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この人は何病で、どう対応したらいいのですか?

今日も診察室の空模様は、
穏やかで平和な日々です。

お話しを聴かせていただくと、
皆さん、ほんと、
自分のことにベストを尽くしておられるし、
いろんな状況はあっても、気持ちを体験しながら、
よくやって来られていて、
僕だったら、絶対無理っっ! って、
内心、脱帽しているくらいです(笑)。

僕なんかが余計なことを言う気にもならず、
そーかー、そーかー、
ばっかり、いつもの脳なしな台詞を
繰り返す毎日(笑)

そんな平和な診察室ですが、
未だこころがざわつき、困ってしまう質問を、
されることがあります。

それは、自分以外の悩み、
関わっている他の人のことで、

この人は、何病で、
どう対応したらいいのですか?

という、
当の本人ではない人からの質問。

これ、やっぱり毎度、
どう答えてよいのか、悩みます。
僕にとって未だに苦手なやつ。


他人の了解困難な行動や精神を、
正体がわからない不安を、
病名とかカテゴリーとかでスッキリとさせたい、
というお気持ちは、よくわかります。
なんか名前がないと、落ち着かないし。

でも、こころの病や病態は、めっちゃくちゃ、
多様性があるので、診断概念を伝えるだけでも、
講座を開かないといけなくなる。

おそらく解離性障害ですね、
複雑性PTSDという状態です、
愛着障害からくる感情調節障害ですね、
ASDから自尊感情が低下した二次性のうつですね、、

誠意を持って言葉を尽くしてお応えしようとすればするほど、
難解になって、下手くそな説明でこじれてしまう。

なにより、そもそも、そんな答えは、
求められていないように感じる。

かろうじて病名は、分かった
じゃあ、どうしたらいいのか。

この問いもまた、スッキリ答えられたら、
はっきし言って、治療はいらん(笑)


エリック・バーンの言うように、
他人は、変えられない。

自分の自由意思が誰にも奪えないように、
他人の自由意思、意思決定権はその人だけのもの。

他人は変えられない、他人の意思だから、
というまぎれもない事実は、
こころの底では薄々と分かってる。

わかっちゃいるけど、
他人の様子を見て、
自分の内側から、ウズウズと、
放ってはおけない!という謎の衝動、
自分を突き動かす不気味な影の存在に気がつく、
いや、気が付きたくなんかない気持ち。

他人をどう扱ったらいいか、となってる時、
その人が、本当に当事者として体験しているのは、
自分の内に潜んでうずいている影であり、
本当に求めているのは、
自分の影との付き合い方、扱い方、
なのだろうと、思う。

そして、いつものように、
それは僕の中を映す鏡になっている。

その、質問者の焦燥、脳内活性化に、
僕自身が巻き込まれているのだ。
ミラー・ニューロンの働きで、
僕の中にも、質問に答えてこの人をなんとかしてあげたい、
つまり、他人を変えたい、
という焦燥、脳内活性化の発作が起こっているのだ。

僕は、それに気がつくと、
質問している人を助けようという目線から、
ざわついている自分の内側の影に目を向け直して、
ゆっくり深呼吸をする。

まず、自分が落ち着くのだ。

すると、
他人のことをどうしようと、言っていた人も、
自分の落ち着きが何よりだったな、
相手がどうあれ、自分が良い気分でいることが、
始まりなんだな、
そうですね、ちょっと距離を起くことにします。

という姿を、僕の目の前で
映し出してくれるのだった。


そうやって、波風立っては、
また平和で穏やかに、行きつ戻りつ、
そんな診察室の風景です。




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