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結局今のままが気に入ってるのかもって話


窓を開けてもカーテンが揺れない日が多い気がする。空気のこもっている感じが嫌で、雨の気配がしても窓を開けてしまうけど、それでもカーテンは微動だにしない。風を感じたい、でも雨は入ってこないで!

そうやって雨の日に窓を開けるみたいに、不安と楽しみはいつだって隣り合わせで、生きている今この一瞬一瞬にもその要素が孕んでいる。新しいことを始める時だって。その準備はいつでもできるわけで、していないのは不安が少し勝つから。わたしの人生はなんでかネガティブチームの方が強いのだ。ネガティブなくせに、生意気だ。

きっとわたしはみんな(近くの人間)が思うより、社交的ではないし、明るくもないし、面白くもないし、好かれてもいない。これがネガティブなのか真実なのかは確かめようがないんだけれども、わたしが思うにそう。そう見えるだけ。そう見せれるだけすごいのかもしれない。俯瞰的に自分が見れているということは、そういう人間になる方法だって分かっている。自分のしている、思うことの逆をすればいい。そんな簡単なのに出来ないのは、人間の心は読めないから。万人に好かれる人間になれたら楽しいだろうけど、なれなかった時のことを考えると不安で仕方がない。楽しみと不安はどこで出会ったのか、別れられない美しくも悲しい、儚い二人なのよ。なんつって。

人間が大好きで、みんな(出会った人、これから出会う人)から好かれる、わたしの思うわたしの反対を生きる新しいわたしになりたいけど、前述の二人がメロドラマよろしく寄り添っている。なにも変われない、変わろうとしない鈍臭くてかわいいわたしは、今日も彼らをハーフアンドハーフで一枚のお皿に乗せて「おいしそう、だけど太っちゃう!」とわがままを言いながら目を輝かせる。不安と楽しみは、魅惑的で中毒性のある、甘美なスイーツみたいだ。