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Le Lectier

彼女はよく約束を破る。
今日もそうだ。連休初日に遊ぼうと言ってきたのは彼女のほうなのに、連絡を寄越してきたのは二日ほど経った今日。
SMSのフォレストグリーンのコメント欄。白文字でたった一言。
“ごめん友達が泊まりにきてて“
このやりとりだって今回が初めてじゃない。私たちの間では何回も繰り返されたこと。喉仏の下、3センチくらいのあたりまで出掛かるのは独占欲むきだしの、あの台詞。
ーーーそれって本当に友達?

仕方がない。最初に傷つけたのは私のほうだ。
彼女が初めて年下の男を好きになって、彼の生まれ故郷までついてゆくんだと言って聞かなくて、「話してくれたってことは私は背中を押す大事な役割を任されたってことだね」なんて物分かりのいいフリをして送り出した。うまくいかない気がしていた。だって彼の故郷では水を手に入れるのにひと山越えなければならなかったから。
予想通りに目を腫らして戻ってきた彼女を家に泊め、肩を並べてレモンサワーを飲みながら「一緒に暮らしたいね」と、どちらともなく笑い合った。そのひと月後、私はすべてのSNSと連絡手段を削除した。理由は至ってシンプル。孤独になりたかったから。
事情を知らずに突き放された彼女から、三日間泣き続けたのだと低い声で告白されたのはずっと後のこと。

三ヶ月後、すっかり立ち直った彼女と退院したばかりの私とを繋いだのはFacebookの「アカウントを復活しませんか」というメッセージだった。追加されたばかりのメッセンジャー機能を駆使して、彼女は「あーー!!」と送ってきた後に「ごめん、元気?」と付け加えた。出逢った日と同じ、照れ臭そうな笑顔がモニターの向こうに滲んで消えた。

“ごめん、約束してたのかなり前だもんね“
私はいつものように物分かりのいい友人の台詞を紡ぐ。
そう、先に傷つけたのは私だ。だから仕方がない。ちっとも進まないフォレストグリーンのバーの羅列に苛立つのもきっと私だけだ。仕方がない。私たちの間にあった友情が甘く優しかった季節はとうに過ぎた。
“ありがとう、ごめんね、また別の日に”

そして私はあの夜と同じにレモンサワーを飲みながら、一緒に暮らしたいねと笑う。夜のベランダで、ひとりきりで。

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