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究極の愛とは


私には一度も会ったことのない祖父がいる。
彼は、まだどこかで生きているそうだ。

そしてつい最近知ったんだけど、その祖父は
経営者だったらしい。

ハンサムで、気が良くて、
誰からも愛され、
誰からも頼られるような人で
いつも、彼の周りは賑やかだった。
と。

ただ、人が良すぎた祖父は
人助けをしすぎた結果、裏切られ
経営に失敗し多額の借金を背負いきれず
とんずらした。
と。

そして代わりに祖母が、
多額の借金を背負う羽目になり、
ひとりで子を2人育てながら
旅館業を経営して
80歳まで現役にて借金を返し切ったんだ。
と。


祖母が、懐かしそうに語ってくれたんだけど
自慢とは少し違う、寂しく
でも偉大なはずのその話を
全然、嫌な感じじゃなく
教養として、私に預けたんだ。



そして
祖母はこう付け加えた。



「私は、死ぬまであの人のことを
大切に思っているのよ。
大好きだったし、
あんなに素敵な人は他にいなかったわ」と。





今日は、そんな祖母、83歳の誕生日。





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私と祖母は同じ星から生まれたのか?

私がこのまま年老いたら
祖母のような人になるんだろう。というくらいに、私と祖母は瓜二つの心を持っている。
実に、幸せも、苦労も、気が合いすぎる
そんな祖母のことを、私は誰よりも尊敬しているから

心の手前の方。
いつでも触れるところに置いている、
祖母とのある思い出がある。


それは
都内に住んでいた私が、一度だけ
田舎の祖母の家を訪れた日のことだ。

その時はまさしく、私
恐ろしい心の病と戦っていた真っ最中で
記憶はうっすらとしか残っていないんだけどね。
心因性の記憶障害バグにより
季節が何だったか、何を持っていき、
何を食べて、どこに行ったのか。
昼間のことは何一つ思い出せないんだけど。

ただ、
その夜のことだけは
いまも鮮明にあるんだ。

その夜、
何度、睡眠薬を飲んでも眠れない私の元へ
祖母は布団を持ってやってきて
ピッタリと布団をくっつけ
こう言った。

「まりちゃん、今日は朝まで語り明かしましょ」

なんと、2人だけの女子会を開いてくれたのだ。

初めは恥ずかしがっていた私も、
2時、3時と、深夜まで時計が回るうちに
心は開きはじめ、今の辛さや今までの人生で起きた荒波、どうやって巻き込まれ、どうやってここに辿り着いたかを、支離滅裂で語った。

その時の祖母は、私を甘やかすことなく、
でも、説教をするのでもなく、
幼馴染かのように
全てを受け入れ、頷いてくれたんだ。

世が明けるまで側にいてくれて、
世が明けるまで私から目を離さなかった。

ただそれは、赤ん坊を見る目ではなく、
病人を見る目でもなく、孫を見る目でもなく、
1人の人間として私のことを見てくれていた。
そんな真剣な女子会だったことを今でも覚えている。







話は変わるが、女子会といえば
人は、立場がみんな違うもんだ。
ハタチの人がいれば、35歳の人がいて
子を持つ人もいれば、家庭がない人もいる。
恋人もいない人もいれば、
同性愛をしてる人もいる。

そんな中で、

「3人目を産んだら毎日しんどくて、、」
という産後鬱の人の悩みに、
「私なんて、子供どころか結婚もしてないし」
と言うのはなんか違うし。

そんな中で、

「仕事が忙しすぎて子供と過ごす時間がない」と嘆く人に、
「好きな仕事ができるだけ、いいじゃない」
と言うのはなんか違う。



自分がどうであれ、
相手の立場に立てるというのは
ひとつの「愛」なんだ。 



ただ、もちろん
愛に、もどかしさを感じてもいいし
愛が、憎く感じてもいい
愛を、伝えられなくても
愛は、受け取れないことがあってもいい。
人間だものね。




ただただ、きっと

自分には、どうにもできずとも
「どうか幸せであれ」と。

どこかでちゃんと、
相手を思い続けられることができたら
それはちゃんと「愛」でいいよね。

私は、そう思う。




話は戻るが、私の祖母はそういう類の
愛に満ちている。愛の塊のような人。
だから私は誰よりも、祖母を尊敬している。


「許す」というのは、

究極の愛なのかもしれないね。



ハッピーバースデー、ばばちゃん。
これからもよろしくね。



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