「諦める」ということ
今日の私は、まぁまぁ
疲労感に満ちているが
まだ寝たくない。
全然、やることがあるからだ。
やることがまだ、死ぬほどあるからだ。
時間がないとは言わないぜ。
時間はある。深夜4時くらいまでは
時間がある。なんなら、時間しかない。
そのくらい強気だ。
っていうのは嘘です。
もう完全に眠いからさ。
今日は一つだけ。
私の背中を押してくれた人がいて
冷たさと暖かさと両方があってこそ
愛を含む。
そんな言葉をもらったんだ。
皆んなにもお裾分けしたいんだ。
ちなみにこの
エッセイを書くのは79日目。
あなたの為のように見えて
あなたの為じゃないのかも。
結局は、
私の為かもしれない。でも
それは
まだ「明らかになっていない」こと。
最後まで聞いて欲しいんだ。
4/12
私。
「諦める」って、
絶対に格好悪いと思っていたんだ。
「諦める」って行為は、絶対にイヤだった。
ギブアップって言う自分が、
すごくすごく情けない感じがして。
すごくすごく許せない感じがした。
だから、
いつだって、しがみついていた。
私にはそんなところがあった。
今もあるし、多分、これからもあると思う。
ただ、
「諦める」って
ゲームオーバーとか、
ギブアップじゃないんだ。って知っていた?
「ただ断念すること」じゃないんだ。
「諦める」の語源は「明らかにする」
そう、教えてもらったんだ。
尊敬する師に。今日、教わったんだ。
つまりは、
「どうにかこうにか、やってみたんだけど。
やっぱり、仕方ないよな。
やり尽くしたけど、この結果。
まぁ、しゃーないよな。
真実も分かったし、明らかになったっしょ。これでやっと。
やっと。
諦められる。」
みたいな、ニュアンスなんだそう。
「へぇ!ほぅ!」と、そんなことを聞いて。
スーパー頑張り屋さんの私には
ちょいと、優しさが強すぎてね。
「へぇ、ほぅほぅ」なんて、相槌しつつ
ちょっと、泣けちゃったんだよね。
っていうのはさ。
実はこの春。
「諦めよう」って
なかなか言えなかったのが私で、
どうしたって、諦めた方が
建設的だと分かってきてもなお、
自分が、ダサく見えない方法を
必死に考えていたのが私だったのだ。
そんなどうでもいいことばかりに頭を使っていたから、ちょっとハゲてきたんだと思うし、煙が湧いていたんだと思う。
毎日しがみついているだけで、
答えは「明らか」だったから。だよね。
だから今日、
「諦める」は、「明らかになる」こと
だって、知って。
ダサいことじゃないって知って。
「諦める」も
「明らかにすること」も
実はめちゃくちゃ、勇気のいることだったと知って。簡単じゃないよな。「諦める」は努力の末なのかもしれない。
そんなふうに、言ってもらった気もして。
勝手にそう思うことにしたんです。
そうしたらまた
私の人生には、ゆるやかに光が差したんだ。
だから、きっと
ネガティブに見える「諦」だけど。
「明」と「諦」の合体した
「あきらめ」っていうのは
いつでも、どんなことが起こっても、
ダサく、疎ましい自分へ
穏やかでいられる境地なのかもしれない。
そういうことだと
思ったんだ。
というわけで、
ここ最近の悩みが一気に、軽くなったって。私は師に感謝をした。
ありがとうございます。
言いたいことはこんなもん。
この眠い時間帯に、今日も
エッセイを書いたのは、
これを読んで、
「まだ戦える」と思う人がいるかもしれないし
これを読んで、
「明らかになったから諦めよう」と思う
人がいるかもしれない。
どっちでもいい。どちらにせよ
心がほんの少しホッとできるといい。
そう思ってお裾分けしたかったからだよ。
私たちは案外、ダサくないのかもしれないね。大丈夫ね。今日も頑張った。
明日もきっと良い日になる.グッナイ
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