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正解はない



私には5歳の息子がいる。
名前はレイ。
夕方、レイが小さな事件を起こした。

彼はよく絵を描いているのだが、今日はダイニングテーブルにカラフルなペンを並べ、大きな画用紙を持ってきてお絵かきを始めた。ここまではいつも通り。普段と違うことといえば、自分の席ではなくパパが座る席に腰掛けていたことくらい。せっせと何かを描く、集中した様は彼の長所でもある。
そんな彼を横目に私はいつものことだと、何事もなく洗濯物を畳んでいた。畳み終えたタオルや下着なんかを洗面所に運ぼうと目を離したその時だった。

彼は黒の油性ペンを取り出し、画用紙ではなくテーブルへと。おもむろに何かを描き始めたのだ。
すかさず
「おいおいおいおい〜!!!!」と、私は
少し慌てて声をあげた。「テーブルに書いちゃ、ダメじゃんよ!!」
すると彼はキョトンとした顔でこちらに振り向き言ったんだ。

「え?だめなの?」




そのあまりにも無実な反応に私の頭はクエスチョンマークが浮かんだ。

「え?

レイくん、何を描いてるの?」



するとレイが言ったんだ。



「パパ、いつもありがとうだいすきだよ。

って字を描いているんだよ。
パパが見たら喜ぶかなと思って。」


その言葉に私は洗濯物をおいて少し考えた。それから彼に微笑むようにして

「そりゃあ喜ぶね。
ごめんごめん、続けて。」

とだけ伝えた。
夜、息子の寝顔を見てあのシーンが蘇る。
そして母親になってから何度も思うんだ。
育児に「正解」はないんだって。

いつでもどこでも見張られているように、
「あの母親、おかしいんじゃない?」
「親の顔が見てみたい。」なんて粗探しが忙しくて仕方ないのが世間なんだけど。私たちに、「正解」を教えてくれる人はいない。そもそも「正解」なんてないのが育児だからなんだな。あの時、「それでも机に書いちゃダメでしょ!」といえば良かったのか「他の人の家で書いたら怒られるよ」といえば良かったのか「パパは怒るかもよ」っていえば良かったのか。誰もが違う正解をなすり付けてくる。この世の親子に、正解はないのにだ。

だからこそ私は、自分が選んだ言葉や残した態度をひとつひとつ正解にしたい。誰がなんと言おうと、息子が他者を思いやる気持ちがあったことを、一緒に喜べる温かさを持っていたい。間違いと言われるそれを、その時だけは許してしまう自分もヨシとしたい。私の育児は間違いだらけかもしれない。だけど自信を失いたくないんだ。
自分を信じられない人が、子供を信じる。なんて、できないだろうからね。



明日も事件が起きるかもしれない。
それが本当に悪いことなのか、はたまた良いことなのか。その答えは私たちしかわからない。分からなくていい。



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