなく罪なのではないかしら。でも、力で勝つことの出来ない子どもは、唯一、自分の戦う手段である絵をかくのかもしれない。絵は、言葉と同様に、ときに、人を殺し得る。そんな罪深い暴力を、子どもは手にせずにはいられない。暗黒に触れなければ生きていけないのだから。そうして、表現は、ひとつの暴力となって、戦争と戦ってゆくのだろう。美しく輝きながら。それは命を救う。戦争が、誰かの命を救ったのと、ちょうど同じように。

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