見出し画像

間についてあれこれ考えてみた話⑥-社会の隙間を埋めるのではなく、広げる

間についてあれこれ考えた話をここ最近は書いてきましたが、ひとまず今日でそれも終わりにします。

友達との話から、「間」がキーワードとなり、間の働き方や、間の生き方について考えてきました。

週5日フルタイムで働くか、不安定な働き方をするか。2分された極端な選択肢しかなく、会社に所属したまま、働くペースを落とすなどの間の選択肢が少ない。

それゆえに、仕事が苦しくなりだしたときに、なかなか立ち止まることが出来ずに、大きく体調を崩して、回復までに多くの時間を要してしまう。

また、「自分でも何をしているのかよくわからない」といった曖昧な状態というのは、本当は誰しにとっても大切な期間であるはずだと思うのに、無職であることを許さない空気感とか、曖昧な状態を許さず、正なり、負なり、なんらかのハッキリとした方向に持っていこうとする圧力がこの社会にはあるように感じる。

学生であれば大いに迷っていいと思われているし、実際休学とかもどちらかというと前向きに捉えられるようになってきてると思う。
それなのに、なぜか社会人になると、迷ってちゃダメ、立ち止まってちゃダメ、と急に不寛容になって、「何者か」を求められる。

これらのことを考えていると、社会の中に、ちょうどいい「間」がないんだなと思う。

今の社会の中で生きづらさを抱えていて、それでも必死に社会に合わせるようにして働いていて、なかなかペースを落とせない。
いざ、自分なりの生きやすさを手に入れようと、ペースを緩めてみても、曖昧な状態を許さない圧力が強くのしかかる。

間が狭い。息が苦しい。
そんなことを思う。
だから、社会の隙間をもっと広げていく必要があると思う。

こぼれ落ちる人がいないように、「社会の隙間を埋める」なんていう言葉を聞くけれど、僕のイメージとしては、むしろ広げる。
間が狭いから息苦しくて、なかなか間に留まり続けられない。
もっと間の選択肢を増やしていくことで、間の空間を広げれば、社会の中に息のしやすい場所を創れるんじゃないかと思う。

---

今日まで「間」について色々と考えたことを書いてきました。

これまで「いろり」という名前でオンラインやオフラインで居場所作りをしてきましたが、その中でも考えたことがたくさんあり、今後はこの「間」を軸にした活動をしていきたいと思っています。
そして明日の夜、その「間」の活動についての発表を一つする予定なので、見ていただければ幸いです。
ではまた明日。

読んでくださりありがとうございます。  好き、コメント、サポート、何でも嬉しいです。