エッセイを読む
毎日ではないが,燃え殻の『ブルーハワイ』をだいたいひとつずつ読んでいる.
一気に読もうと思えば読めてしまうが,あえて読まずにいる.
特に理由は無いし,何となく始めただけであって後付けの理由もない.
強いて言えば三〇分ラジオを聴いている感覚だろうか.
三つ四つのエピソードを話す回もあればひとつのエピソードを延々と話す回もある.
そんな感じかもしれない.
だからと言って何かがあるわけではないが.
燃え殻という作家を初めて知ったのは,ちょうど一年前の大学生協の書籍コーナーと記憶している.
平積みされていた新潮文庫の『すべて忘れてしまうから』に目が留まった.
受動的ニヒリズムを感じるようなタイトルに似つかわしくないようなマッシュの青年のイラストが表紙に描かれている.
単行本の表紙は油画のような表紙で,様々なアイテムが描かれており諸行無常を感じさせるが,文庫本はその対極にあるような感覚にさせてくる.
人生に悲観しているわけではないが楽観しているわけでもなく,かといって達観したような表情ではなく,数多の瞬間を傍観してきつつも自分をしっかりとそこに住まわせているような印象をもたせる青年のイラストが文庫本には描かれている.
そしてそういう青の時期を象徴するかのような紺一色の背景が彼を浮き立たせている.
収録されている話は,午前一時三〇分頃にタバコでもふかしながら読んでみてくれ.
そういう雰囲気に合うと伝えれば分かるだろう.
そして今回,奥付を見ると二〇二三年七月三〇日に発行したらしい『ブルーハワイ』を,発売後すぐに買いに行こうかと思いながらも忙しさを理由に買いに行かず,結局ひと月遅れくらいで買った.
そこからさらに積読本が沢山あることを言い訳にひと月ほど寝かし,積読本は結局一冊も消化せずに言い訳を崩壊させつつ読み始めた次第である.
エッセイなだけあってひとつひとつがとても軽い.
話のウェイトもどこかに偏ることなく,全体を通して常に若干重たい.
だが重すぎることはなく,体のツボを軽く押されるような感じで少しだけほぐされたようなただ単にプラシーボのようなそんな重さだ.
重すぎるわけではないのが心地いい.
そもそもエッセイというものに人生で初めて出会ったのは中学二年あたりに友達に勧められて読んだ大泉洋の『大泉エッセイ』だった思う.
この本はとにかく面白かった.
大泉洋のフリートークがそのまま文字起こしされたかのような文章で,読みながら沢山笑った.
この本の凄いところは何回読んでも毎回ちゃんと笑えるところだと思っている.
面白いものは,何度か触れると面白いが笑いはしなくなることが多い.
だがこの本はそんなことはなかった.
最後に読んでから六年は経っている気がするが,いまだにエッセイと言えばこれという感覚になるのだから本当にすごい.
小説を読むのは苦手,評論なんてもってのほかな人はこのネット時代に多くいるのではないかと思っている.
国語教育の負の遺産のような気がしなくもないが,その枠組みから外れているエッセイは,読書と読書苦手人間を繋げてくれる唯一の砦のように感じる.
エッセイ,面白い.