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Le Temps des Cerisesを聞きながら

紅の戦闘機に乗った豚が主人公の映画で、敵味方関係なく飛行機乗りが集まるバーの歌姫が歌う曲。
アドリア海に行ったことなく、大恐慌なんて経験したことないのに、なんとなく雰囲気がわかる気がする。

飲みなれない赤ワインを、調子に乗ってワイングラスを揺らしながら香りを立ち昇らせる。
海の見えるレストランであれば尚良。
行き道で見つけた寂びれた古本屋で、20年前に刊行されたいかにも草臥れた新書を買い、全くもって似合っていない洒落たジャケットを着て昼過ぎの時間を優雅に過ごす。
ダンディなおじさんなら様になるのだろうが、いざ自分がやるとなると変に映る。

マダム・ジーナの落ち着いた歌声が、作品冒頭のまだ雰囲気をつかめていない観客に、強烈に世界観を押し付ける。
だが決して不快感はなく、気づいたら自然と受け入れてしまっている歌声。
ポルコ・ロッソの醸し出すダンディズムが、作品の世界観を加速させていく。
鳴り響く発動機の音、油断していると殴りつけてくる機銃の音。
大恐慌で銀行に殺到する大衆を尻目に、紅の戦闘機は住処にしている無人島に向けて飛び立っていく。

インターネットが普及して、黒電話なんて見る影もなくなり、利便性の代わりに情緒がなくなった時代に生きている。
古くはSkype、新しくはLINEなんていうコミュニケーションツールも生まれ、グループ通話なんてものまで現れた。
発動機の音なんて鳴り響かず、電気モーターの静粛性に移り変わった。
機銃を掃射することはなくなり、リプライを掃射するようになった。
そんな時代にもポルコ・ロッソは必ず存在するし、そういう人は時代の陰に潜んでいる。
様々な情報の濁流に飲まれることなく、飄々と生きていくポルコ達に巡り合ったときに一つ聞いてみたい。


「マダム・ジーナはいましたか?」

僕の生活の一部になります。