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どう生きるかで、過去は変えられる

僕は今、プロのライターとして生活している。

失敗することも、もちろんある。だけど、今は文字でお金をもらい生計を立てている。

プロのライターを職業としていると聞くと、もしかしたら学生の頃から国語の点数が良かったのではないかと思ったのではないだろうか。

実はそれが学生時代は国語の点数はさっぱりだった。

正直に告白すると、10段階中”2”だった。

全然勉強していなかったので、全体的に成績は悪かった。

国語も、もちろん勉強していなかった。

特に文章を読むのは漫画を読むときくらい。

そんな僕でも今、プロのライターとして、公の場で文章を書いているのだ。

いやはや、人生とは全くもってわからないものだ。

社会人になってあるとき、法律関係の試験を受けたことがある、そのときの試験の平均点は全国で平均して50点くらいだった。

この試験で僕は80点以上の点数を叩き出して合格することができた。

僕が文章だったり、試験の結果が出たりしたのは、完全に後天的といっていい。

なぜ、成績が10段階中2だった僕が、ライターになれたり、試験に合格できるようになったのか?

それは、文章にはある”法則”があることに気が付いたからだ。つまり知っているか、いないかそれだけのこと。

僕は子供の頃、ゲームが大好きで自分で言うのも何だけど、めちゃくちゃ上手かった。

それもはじめから上手かったわけではない。ゲームをクリアするには攻略法があることに気が付いたからだ。

文章も同じ。試験も同じだった。

ゲームに取説や攻略本があるのと同じように、文章にも試験の回答にも攻略法が存在するのだ。

例えば、ロールプレイングゲームのクリアは、レベルをためてラスボスを倒すこと。スタートがありゴールがある。

ラスボスを倒すと言う、明確な目的がある。

だからテンションが上がるんだ。

文章だって、これと同じ。

まずは”目的”を明確にすればいい。

文章の目的って何だろうか?

考えてみてほしい。

自分の想いを綴るため? それも文章だけど、ただの日記になってします。

文章の目的とはズバリ、

「人に読まれること」

にある。

そして、その先に共感がゴールになる。

それが文章の目的。そこから逆算して文章を組み立てていく。

だから、必要最低限の文章作法は必要でも、最初の心構えさえわかっていれば自然と人に読まれる文章は書くことができるのだ。

それが、僕が文章に価値をつけることができた最大の理由である。

かつて、国語の成績が悪かった僕は、ただ回答に至るプロセスを知らなかっただけだったのだ。

裏を返すと、人は誰でも攻略法さえ知れば、うまくいく。

それは文章でも数学でも、仕事でも恋愛でも同じ。

結果が出ないのは、あなたが悪いわけじゃない。

ただ、「知っているか知らなかったか」の違いだけ。

結果を出すのには、いつからでも遅くはない。

桜だって、早咲きの桜もあれば遅咲きの桜もあるし、狂い咲きの桜だってある。

だから、昔学校の成績が悪かったからといって自分の可能性に蓋を閉めないでほしい。

日常のほんの些細なことで才能が開花したり、壁を破るアイディアがいきなり閃いてくることがある。

行動している限り失敗はない。

僕もいまだにチャレンジし続けている。

可能性が無くなるのは自分が諦めたとき、つまり行動をやめたとき。

僕はやり続けたから、今ライターになれている。

これからも色々なことにチャレンジしていく。

僕には信念がある。

それは”過去は変えられる”ということだ。

未来をどう生きるかで、過去を変えることができる。

未来がしょうもなかったら、どんなに輝かしい経歴を持っていても、過去はくだらないものになってします。

逆に、過去に辛いことや、悲しいこと、残念なことがあっても、未来が明るければ、その過去も明るいものとして語ることができる。

僕は自分が国語の成績が悪かったと、紹介した。それも今文章家として生きているから、逆にネタになる。

前向きに生きて、未来を変えていこう。

そうすれば自分の人生を最後に振り返ったとき、悔いのない輝かしい人生だったと思うことができるだろう。

<おわり>

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