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クリスチャンとしてセクシャルマイノリティの方々をどう愛すか

私はクリスチャンです。まず、私の信仰を確認しますね。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。 ヨハネの福音書 3:16

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 ローマ人への手紙 10:10

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。 ヨハネの福音書 13:34、35

私はいつも、この聖書の箇所に戻るようにしています。この箇所を無にする読み方は、旧約聖書であってもしてはいけないと考えています。

神様が、私や私以外の人を愛していないということは、絶対にありません。その愛は、嬉しくないものを押しつけるような、願わないものを喜べというようなものではなく、心から「私がほしかった幸せだ!」と思えるものをくださろうとする愛です。

と同時に

聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。 テモテへの手紙第二 3:16

私は聖書を、時代背景や文化をそのまま現代に当てはめることはできなくても、現代の私たちが読むことも想定した神様が導いて書き残したものとして読んでいます。

もし、この信仰姿勢と違うならば、この先を読んでも何の益にもならないと思います。
では、クリスチャンとして、セクシャルマイノリティーをどう捉え、その方々をどう愛するのか。私の考えを述べたいと思います。

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