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正直な話


正直な話、私は「優劣」という部分をどうでもいいと思っている。それはつまり、誰かよりも優れているとか、誰かよりも劣っているとか、たくさんの人から称賛されるとか、いつも1位とかそういうこと。それらはこの世界を難しくすると思うんだ。やっぱりそういうことのせいで不安定に生きる人間が多すぎるしね。この時代、誰かに「称賛されたくて仕方がない」という「承認欲求」がそこら中にむんむん漂っている。そういうものが昔よりも酷く世界を汚しているように感じる。中には、身体や言葉から漏れてしまっている人もいる。そういうのを見るとサムいと感じたり、勿体無いと感じたり、もどかしいと感じたりする。人の上に立とうとすればするほど足元は弱くなるだろう。突然流行り出したインスタグラマーとか、いきなり金持ちになったコンサルとかどうだろう。優劣にこだわり、ダメな自分を許せない人は幸せなのだろうか。できたらみんな「優劣」ではない部分で自由になってほしい。


また、そういうことを言うと「甘い」だとか「ぬるい」だとか「間違っている」と言う人もいるけどそれでいいよ。正義はそれぞれだからね。

ただ私はこれからもやっぱり「優劣」に興味が湧かない。「優秀」な人もいいし「劣等」な人もいい。人生でいえば、どちらも幸せや悲しみの総量は大して変わらないよ。それよりも私は「人が人として自由に生きるための世界」を目指して発信をしていく。


なぜなら
私は知っている。
どんな人間も「完璧」ではないことを。
私は知っている。
どんな優秀な人にも欠点があることを。
私は知っている。
これまでずっとダメだった人間が、
これからもずっとダメなんてことないと。
私は知っている。
「弱さ」を見つけた瞬間こそ
人と人のあいだに「愛」が生まれる。
AIにはナイ人間だけの宝もの、
それは「弱さ」だろう。

優劣だけじゃない。ただの自分で生きることがどんなに幸せか。私は知っている。
あなたに伝え続ける。



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