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卑屈だけど謙遜じゃない牧師/クリスチャンが多すぎる〜哀しい原因を明らかにしてもう一度救いを受け取るために必要なこと

謙遜て、クリスチャンの美徳じゃないですか。クリスチャンじゃなくてもですけど。そして、高慢になってはいけませんて教えられるじゃないですか。
その結果、「能力があって優れた人間であると認めることは高慢である」からの「自分は能力が低いダメな罪人であるという自己認識が正しい」になってる人多すぎない?
そういうわけで、今回は卑屈ではなくて、正しい謙遜を身につけるために認識を整理していきましょう。

この記事を書くにあたり、ある牧師をゆるさずには記事を書くことも許されず、神様の前でジリジリと戦っておりました。ゆるすまで20分もかかりました。何年も何十年もゆるせずにいる人も多い中、20分なんて短いじゃないかと思われるでしょうか。
この20分は、例えるなら、宮本武蔵と佐々木小次郎が向き合って刀を抜くまで20分という感じの長さです。カウンセリングで他人の心を扱うのであれば、こんなに緊張度高く向き合わなくても良いのですが、自分自身のことを扱う場合は、ふた振り目はありませんから。一太刀でゆるせない気持ちを完全に殺す必要があります。どこをどう斬れば完全に息の根を止められるか。抜いて斬るまでの完璧なラインが見えるまで動けません。相手(自分のゆるしたくない気持ち)がどうかわして逃げるかも予測しながらそれで斬り損じることがないように刀を相手の存在の中心にズドンと落とす感じ。

さて、あんなにキツかったのに、ゆるしてしまえば「あらどうしてあんなに腹が立ってたんだっけ?」と忘れてしまうので、早めに書き残しましょうね。卑屈だけど謙遜じゃない牧師の話からしましょう。

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