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「先生には何でも正直に話すのよ」に見え隠れする関係性の病理

診察室での問診というのは、
日常感覚からしたらデリケートな、
かなりプライベートなことでも、
ネホリハホリ、ズケズケと、聴いてしまいます。
医療者がデリカシーが無いのは、職業病ですね(笑)

心療内科/精神科では、特に、
生活の詳細や、幼少期の家庭内のことも、
重要な所見として情報収集することがあります。

でもこれは、興味本位で聴いてる訳ではなく、
ご本人の持つテレビカメラから、
世界がどう見えて、どう体験しているか、
実況中継のように報告してもらいながら、
解決への旅路を同行させてもらおうとしているのですね。


よく、患者さんに同伴したご家族や、面倒見のよい民生員とか相談員さんが、「先生には何でも、正直に話すのよ」と、アドバイスしています。
そう、自分の見えなくなた本音を取り戻すことが、精神療法の重要なテーマです。正しいと思います。

ただしこれは、自分自身の中の本当の自分の声を探すと言う作業課題を、
セラピストや医師と共同して探求していく、
というある程度健康な段階の人にとってできることです。

でも、もっと前段階の人もたくさんおられます。

どやどやと、親切な人に連れられて、
「先生に何でも正直に話すのよ」と、耳にすると、
ん・・・?!
精神科医としての経験で、
ピピピ!と直観のフラグが立つことがあります。
(← 鬼太郎の妖怪アンテナを想像してしまった(笑)

その無意識さんを、言葉にすると、こうです。

ひょっとしたら、この子は、
自分の領域を侵害される関係性を、繰り返しやすいかも、
言えない病理、言うと危険にさらされた経験、
バウンダリー脆弱の病理があるのかも知れないな、
過酷な環境にさらされていた可能性、を、
頭の片隅に置いておこう。

です。

何でも先生に話す、と言うのは、
基本的安心感、対象恒常性の基盤が確立されている人が、
初めてできることです。

過干渉や逆境的な生育環境で、
自分だけの気持ちなのに、強要されたり、
プライベートの漏洩・侵害の危機にさらされた人にとって、
何でも話す、というのは、トラウマの再現になることがあります。

そして、自らその世界を繰り返してしまうのですね。

この話も、長くなりそうなので、このへんで。






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