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Recycle Mafia #1-2 ナチグロン

ナチグロン
 
 
ガガガガガガガピピピピッピッピッピッピガッピアガアッピッピッピピ---------------
「死んだ?」
ショートしかけた頭の回線がやっと繋がった頃、金髪のナチュラルドレッッドにsupremeの厚手のTシャツを着て、リーバイス501を腰履きしたナチが、不自然な黒さをした顔を一層引き立たせる真っ赤な唇でアイスコーヒーをストローで啜りながらおどけた感じで言った。
「ああ、終わったよ。真っ白になった」
と、neweraのヤンキースの黒キャップを頭から手に取り、シンゴは漫画「あしたのジョー」のセリフ風に言ってみた。
 
無論、ナチはその言い方が「あしたのジョー」風ということに気づきもしない。
幼少の頃から、ナチは漫画にはあまり興味が無く、みんながジャンプだのマガジンだのを必死で読み漁ってりる頃から、世界地図とか図鑑を読んでいるような少年だった。シンゴは、そんなナチに幼心にとても関心があったので友達になった。
きっかけは単純だった。
 
小学生の時、シンゴ達は何時ものように、昼休みに「セイント星矢」
ごっこをしている時。ナチは教室の端で鼻息を荒くしながら「宇宙の全て」という類の本を必死で読んでいた。シンゴはそんなナチにからかい半分で声を掛けてみた。
「おい。宇宙ってそんなに楽しいの?」
「・・・・」
「シカトかよ。」
パタン! 本を閉じるとナチはシンゴに向かって言った。
「宇宙はね、まだ解明されてない事がたくさんあるんだ♪ワクワクしない?」
「へー・・・カイメイってどういう意味?」
「解らない事が、たっくさんあるんだ♪」
「じゃあ、宇宙人も、セイント星矢もいるかも知れないってこと?」
「そーゆーこと♪ ちなみにコスモって宇宙って意味だからね」
「マジか・・・」
 
最初はからかうつもりだったが、シンゴは物知りで陽気なナチにドンドン惹かれていった。
気が着くと、休み時間はほとんどナチと過ごしていた。
その後、中学に上がるとシンゴは活動日が少ないという簡単な理由で剣道部、ナチは柔道部に入部した。シンゴはこの意外なナチの選択に少々驚いたが、
「オレ、体弱いから鍛えろって親が言うんだ。」
と言うナチの言葉に妙に納得してしまった。そんなわけでお互い違う部活に入って、それぞれ忙しくなり、別々の友達と遊ぶようになった。
高校は2人とも別々の公立の工業高校に進学した。ナチは高校でも柔道部に入部し部活に忙しそうだった。シンゴはというと、部活には入らず、バイトをはじめそれなりに充実した日々を送っていた。
ところがある日を境に再びシンゴはナチに接近していったのだ。そのある日は突然だった。
 
久しぶりにナチから電話があり、家に遊びに行ってみると、見たこともない機材が部屋にあった。
「DJ機材」であった。シンゴは感動し、休みのたびにナチの家に通ってはレコードを聴かせてもらった。レコードも2人でよく渋谷に買いに行った。
「マンハッタン」「シスコ」「ディスクユニオン」をはしごしては、少ない小遣いでレコードを買った。
買ったレコードをナチの家に持って行き、MIXテープを作った。毎朝、満員電車での通学が苦であったが、そのテープを「COBY」に差込、安物のヘッドホンから流れるOLD SCHOOLのおかげで随分ましな気持ちで通学できるようになった。
 
[Clap ya hands to the beat, y'all]  [Somebody scream]・・・・・・・・・
 
 
2011年夏
 
何時しか一日の最高気温が35℃を超える日を”猛暑日”という呼び名になり、そんな日が当たり前のように10日と続く夏。うだるような暑さが当たり前の日常になり、HipHopはドコへやら・・・あちらこちらでレゲエが聞こえ、気分は南国のラテン系。
それでも、働き者の俺たちはガテン系の労働者。[Say ho says ho say hot!!]
 
シンゴはファミレスで、団地のゴミ捨て場から拾ってきた、レトロなラジカセの修理に必死だった。
HipHopのレコードのジャケットに出てくるような、でかいラジカセだ。今は、普通の電気屋には売っていないが、マニアには人気なのだ。
 
しかし、隣であざ笑うかのようにナチがニコニコしながら、アイスコーヒーを啜っている。
齢30台中盤いわゆる中年層に差し掛かった・・・いや、わかりやすく言って「オジサン」二人が日曜日の家族でごった返すファミリーレストランで、古臭いラジカセを弄っている。この光景はどこからどう見ても気色悪い。
でも大丈夫。
なにしろ、渋谷、原宿とかのファミレスではない。ここは、地元の錦糸町だから。
錦糸町にはWINSがあって、日曜ともなれば競馬好きなおっさんでごった返す町なのだ。ファミレスもパチンコ屋も喫茶店も。
だから、ファミリーに混じって汚らしいオッサンが2人でファミレスに居てもなんの違和感も無い
 
錦糸町
東京の下町の代表的な歓楽街。墨田区 江東橋近辺である。
夜になると、フィリピン、ロシア、コロンビア、中国と様々な蝶達が下町のオッサンどもが酔っぱらってばら撒く金という蜜に群がる。
また、不良が多く田舎的な雰囲気もある。
最近、第二東京タワー「東京スカイツリー」を建設中で、2012年完成に向けて、墨田区長は錦糸町の治安の改善に大忙しらしい。困るのは不法滞在の外人達と、彼らの雇い主の家業の方々だ。
しかし、一斉摘発でなんだか錦糸町の活気もぐっと下がった気がする。なんだか、町全体がどんよりした。
シンゴ達はどちらかというと、昔のダークでダーティーで国際色豊かだった錦糸町が好きだった。
 
「おい、おいナチ!コレが壊れたらまずいよ!」
シンゴは半ばキレ気味、半ば諦め気味に言った。
 
「いーじゃないか♪ 最初から壊れていたんだし。ね♪」
ナチは腹の立つほど呑気な言い方で返事をした。
そんな陽気な、この気候のせいでラテン系になってしまった友人の頭の具合を考慮して、シンゴは諦め笑顔で返した。
 
「そうだなぁ...はぁ。」
 
ナチの笑顔でいくらか気分が良くなったのは事実である。
ナチの笑顔は「笑顔」のそれとはかけ離れているのだ。ナチを知らない人に言わせれば「引きつった笑顔」や「苦笑い」の部類であることは間違いない。
ただ、シンゴにとってはナチの笑顔は特別なのである。
 
一見その辺のB-boyに見えるが、頬はコケ、痛々しいほどに血管が露出した腕なんかはジャンキーそのものだ。
そう、ナチはジャンキー。というのは嘘で、本当はただの引きこもり。いや、「元」がつくけど。
ナチというのはモチロンあだ名で、バリバリの下町っ子でシンゴとは幼馴染。きちんとした硬派な名前があるけど、ここ地元ではナチで通っている。
なぜ「ナチ」か、と言うと、小さいころから色黒で髪の毛の色が薄かった。おかげで厳しかった中学の先生は髪の毛を脱色しているのじゃないかと何回も疑った。
高校生になったナチは、「どうせなら」ってことで、金髪にしてしまったらしい。
そんな姿を皆「キン肉マン」に出てくる「ナチグロン」に似ているってことから、ナチと呼ぶようになった。
 
 
ナチは、ある事件がきっかけで20代前半から「引きこもり」をしている。
引きこもりって言っても、最近の若者のそれとはちょっと違う。高校卒業後、地元の小さな鉄工所に就職して、18歳から今までキチンと仕事はこなしている。むしろ、腕利きの職人なのだ。
しかし、その「ある事件」がきっかけで、仕事以外は一切友達関係とも連絡を絶ち、家でパソコンをいじって過ごしていたのだ。この歳になってシンゴと再会するまでは。
 
そして、アイスティーを氷ごとガブ飲みしているのがシンゴ。
昔は、皆「シンゴウ」、または「シンゴー」とか呼んでいた
名前が眞吾ということもあるが、友達が言うには「赤」「青」「黄」とこの三原色ばかりの服装を好み、物事も「黄」の曖昧な部分は一瞬で
てきぱきと「赤」=待て 「青」=GOと決めるからだそうだ。
親との関係が上手くいかず、家出がてら、30まで地元をはなれ群馬でキャベツ畑の仕事をしていたが、最近東京に帰ってきて広告代理店でサラリーマンをしている。
サラリーマン生活はつまらない。まるで将来の目的もない学生のような気分であったので仕事は適当にやっつけていた。平日はやっつけ仕事をし、土日は遊びほうけるという生活に飽きた頃、偶然地元の「ヨドバシカメラ」でパソコンの部品を買っているナチと再会する。
ナチが「引きこもり」になっていることを噂で知っていたが、シンゴは何の気なしに呑みに誘った。
モチロン最初は断られたが、昔の友達が心を病でいることが気にかかったので、おせっかいと解りながらも、実家を何度も訪ね、遊ぶようになった。
 
ナチもその頃、親父さんが倒れ町工場の給料では苦しくなっていた頃であった。シンゴのほうも慢性的な金欠だった為、時代の波に乗って、土日だけの「リサイクル業」を二人で趣味がてらするようになった。
そう、世の中はどこもかしこも「エコ」をうたい文句にする時代で「リサイクル屋」が沢山できている。
 
シンゴは早速、余暇で古物商の許可を個人で取り「衣類商」をいう形だけは作った。
そう、何事も形から。
仕事内容は、ナチが得意のパソコンや携帯で情報と経理をシンゴが、実働を。という形で一応やってみることにした。
まず、ナチがインターネットでフリーマーケットの情報を集め予約をしたり、粗大ゴミの出る情報を拾ったり、夜逃げの情報を拾ったりする。
ありとあらゆるゴミの情報を拾い集め、使えそうな情報をまとめ、シンゴに渡す。
 
そこから、シンゴの出番。
シンゴは学生の時から友達とあらゆる物を盗み万引きはかなり上手くなっていた。
今では窃盗こそしていないが、その時のノウハウを活かし、ゴミ拾いと同じく、窃盗ギリギリ・・いや、窃盗している時もある。
そうこうして、沢山の品物を集め、ネットオークションやフリーマーケットで売りさばくのだ。
「リサイクル業」といっても店舗はなく、ネットのなかに形だけの「店」があるだけだ。
稼ぎはというと、月給3万の給料×2人分がいいところ・・・社会のカタスミの、ただのシュミ。仕事とは呼べない。
そんな「遊び」と「仕事」を趣味としてやり始めて半年が経ったある日。
家族と競馬のおっさんがごった返すファミレスで「商品」のラジカセを修理していた時。二人に運命的な出会いがあった。
 

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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