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むかしのこと

私はむかし、自己否定の塊だった。
月並みな表現、自分には何のとりえもなく感じられたし、生きている意味なんて見つけられなかった。
でもなぜだか死ぬことはできないで、過食しては自分の中の穢れを吐き戻して、自分のキレイをぎりぎり保って生きていた。
そんなとき目の前に現れたのが、全国紙の新聞記者として3年目の男だった。
彼は、苦学生で、外に女を作って散在してきた父親の会社が倒産した後、新聞配達をしながら、学費を稼ぎ、有名私立大学に奨学金をもらって進学し、今の仕事に就いていた。
彼の記事は、正義に貫かれていて、被害者の痛みはもちろん加害者への憎しみすら書ききられていた。
彼は新聞記者をうそかほんとか辞めたがっていた。
私はそんな彼に恋をした。
私とは真逆の生き方をしてきたと言っていい彼に恋をした。
彼は、不正や腐敗、人間の弱い心が大嫌いのようだった。
天を仰いでどんどん上昇していく人だった。
私は、人間の弱い心を身をもってよく知っていた。
心を患い、地の底の果てに落ちていく私だった。
両親に健全な愛情を注がれて何の不自由もなく生きていたのに
飢えて死にそうな私は人間の弱い心を知っていた。
私は当時、友人たちが恋人のことでマウントを取り合う中、貧乏で、借金まみれの男と付き合っていた。経営の才覚の無いただただ優しい心根の芸術を愛する見栄っ張りの男だった。
新聞記者と私は一度だけ手をつないで歩いた。
そこで何か分かり合えたわけではない。
新聞記者の彼はそれからすぐに恋人と結婚をした。
私はそれから地の底の果てで人のあたたかさを知ることになった。
むかしむかしの物語。


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