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やりたいことを好きなように。気がついたら56歳で起業(コヤマさん・50代女性)

大学で化学を専攻し卒業後、大手食品会社に研究者として就職しました。会社は食品会社ですが、そこで得られる素材を原料とし化学修飾させることで、様々な化学品を作る部門に配属になりました。もともと、化学品を製造していることを知って就職したので、学校で学んだ知識が生かせると思ったことと、上司にめぐまれたことからワクワクした会社人生をスタートさせました。ちょっとした経歴の振り返りと、現状を記します。

研究に没頭しアウトプットしながら多くを学んだ20代

会社では、主に化粧品原料の研究を11年間、行ってきました。自分の歩みを振り返ってみますと、若い頃の11年間は非常に充実した実りのある時間でした。研究に没頭し、特許や論文としてアウトプットでき、自己成長が見られる時でした。

学会にも何度も行かせていただきました。発表をしたり、発表者に質問をしたりするうち、その学会でも人脈がひろがり、特に女性であることは、目立つので、良い意味で多くの人に知ってもらえました。その学会で委員を受け持つようになると、さらに人脈が広がっていきました。すると自然と自分もより良い研究成果を発表しないといけないと身が引き締まる思いがし、次の討論会までには何かをしたいといった研究者としての欲も出てきたものです。この時の研究をまとめて、博士の学位も後に取得いたしました。

基礎研究だけでなく、職場では開発や応用研究も行っており、自身が開発した化粧品原料を、化粧品会社に売り込みに行く営業同行もしていました。技術サービスのような立場です。お客様のニーズを探り、ニーズに応える策を見つけ、自ら研究して回答することも楽しい仕事として取り組んでいました。

原料屋というのは、お客様である各化粧品メーカー様に自由に訪問でき、ニーズを聴くことができます。この経験は、今、コンサルティングをする上で非常に役に立っています。

30代で異動。失敗も糧になる研究から失敗が許されない製造部門へ。

30歳代まで化粧品原料の仕事をしていましたが、同じことの繰り返しのように思え、他の部署への異動を希望しました。工場の製造技術の部門に異動となりました。

あたりまえですが、品質管理の重要性を実感しました。不良品一つがいくらの損失につながるか、利益をさらに生むための精度の高い製造方法は、など、基礎研究だけをやっていたら、見逃しがちな品質管理についても、経験を積むことができました。

学生さんに、私のキャリアをお話しする機会があると、研究と製造部門との違いを次のような言い方で説明しています。「研究は失敗してよいが、製造は失敗してはいけない。研究では思った通りの結果にならなかった時こそ、その差は何だったのか気づいた点から探っていくことで失敗も歓迎される。しかし、製造では失敗したらすべてが損失に直結するので、絶対に失敗は許されないことだ。」

研究だけではなく、製造技術の部門を経験からこそ自信をもって研究の価値と製造技術の価値が語れるようになりました。

大手からベンチャーへの転職。自分の名前で仕事をするため技術士も取得。

その後、大手企業からベンチャー企業に転職しました。これは、会社の名前でなく自分の名前で何かできるのではないかと思い、大企業より自由度が高い企業を探していたところ、自分の得意とする、研究分野と事業分野と合致した会社があり、そこに転職しました。

ここでは研究者ではなく、技術営業として働きました。これは、研究は若い人に任せて、自分はサポートしつつ売りに繋げていきたいと考えたからです。研究することが会社としてのお金を稼ぐことになること、つまり、研究に市場価値をもたせることは、自分自身の課題と捉えていたこともありましたので、技術営業としてベンチャー企業に入社しました。

ここで経験したのは、営業は売上の数字で評価されることです。当たり前のことではありますが、毎月の単位で売り上げが求められ、顧客や提携先と業務時間外でも電話で交渉をすることもありました。研究者の時間の流れとの大きな違いを実感しました。

一方極端な話、数字さえ取れていれば、好きな研究をすることも場合によりますが可能でした。技術営業としての知識を深める目的でも自分で実験したり、顧客のニーズに応えるべく研究してみたりと、自由にやらせてもらえました。

このように、研究部門や製造部門や営業と経験し、どの部門にも悩みがありブレイクスルー出来たら業務が加速することが潜んでいることを実感しました。この経験から将来的にはコンサルティングとして、悩んでいるお客様のお役に立てたらと思うようになりました。そこで技術士の資格取得に挑戦しました。

技術士は、「科学技術に関する技術的専門知識と高等の応用能力及び豊富な実務経験を有し、公益を確保するため、高い技術者倫理を備えた、優れた技術者」とされている、国家資格です。技術士の化学部門、特に化粧品原料技術には、ほとんど役に立たないかもしれない資格ですが、科学技術に関する広い見識を身に着けたいと思ったことと、国家資格が欲しかった(これは単なる見栄ですが)から技術士を取得しました。

再度転職し、化粧品原料の営業の職につき、ここでも技術営業として、お客様のニーズを探り原料や技術を提案してまいりました。

50代。親の介護や自身の想いに向き合いサラリーマンを卒業。

このように、基礎研究、開発研究、製造技術、技術営業、博士取得、技術士取得、と行ってきた経歴を振り返りました。会社の研究なのに、まとめて学位論文を出したいなどと大それたことを上司に提案したり、営業であっても実験室でごそごそと研究をしていたりする、聞き分けのない部下だったかもしれません。それに輪をかけて、50歳を超えたころから、親の看護、介護の負担が大きくなり、企業に所属したサラリーマンでは職務が全うできないと思う時期が続きました。

そこで親の介護の時間を確保しつつ、自分の趣味の時間も充実させたく、企業を退職しました。博士と技術士の肩書がいずれどこかで役に立つだろうとの甘い考えがあったのも事実です。

サラリーマンを卒業し、これまでかかわってきた化粧品原料技術について、自分自身の棚卸をしました。学会で培った人脈は、現在でも委員をやらせていただいており、人脈が広がっています。技術者として技術サービスをしてきた経験は、顧客である各社の技術指向やニーズを知る経験になりました。年齢を重ねるとともに、裏ニーズを聞き出せるようにもなりました。製造部門での経験、営業での経験は、研究だけを行っていたのと違う強みになっています。

このように自己棚卸から、化粧品原料技術コンサルタントとして仕事ができるのではないかと思ったことと、さらに世間的な信用を得るために、会社を立ち上げることを決意して現在に至っています。

ビジョンは「未来の世の中を心豊かな社会にする」

現在、化粧品原料技術コンサルタントとして、支援させていただく機会がありました。高い研究レベルのあるクライアント様でも、今の世の中、技術や研究力だけではその先のお客様は買ってくれない時代です。そういった苦労をもつ営業部門に寄り添い、どのように研究成果と商品をお客様に伝えるか、一緒に考えました。

技術のレベル感が理解できる専門知識や、売るための苦労が理解したうえで、その先の工夫が考えられる営業経験や、製造コスト削減プロセスを想像しながら開発技術を深堀することなどから、支援させていただいております。

やりたいことを好きなようにやってきた経験を棚卸し、自己の強みを見極め、勢いのまま56歳で起業し今に至っています。弊社のビジョンは、未来の世の中を心豊かな社会にする事です。クライアント企業様の、お一人おひとりが、小さな変化にも気づけるようになり、何事にも動じず心穏やかでいられるよう、化粧品原料技術で後押ししてまいります。


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